第27話
通信機をいじっていた羽場が声を上げる。
「マズいぞ、本部からロボット部隊の再編制が為されているという情報が入った! 今度は百機単位で来る! 皆、急げ!」
自動小銃を片手で構え、もう片方の腕をぶんぶん振っている。
しかし、桐生は未だに美知留との思い出の内側に封じられている。
結局彼は目覚めないじゃないか。
そう言って、咲良は羽場に噛みつこうとした。だが、それに相応しい言葉が思いつかない。
八つ当たりよりも、何故か桐生の境遇が脳裏を駆け回っていた。
彼は自分よりも辛い境遇にあったのかもしれない。今くらい、ゆっくり休ませてやるべきではないか。
そんなことが不可能なのは百も承知だ。それは分かっている。
分かっているからこそ、桐生のために何かできないだろうか。
咲良はもう、怒鳴ったり喚いたりはしなかった。どうしてこの場で『こんなこと』をしようと思ったのか、自分でもよく分からない。
気づいた時には、咲良は錯乱中の桐生の頭を自分の膝の上で押さえつけていた。そして間髪入れずに、桐生に口づけを施したのだ。
一瞬、皆が動きを止めた。
羽場は、咲良が何故こんなことをしているのか考えが及ばなかった。
幽琳に至っては、あんぐり口を開けて、目を白黒させている。
実際のところ、咲良自身にだって何故こんなことになっているのか分かったものではない。こればっかりは、直感に従ったとしか言いようがない。
咲良が目を開けると、そこには薄く瞼を上げる桐生がいた。
桐生は顔を赤らめるでもなく、焦って騒ぎ出すこともない。
あたしと同じ、か。
咲良もまた、この場にそぐわないほど冷静に考えていた。
咲良はいっぺんに家族を亡くしている。だが、桐生は違う。
父親と母親を一人ずつ喪い、ついには妹である美知留までをも奪われた。
段々と家族を亡くしていくのが、どれほど恐ろしいものか。
父親の死が前提にあるとしても、続けざまに母親が病弱となり、父の時の二の舞になるのではないかと怯えながら過ごす日々。それがいかに心身を蝕むものだったのか。
そんな境遇に晒されても、桐生は折れなかった。言い換えれば、彼はずっと孤独に苛まれながらも、妹の前で兄貴分として振る舞ってきた。
――あたしの部下のくせに。
そこまで考えを巡らせてから、咲良はそっと唇を離した。
「大変だったよね、桐生くん」
「……ええ。咲良……さん……?」
桐生の意識はまだ混濁しているようだが、それでも肯定の返事は明瞭だった。
「だったら深呼吸でもして、いつものあなたに戻って頂戴。後方の警戒に当たってほしいの。そうすれば、あたしと羽場さんも心置きなく戦える。ティマだって、戦わずに済む」
「……」
「もしあたしの提案を呑めるのであれば、すぐに立ち上がって、走ること。この裏道を出れば、目標地点に早回りできる」
「それは……。その情報は……」
「さっきティマが教えてくれたの。あたしと羽場さん、それに幽琳にもね」
※
時間は四分ほど前に遡る。桐生が気を失ってから間もなくのことだ。
「羽場さん! 何も桐生を気絶させなくたって……!」
「もし桐生くんが全身全霊を以て俺に復讐しようとするなら、そのへんで製造された防弾兵装など役に立たん。咲良くん、これで桐生くんの肩に乗っていた、妹君の亡霊は去ったはずだ。早く意識を取り戻させてやってくれ」
「そ、そんな……」
咲良と幽琳は、同じことを考えていた。亡くした家族を生者が悼むのを妨害するなど、人間のすべきことではない。
だが、羽場はそんなことを歯牙にもかけない。過去の故人ではなく、今現在の状況を――生存する上での最適解を優先する。
「一応、俺のセーフハウスからは十分距離を取った。あとは、ティマの指示に従って、軍事研究施設を潰せばいい」
「ぐ、軍時研究施設……?」
「そうだ」
羽場は、川崎のことを口にした。同時に、こういった事態に備えて、自分が川崎と懇意にしていたことも。
「その研究施設でどんな代物が開発されているのか、俺にもよくは分かっていない。だが確かなのは、現存する対空兵器ではとても敵うものではないらしい、ということだ。その火器を潰すというのが、今回の任務の本来の目標だ」
「我々だけで? たったこれだけの人数で……」
素っ頓狂な声を上げる咲良に、羽場は淡々と答えた。
「そうだ。さっきも言ったはずだぞ、我々は本庁からも防衛省からも支援を要請することはできない。だから――」
「だから? だからって、あたしたちに犬死しろと仰るんですか?」
「落ち着け、咲良警部補。狙うのは研究施設だ。一旦突入してしまえば、中にいるのは軍事訓練など受けたことのない研究員ばかり。そこからリーダー格の人間を見つけ、実験停止の緊急コードを聞き出せばいい」
羽場の考えは、どうにも都合のいいことばかりだ。
それが、咲良の正直な意見だった。かといって、他に自分たちにできることはあるのか? と訊かれたら、きっと自分は返答に窮するだろう。
「それしかなさそうですわねぇ、羽場警視?」
「!?」
唐突に割り込んできた幽琳の言葉。咲良はざっと振り向き、親友の顔をまじまじと見つめた。いつも通り、端正な顔つきだ。こんな状況でも、無理なく落ち着きはらっている。
発言の主は、間違いなく自分の知っている幽琳魅霊だ。
本当なら、すぐさま立ち上がって歩み寄り、胸倉を引っ掴むところだ。
が、今はそれができない。桐生が自分の膝の上ですぅすぅと寝息を立てているからだ。
命の懸かった作戦を前に、自分と同意見の者がいない。その感覚は、自分が家族と、自分の左足を失って、病室で壮絶な孤独を味わっていた時と似ている。
とても自分には耐えられない。
そう思った矢先、自分の膝の上で寝息を立てている、お気楽そうな部下が一人。
無論、桐生である。
「桐生くん……」
あなたなら分かってくれるかもしれないのに、どうして呑気に寝ているの?
本当なら引っ叩いて起こしても構わないのだろう。だが、この作戦の危険度を鑑みるに、引っ叩いたのが最期の思い出にはしたくはなかった。
その直前、羽場が敵のロボットで編成された数百機もの陸戦隊が接近中だと伝えてくれたのだ。
完全に詰んだ状態である。どうせ死ぬなら、キスくらいしてみてもいいのではないか。
結局は、そんな理由からだった。
※
そして、時間は現在に戻る。
それは、真っ白で広大な建物だった。背は高くない。二、三階建てといったところか。主要な研究室は地下にあるのだろう。
ティマの斜め後方にいた羽場が、そっとティマの肩を叩いた。
「ティマ、この建物の構造は分かるか?」
「うん。でも、皆が何を探しているのかが分からない」
「ん、ああ……」
正式名称は何と言ったか。失念してしまった苛立ちを相殺すべく、羽場は後頭部を軽く掻いた。
「取り敢えず突入しましょう。中に入れば、ティマももっといろいろ思い出すかもしれません」
「それもそうだな。俺が先陣を切る」
桐生の案を採用し、羽場は自動小銃のセーフティを解除。消音器を付けて、手早く警備員二人を仕留める。
「よし、行くぞ。全方位、警戒を怠るなよ」
そう言って羽場が一歩踏み出した、その時だった。
「……自身?」
拳銃を構えた幽琳が呟く。咲良も桐生も、同じことを考えた。だが、それでは説明がつかない事態に陥っていく。
まるで地の底から、巨大な何かが高速で垂直に上昇してくる。そんな感覚。
付近のビルの窓ガラスが破砕され、情け容赦なく降り注ぐ。マンホールが吹っ飛んで、噴水のように生活排水が舞い上がる。研究所の壁面にひびが入り、盛り上がったと思えば中央から没していく。
まるで地面が液体になってしまったかのような異常さに、皆が慄いた。羽場以外は。
「総員、右隣の高層ビルに入れ。頭部の守りを緩めるなよ」
落ち着き払ったその声音に、桐生は違和感を覚えた。だが、今は彼に従うのが最適なのだろう。
「警視! 羽場警視! あなたも早く建物内に退避を――」
《しばらく待て、桐生。話をしてみよう》
「は、話?」
いったい何を言っているんだ?
桐生にしてみれば、何が何だかサッパリだ。いいや、悩むくらいなら周囲の安全を確保しよう。
桐生は、咲良と幽琳がいる大きなデスクの下へ滑り込んだ。ティマもまた、咲良に半分抱っこされるようにして退避を完了している。
「桐生くん、羽場さんは?」
「分かりません! 話をすると言って、それっきりで……」
咲良と幽琳は、訝しげに眉を歪めた。
それを真顔に戻したのは、イヤホンから聞こえてくる羽場の声だった。
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