第24話


         ※


「忘れられない光景がある。儂が死なせた、優秀な若い兵士の顔だ。内臓をごっそり引っ張り出されるように被弾して、それでも言い続けたよ、自分はまだ戦える、と」


 いつの間にか沈黙に支配されたセーフハウス。体感気温の凍えるような雰囲気が、部屋中に満ち満ちている。それを感じていないのは、語っている羽場だけだ。

 もしかしたら、ロボットであるウェリンとティマにも捕捉できるほどの悲しみや憐憫の情というものが、この部屋には溢れているのではないか。桐生はそんな考えに囚われた。


「やれやれ、若い連中にはまともな世界を遺してやりたかったが、どうしても儂の年ではな」

「そっ、それは!」


 桐生は自分の胸中にあった何かを言い出そうとした。この場で言葉にしなければ、一生語ることができなくなる。――そんな切羽詰まったこと。

 しかしながら、羽場の悲観的かつ厭世的な考えをぶつけられ、自分が発言することは許されないのではないか。それを口にするには、自分はあまりにも若輩者なのではないか。

 それが、桐生から深い溜息を引っ張り出した。


「桐生巡査部長、何か仰りたいことがおありなのでしょう?」


 ウェリンの落ち着き払った声がする。ゆっくり振り返ると、やはりウェリンが真摯な瞳でこちらを見つめていた。ティマの頭部に手を載せている。そしてティマに、ここから動くべきではないと諭している。再び暴力沙汰に発展するのは、ウェリンにとっても不本意なのだろう。


 そして、俺が言いたいことなのだが……。そんなこと、とうに決まっている。

 今の日本社会も捨てたものではない、そしてそういう環境を整えてくれたのは羽場たちに違いない。そう言いたかった。

 本当に、きちんと言いたかったのだ。しかし、この現代日本での生活に希望を持てというのは困難だろう。とりわけ、人口の四割を超える貧困層のことを鑑みれば。


 桐生はぎゅっと両手を握り締め、唇を噛んでいた。


「はい、桐生くん」

「咲良さん……? どうしたんです、このハンカチ?」

「あなたの唇、血が出てる」

「あ、ああ……。すみません」


 咲良は桐生の肩をポンと叩いて、羽場と向かい合うようにソファに腰かけた。


「羽場警視、あなたはどこまであたしや桐生巡査部長のことをご存じなんです?」

「それなりに、とだけ言っておこう」

「それでは答えになりませんよ」


 肩を竦める咲良。その背後から身を乗り出してきたのは、沈黙を貫いていた幽琳だった。


「はい、はーーーい! 私も気になります! 二人の過去!」

「うわ、ちょっと! あんた、突然どうしたのよ?」

「私はここにいる皆の行動を簡略化できるように、貢献してまいりました! その褒賞として、是非この善良な市民に、二人の刑事の過去をお教えください!」

「は、はあ……?」


 呆れる咲良の隣に腰かけた桐生は、眼球を動かして幽琳を見つめた。

 幽琳魅霊博士……。この人、そんなに他人に興味を抱くような性質には思えなかったが。


「……そうまで言われては仕方あるまいな。咲良くん、桐生くん、君たちは構わないかね?」


 再び肩を竦める咲良と、ゆっくり首肯する桐生。

 仕方あるまいと言い放ち、やや渋々と言った様子で、羽場は語り出した。


 咲良は高校時代に大規模な暴動に巻き込まれた。ロボット側の勢力によって両親を殺害され、自らも左足を失った。義足ながらも作戦行動に支障がなかった(というより、そこまで彼女が努力した)ことで、刑事としてジンロウ部隊に配属することができた。


 桐生もまた、心身共に健康体でやって来たわけではない。AIが起こした交通事故に巻き込まれ、両親を喪った。

 本人と桐生美知留――やや年の離れた妹――は軽傷で済んだものの、問題はその後のこと。親戚中をたらい回しにされたことで、桐生兄妹、とりわけ妹の美知留は、心理的に病んでいった。それこそ、身を斬られるような鋭い苦痛が伴っていただろう。

 そして美知留もまた、自らの不幸を憂い、数年前に飛び降り自殺を試みた。幸い一命は取り留めたが、今も昏睡状態で眠りに就いている。


「そうです。それでティマは、美知留にとてもよく似ているんです。偶然でしょうけど。だから、なんだか美知留の存在までロボットに持っていかれたような気がして……」

「だから殺そうと、ああいや、破壊しようと思ったのか」

「仰る通りです」


 そこまで聞いてから、羽場はゆっくりと腰を上げた。


「コーヒーでも淹れよう。皆、楽にしてくれ」


 羽場は部屋の隅のコーヒーメーカーのところに歩いていく。

 味方ドローンからの警報が鳴り響いたのは、まさにその時だった。

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