第23話
※
桐生の身体をそっと横たえながら、羽場は謝罪の言葉を述べた。
振り返れば、ちょうど咲良が周辺の警戒警備を終えて入室してくるところだった。
ここは羽場のセーフハウスだが、桐生のそれと大差ないくらいの殺風景な内装をしている。違いがあるとすれば、ビールの空き缶が目立つくらいだろうか。
「すまんな、桐生巡査部長……。配属早々、こんな目に遭わせてしまって」
驚きのあまり顎を外した、その顔のままの桐生。呼吸は落ち着いてきたし、おかしな発汗も収まったようだが、それでも羽場は桐生の下を離れない。
「あなたが弱気でどうするんですか、羽場警視。ほら、起きなさいよ桐生くん!」
「今くらいゆっくりさせてあげたら? さっちゃ……いや、咲良警部補。あんただって、ロクに水分補給をしてないでしょう?」
そう言ってミネラルウォーターを放ったのは幽琳だ。ぱしっ、と片手でキャッチして、咲良は僅かに顎を引いてみせた。
「それにしても、あなたのセーフハウスを使用してもよかったのですか、羽場警視?」
「構わんよ。儂も歳でな、日に日に自分の命が軽くなってくるのを感ずるのだよ」
「そんな、縁起でもないことを」
元から細い目をさらに糸のようにして、咲良は頭髪の薄くなった羽場の後頭部を睨んだ。
桐生が気を失った直後、どこからともなく現れた羽場に誘導され、人間四人とロボット二機は地下通路を通って施設から脱出。中腰で移動すること二十分で地上に上がり、廃屋だらけの沿岸地区に辿り着いた。
そこから慎重に歩を進め、五分ほどでこのセーフハウスに到着。桐生の身体は、羽場とウェリンが交代交代で担いできた。
「動体探知機、配備完了しました。消音飛行ドローンは、全機正常に稼働しています」
「おお、すまないね、ウェリンくん。君も休んでくれたまえ」
「わたくしは飽くまでロボットです。休息は不要です」
「まあまあ、そう言わずに。いくら省力モードにしても、君らのパワー電池は少しずつ消耗するのだろう? 今くらい強がる必要はない」
「はッ、羽場敏光・警視殿。ご命令とあらば」
呆れたような、落ち着いたような不思議な感覚に囚われ、咲良はふっと息をついた。
キャップをくるくるとボトルに嵌めて、低いテーブルに置く。その時、僅かに指先が何かに触れた。これは、灰皿だろうか。
そう言えば、羽場は大した愛煙家だと聞いている。自分は生まれてこの方、紙煙草に触れたこともないような人間だが、しかし――。
「吸ってみれば美味しいもんなのかな……?」
「どうかしたかね、咲良くん?」
「えっ? ああ、いえ」
羽場もまた、ふむ、と一息ついて、ソファにそっと腰を下ろした。その手はすっと、テーブル上の小さなパッケージに伸ばされる。
紙煙草だ。近年では随分入手が困難になったと聞くが、どうなのだろう。
「お煙草は身体に毒ですわよ、羽場警視?」
「なあに、人生一度きりさ。儂だって自由にさせてもらうよ。歳だからな」
幽琳の忠告を、先ほどと同じ文句で受け流す羽場。咲良には彼が、どこにも掴みどころのない存在に見えてきた。それこそ、紫煙と同じように。
服装に乱れがないかを確認し、自分もソファに着くことにした。
いや、身綺麗でいられる人間、またはロボットなど、この部屋にいるわけがないのだが。
まあいいかと諦めかけたその時、シャツを引かれた。何者かが掴んで、引っ張っている。
その正体などすぐに察せられたが、同時に恐怖感が湧き上がってきた。
ゆっくりと振り向くと、案の定そこにはティマがいた。損傷した脇腹には、僅かな縫合の痕が見える。幽琳が手を施してくれたのだ。
さらに強くシャツを引かれ、咲良はようやく現実に意識を引き戻した。
「お兄ちゃん、起きたみたい」
「ふうん……。って、桐生巡査部長が?」
こくこくと頷くティマ。手を離し、とてとてと奥のベッドに向かう。
咲良はそれを追おうとして、僅かに足を引き攣らせた。
自分の頭部も、果実のようにペシャンコにされてしまわないだろうか。命乞いをしていた敵のように。今さっき湧いてきた恐怖感が、二倍にも三倍にも膨れ上がってくる。
だからといって、ずっとティマを避け続けるわけにはいくまい。
そうこう考えているうちに、のっそりと桐生は上半身を起こした。あたりを見回している。
そして、駆け寄ってきたティマと目を合わせた。
「うわあああああああああ!!」
凄まじい絶叫に、セーフハウス全体が揺れた。咲良は慌てて両耳を押さえる。
桐生にとっては無理もないことだ。ティマは彼の眼前で人間の頭部をぶっ潰した相手なのだから。怖がるのは当然だろう。
そんな彼を落ち着かせてやるのも、バディとしての自分の任務だろう。
咲良はすっと立ち上がり、義足の状態を確かめてから桐生の下へと向かった。
※
目が覚めても呼吸が荒いとは、よほどティマのことを恐ろしく思っているのだな。
羽場は灰皿に煙草を押しつけながら、最若年の青年を見つめた。
今は怪我人(?)である桐生に免じて、煙草を吸うのはこれっきりにしよう。
さて、どうやって落ち着けてやるべきか――。
人間三人(咲良、桐生、幽琳)が留置場で囚われ、ロボット二機(ウェリン、ティマ)が監獄で川崎に暴力を振るわれている時。それは今から三時間ほど前になる。
ロボット二機を守るべく、人間三人が援護に向かうことができるよう、監獄を開錠したのは羽場本人だ。
自分が出向いた方が、下手に側近を使うよりリスクが低い。そう思った。
三人共、どうして羽場がここにいるのかと驚いた様子だったが、それは後回しにするよう命令。すぐさまロボット二機の救援に向かわせた。
彼らが脱出する時点で、ティマの攻撃性が発揮されたのも織り込み済みだ。しかし、まさかあんな戦い方をするとは思ってもみなかった。
戦い方? いいや、違うな。あれは最早、一方的な虐殺だ。
「あんな残酷な殺害方法を取るとは……」
「それって、私のこと?」
「ん、ああ、そうだな――って、ティマか。聞いていたのかね?」
「少しだけ聞いた」
「ほう?」
「残りは、あなたの脳波を頭蓋骨越しに測定して、電気信号の流れで推測した」
「ふふっ」
大した物言いをするのだな。
そっとティマを撫でてやろうかと手を伸ばした、その時のこと。
グァン、という強烈な打撃音がした。
「貴様……、美知留の格好で、あんな酷い殺しを……!」
「ちょっと! ま、待ちなさい、桐生!」
事ここに至り、羽場はようやく状況を把握した。ティマの背後から大きな金槌を持った桐生がやって来て、彼女の頭部を殴打するつもりだったのだ。
それを、ティマは防いだ。掴み込んだのだ。桐生の手首を。
「桐生巡査部長、私、あなたに無礼を働いたかな。もしそうなら言葉で言ってくれないと。あなたたち人間と我々は、ちゃんと意思の疎通ができるのだから」
「何をっ、このガキ!」
「ティマ! ご無事ですか!」
咲良が桐生を、ウェリンがティマを、それぞれ羽交い絞めにして引き離す。
しかし、桐生とティマは互いに睨み合いを続けるばかり。押さえている側が少しでも気を抜けば、また金槌が振るわれるだろう。どうせティマは易々と受け止めるだろうが。
「やめたまえ、二人共」
羽場は敢えてゆっくりと、だらだらと言葉を零した。
ティマはすぐさま大人しくなった。が、桐生はまだ暴れたりないらしく、金槌を放り投げて咲良から離れようとがむしゃらになっている。
止むを得んか。
「命令だ。これ以上、儂に『命令』という言葉を使わせるな」
「畜生! ふざけんな! ティマ、てめえは――」
「黙れ桐生! 命令だ!!」
羽場を一瞥した桐生は、すぐさま黙り込んだ。というか、魂が抜けてしまった。
羽場本人にとっても不思議なことだ。どうして自分が怒鳴ると皆が黙り込むのか。
強いて自らの中に答えを求めるなら――。
「あの過去体験があるのかもしれんな」
「はッ、羽場警視、何と?」
「いや、君らにはまだ荷が重いかもしれん。気にせんでくれ」
と言いつつも、羽場の胸中に去来するその記憶は収まりどころを見つけられずにいた。
※
四十年ほど前。
日本の軍備拡大と、それに伴う海外での作戦の増加が危惧され始めた頃のこと。羽場敏光は、その現象にちょうど巻き込まれた世代だ。羽場は極めて優秀な前線指揮官であり、あちこちに派兵されていた。
最高位は三十五年前の、国防陸軍中佐。彼にとっての最後の戦場となった、東南アジア某国でのことだ。
ある作戦で、羽場は致命的判断ミスを犯した。そのために、部下の半数が命を落とすこととなった。
羽場は日本に帰ってきたが、金銭的に支えるべき家族はいなかった。
早々に辞表を出し、隠居でもするか。
そう思っていたところを警視庁に拾われた。君の才能を死なせるには惜しいと。
それから英雄視されたり、軽蔑の目に晒されたりしたが、羽場本人にとってはどうでもよかった。刑事として、淡々と(時には暴力的な)現場を踏んでいく。気づけば警視になっていた。
昇格試験も何も受けた記憶はない。誰の差し金だったのか、気にならないといったら嘘になる。そもそも、元軍人で警察学校にも通っていない自分が、刑事などになっていいものか。
そんな疑問も、日々の中で霞の向こうへと消えていった。
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