第26話


         ※


 何かにはっと気がついて、ティマは足を止めた。さっと振り返り、銃声が響いてくる方を見つめている。


「何やってんだ、ティマ! 俺たちだってすぐに追いつかれそうなんだ、逃げるぞ!」


 桐生の言葉も届かない。無視しているのではなく、物理的に聞こえていないのだ。

 電子頭脳の一部、聴覚を司る部分が、一時的な麻痺を起こしていた。復旧までにかかった時間は二・七秒。ティマにしては、異様に時間がかかっている。


「おいティマ、疲れたんなら俺が負ぶって――」

「……ウェリン」


 その呟きに、桐生ははっと口をつぐんだ。ウェリンはティマにとっての世話係であり、兄貴分であり、最も身近な人型ロボット――すなわち同族だった。

 まさか、その死を感じ取ったのだろうか? だとしたら、どれほどの孤独を感じているだろうか。


 ティマが凝視する方向を見つめると、カッと鋭い白光が桐生の視野を覆った。


「うっ!?」


 思わず手を翳す桐生。


「ちょっと二人共! 何立ち止まって――ぐっ!」


 咲良も同じ目に遭ったらしい。

 微かな爆風が、ざあっとアスファルト上の砂塵を舞いあげていく。桐生は咄嗟にしゃがみ込んだ。他の人間三人もそれに倣ったが、ティマだけはずっと姿勢を崩そうとはしなかった。


 ティマ、伏せろ。

 そう言おうとして、桐生は思いっきり跳ね飛ばされた。


「……!?」


 地面が波打っている。俄かに信じがたい現象だが、そうとしか表現しようがなかった。

 まさか、これがウェリンの最後の反抗なのか。彼が自らの矜持を貫くべく行った、自爆攻撃の余波だというのか。


 砂塵を含んだ爆風の第二波が、足元から桐生たちを吹き上げるかのように迫ってくる。

 そんなことにはお構いなしに、ティマは来た道を逆走し始めた。


「ティマ! ティマ、よしなさい! 桐生くん、彼女の身柄を確保して!」

「りょ、了解!」


 咲良の言葉に従おうとして、しかし、桐生はその場で膝をついたまま動けなかった。

 ティマの姿が、自分の下を去っていく妹、美知留と被って見えていたのだ。


「美知留……? お前、俺を迎えに来たのか……?」


 そのまま脱力し、腹這いに倒れ込む桐生。そのすぐ頭上を、『何か』が飛び去って行った。ティマの方へと、一直線に。


 ぼうっ、としたままそれを見つめていると、その『何か』はティマの背中の上部に接触した。バシッ、という短い雷鳴のような音がして、ティマはそのまま倒れ込む。


「桐生巡査部長、命令だ。あの人型ロボットは一時的に行動を停止した。確保しろ」


 この期に及んで、冷静極まりない静かな命令。羽場が桐生に下したのだ。

 しかし、桐生は実の妹が射殺されたと思い込んでいる。そんな桐生を止めることは、羽場にとっても不可能だった。


「う、あ」

「どうした、桐生賢治・巡査部長! 命令だぞ!」

「貴様ああああああああ!!」


 羽場は、どうして桐生が自分に向けて駆けてくるのか、重々承知していた。

 やはり、亡き妹とティマを重ね合わせて見ている。しかし今はそんな感傷に浸っていられる時ではない。


 桐生を迎撃すべく、羽場は両腕を顔の高さに掲げて戦闘体勢に入った。一発だけ、気絶しない程度にジャブを喰らわせてやれば、桐生も落ち着くはず。

 その読みは正しかったが、結果的には失敗だった。


 やはり正気を失っていたのだろう。

 桐生は右腕を引き絞り、真っ直ぐに羽場を狙った。対する羽場は、額の前で腕を交差。防御体勢に入る。

 しかし、思わぬ事態が発生した。桐生が前のめりにすっ転んだのだ。一瞬、二人の視界が砂塵で塞がれる。


 そのまま桐生の右腕は、かなり上方から振り下ろされる。そして見事に羽場の額を直撃した。


「チッ!」


 軽く舌打ちをしながらも、羽場は下がらない。

 僅かな出血を伴いながらも、精確にジャブを発した。吸い込まれるようにして、桐生の下顎に向かって行く。

 自分と相手の重心の動きが計算された、見事なジャブだった。

 一瞬で脳を揺さぶられた桐生は、二、三歩ほど後退り、そのままバッタリと仰向けに倒れ込んだ。


「ちょっと! あんたたち何やってんの!?」


 悲鳴に近い声音で割り込んできたのは幽琳である。


「すまない博士、俺もまだ桐生とは短い付き合いだが、こうやって黙らせないといかんということは分かっているつもりだ」

「彼を運びながら戦うんですか? そんな無茶を――」

「止むを得ん。でなければ、桐生はずっと、妹と過ごした日々の幻想からは戻ってこない。それこそ戦力の減退に繋がってしまう。生憎と、本庁に支援を求めていられるような身分ではないからな、俺たちは」

「だからって……」


 羽場と幽琳が話している間に、砂塵はだいぶ収まっていた。気づけば、すぐそばにはティマの手を引いた咲良が立っている。

 羽場は咲良に頷いてから、倒れている桐生の方に視線を遣った。

 責任は俺が取る。

 そういう意味合いだったが、咲良はただ肩を竦めるだけだった。


「桐生巡査部長は俺が背負っていく。ティマ、大丈夫か?」


 ティマは俯いたままだったが、尋常ではないショックを受けたのは確かなようだ。

 ぽつぽつと地面に落ちる水滴は、まさか雨ではあるまい。


 そこまで人間らしくする必要があるのか。

 羽場は疑問に思ったが、それを些事として捨て置くことにした。

 自分は危険なロボットの鎮圧を遂行する部隊の人間だ。ロボットの出自やら社会的役割やらを考えていたら、戦闘中に迷いが生じるかもしれない。

 それだけは、何としてでも避けなければ。


 個人携帯用の医療キットを取り出し、羽場は額に殺菌処置を施した。それから大雑把に絆創膏を貼りつける。皮膚の修繕くらいなら、今日中にでも終わるだろう。


         ※


 まったく、血の気の多い人たちなんだから……。

 安堵と呆れの両方のこもった溜息をつきながら、幽琳はがっくりと肩を落とした。


 戦いごとに関与していない自分が言えたことではないのだろう。と、いうくらいの見識は持っているつもりだ。

 それでも、拳銃しか扱えない自分が同伴していいものかどうか、迷うところではある。


 乗りかかった舟だ、仕方あるまい。

 一度吹っ切れた幽琳は、静かに咲良とティマの下へ歩み寄った。


「ティマ、大丈夫?」

「ゆ、幽琳……」


 セーフハウスを転々とする間に、ティマには幽琳に対する信頼の情が芽生えていた。

 理由は単純で、幽琳が自分の話をよく聞いてくれたからだ。


「ティマ、あなたは自分の立場、分かっているかしらぁん?」


 おどけた調子の幽琳に対し、ティマはぐっと顎を引いた。


「人間とロボットのバランスを取るための、最新型の人型ロボット。そのプロトタイプ、だって」

「その通りよぉん。ってことはぁ、あなたは最重要指定人工機械類に属するはず。誰もあなたを殺そうなんて、思いやしないわぁん」


 ねえ、咲良?

 そう話題を投げてみた。しかし、咲良は既に自動小銃を手にし、周囲を見渡しながら警戒の意識を絶やそうとしない。


 咲良の注意力を削ぐわけにはいかない。では、幽琳自身を除いて二番目に接触が多かったのは誰か? 言うまでもなく、桐生である。

 というか、またコイツが気絶しているという状況が悪い。幽琳は、桐生を背負い直そうとしている羽場に声をかけた。


「彼を下ろすのか?」

「左様です。ティマの精神的健康のためです」


 羽場は首を捻ったが、やってみるようにとのこと。


「ただし、そこの廃ビルに運び込んでからだ。少なくとも、敵に我々の所在を知らせるようなことにはなるまい」

「分かりましたぁ。それじゃ……。私のことを恨んだりしないでねぇ、桐生くん」


 割れた窓ガラスの散らばる一階。そこに、担架に乗せられた桐生が入ってくる。


「え。幽琳……まさか、桐生くんを相手にアレを?」

「さっさと起きてもらわなきゃ困るじゃなぁい? わたしの足つぼマッサージ、効くと思うんだけどぉ?」


 咲良はしばし、顎に手を遣っていたが、最終的にはこくこくと頷いて見せた。


「よぉし! それじゃ、行くわよぉん……」


         ※


 また気を失ってしまった。まったくもって情けない……。

 そう胸中で呟いて、桐生は上半身を上げようとして、凄まじい激痛に見舞われた。


 ぎゃんぎゃんと悲鳴を上げる桐生に、咲良は心配そうな、幽琳は呆れたような顔を見せつける。ティマは羽場のそばで、半ば寄りかかるような格好だった。


「う、い、いてぇ……」

「ほらほら桐生くん! あなたからも、ティマちゃんに何か言ってあげたらどぉかしらぁ?」


 そうだ。ティマの気を楽にしてやるというのが喫緊の課題だった。

 しかし、たった今目覚めた桐生には、どうするべきかなど分かりはしなかった。

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