第19話【第四章】

【第四章】


 桐生が周囲を見渡すと、二人共がっくりと肩を落としていた。

 二人とは、咲良と幽琳のことだ。


 ここは警視庁地下施設最深部の留置所である。裸電球一つが天井からぶら下がっている以外に光源はない。

 衛生的ではあるものの、地下施設だという先入観からか、妙に壁や天井から圧迫感を覚える。薄暗いとなれば猶更だ。

 もう少し明るくしてほしいというのが、三人の一致した思いだ。だが、これも受け入れざるを得ない、一種の贖罪なのかもしれない。


「何考えてるの、桐生くん?」

「……何でもないです」

「何でもないってことはないんじゃない? だってあなた、あたしや幽琳よりも落ち込んでる様子だし」


 唐突に、がばっと桐生は立ち上がった。自分の呼吸が荒いのを隠そうともしない彼を前に、何事かと咲良は目を瞠る。


「咲良さん、あなたに俺の何が分かるってんです? いや、あなただって俺と同類だ。ロボットに関わる事件で家族を亡くしてる! それが突然、ロボットと協力して戦え、みたいなことになって、敵のロボットに攻撃されて、今は警視庁に引き戻されて――」

「ま、この四方が完全耐爆機構になってるこの部屋なら、安全といえば安全よねぇ?」


 聞きかねたのか、幽琳が半ば茶化すように割り込んだ。

 座禅を組むようにして考え込む咲良。隣で荒い呼吸を繰り返す桐生。やや距離を取って、壁に背を預けながら腕を組んでいる幽琳。


 その位置関係が崩れた。桐生が幽琳に向かって、ずかずかと歩み寄ったのだ。


「幽琳博士、あんたもあんただ! これは刑事課の、それもジンロウ部隊に託された任務なのに、どうしてあんたが口を挟むんだ?」


 幽琳は無言で顎をしゃくった。もっと言ってみろ、とでも言いたげだ。


「博士がどんな研究をしてきたのか、俺は知らない。でも、この作戦に関わる人間が増えれば、機密性は低くなる! 当然の話だ! まさか、あんたがジンロウ部隊の別な班に後をつけられて――」

「桐生くん、幽琳に限ってそれはないよ」


 そう言いながら、咲良もすっと立ち上がった。その切れ長の瞳を前に、桐生は何故か言葉を呑み込んだ。迫力というか、圧力のようなものに見舞われたのだ。

 一度深呼吸をして、桐生は捨て台詞を吐いた。


「あんただって、ロボットのせいで家族を喪ったってのに……!」


 桐生が言おうとしているのは、ロボットによる大規模反乱事件、いわゆる『黒薔薇事件』のことだ。都内の政府関連施設が、大挙したロボットたちに急襲された。そのために、咲良も桐生も、警官や警備員だった家族を奪われている。

 咲良にいたっては、左足をも。


 桐生が言いたかったのは、こんなところだろう。

 咲良はそこまで考え、そしてそれは九分九厘当たっていた。


 ふっと息をつくと、桐生は黙して拳を握り締めていた。

 今何をするか。何をすべきなのか。

 それを突き詰め、行動していかない限り、恨みつらみも晴れることはない。

 そんなことを、事件の直後に誰かに聞かされた覚えがある。


 自分が刑事になったのは、その言葉を信じ、自分の中で立証したかったからなのかもしれない。

 もしそれを、桐生に押しつけてしまっていたら申し訳ないと思う。だが、他に考えるべき事柄など、実はほとんど残ってはいないのだ。


 結局、悔し涙を流し始めた桐生を前に、咲良はかぶりを振ることしかできなかった。


         ※


 こちらの部屋でも、同様の空気が立ち込めていた。ティマとウェリンが隔離された監獄だ。

 監獄といっても、基本構造は人間三人が入れられた部屋と同じ。

 問題は、この部屋が極端に狭苦しいことだ。


 彼らをこんな窮屈な部屋に押し込めた人間たちは、ティマの戦闘力を大まかに把握しているらしい。だからこそ、ティマが右腕を展開させて兵器化するのを危惧し、こんな部屋にウェリンと共に放り込んだのだ。


 彼らも、そしてウェリンも、ティマの攻撃が周囲に及ぼす影響を理解している。早い話、ティマの周囲は危ないのだ。


 だからこそ、ティマがレーザー砲や機関砲を展開できないように、狭い部屋に押し込めた。

 同伴させられたウェリンは、いわば人質だ。流石のティマも、ウェリンのそばにいるために、攻撃的な態度を示すことはしていない。

 まあ、彼女の感情が希薄なのは今に始まったことではないが。


「申し訳ありません、ティマ。あなたを必ずお守りすることこそ、わたくしの確固たる使命でありましたのに」

「……気にしないで」

「はッ……」


 ウェリンが足元に目を落とす。

 その時、彼にとって予想外の事態が発生した。ティマが、こんなことを言い出したのだ。


「ウェリンは、私のこと、好き?」

「好きか否か、でございますか」


 ウェリンは真顔になり、そのまま考え込んだ。

 人間同士ではありえないほど、淡泊な声音でこの会話は成り立っている。しかし、いかに真剣に、真摯な態度で対応すべきかということに関して、ウェリンはいつもより少々考え方を変えてみた。


「はい。わたくしは、ティマ、あなたを心からお慕い申しております」


 すると、意外な反応があった。ティマが不機嫌そうに頬を膨らませたのだ。


「ウェリン、好きって二種類あるでしょう? 困難な共同作業を共に為し遂げるような『理論的な好き』と、胸が、心がいっぱいになるような『感情的な好き』……。あなたは、どっちなの?」


 その問いを受けて、ウェリンは天地がひっくり返されるような衝撃を受けた。

 ウェリンの電子頭脳の中にも、恋愛という概念は存在する。だが、それは飽くまで余剰スペースに搭載されたもので、正直どうでもいい知識だった。


 そんな複雑な感情を、ティマは抱いている。確かに、ティマはウェリンと比べ、数世代先と言ってもいい機体性能を有している。電子頭脳もそれだけ進歩しているはずだ。

 だが、所詮はロボット。何者かに対して、そこまで『人間臭い』感情を抱くとは、俄かに信じられることではない。


 ウェリンは腕を組み、顎に手を遣った。いったい何が起こっているのか。

 ウェリンの、そしてティマの胸中で。


 黙考することしばし。ウェリンは軽い擦過音が連続するのを感じた。これは、この部屋に通ずる廊下のスライドドアが展開していく音だ。

 間もなく、ウェリンの正面でドアが展開した。そこにいた人物を見て、思わずウェリン目を見開いた。


「あ、あなたは……川崎徹次・三等陸佐殿?」

「お生憎様、今は一等陸佐だ、ウェリン」

「どういう風の吹き回しです? あなたがジンロウ部隊の施設内にいるなんて。どうやってここに配属になったんです?」


 やれやれとかぶりを振りながら、川崎は語り出した。


「つくづく無礼なやつだな、お前は。ウェリン、私は配属になったのではない。言い方は悪いが……、ジンロウ部隊を乗っ取ったのだ」

「……え?」

「だからそんな顔をするな! 以前のお前と共闘して、『黒薔薇事件』の現場を鎮圧したことを、私ははっきりと覚えている。人間の記憶力でもこのくらい覚えているんだ、まさか貴様が『黒薔薇事件』を忘れたわけではあるまい?」


 当然だ。あれはロボットが主体の反政府的暴動だったが、政府側の味方となって暴徒鎮圧に向かったロボットだってたくさんいた。そのうちの一機がウェリンだったということだ。


「この国は軍事において、文民統制のスタンスを取り続けてきた。今もそれは変わっていない。だが実際に現場に立ち、その場の熱意や殺気、狂気じみた暴力の渦中に立つという経験をしてきたのは我々だ」

「つまり、現場の空気を知っている者たちにこそ、より上位の任務を託すべきだ、と?」

「そうだ」


 腕を組んで大きく頷く川崎。そのすぐ後ろには、羽場が突っ立っていた。警察サイドは羽場が、軍事サイドは川崎が統率しているということなのだろう。


「法整備が進んでいないお陰で、ロボットに文民統制をさせようという意見もある。だったら話は早い。今のうちに根回しして、ロボットの中から防衛省の有力者を選んでしまえる。私はね、ウェリン。君とティマの二人こそ、その任務に適任だと考えているんだ」

「それって、我々二人に暗殺犯になれ、ということですね? 有事の際、生身の人間が軍事的指揮権を掌握できるように、今のうちに対抗馬になるであろうロボットを殺しておけ、と」


 おお! と川崎は歓声を上げた。両腕を開き、ウェリンをハグしかねない勢いで身を乗り出す。


「相変わらず物分かりのいいやつだな、ウェリン! そういうことだよ」

「しかし、きちんと説明すべき相手は他にいるのでは?」


 ウェリンは僅かに顔を傾け、隣で眠たそうな顔をしている小柄な人影を一瞥した。


「もちろん、ティマにもきちんと説明するさ。だが、彼女の電脳組織は非常に複雑だ。だから、少々荒っぽい処置が必要になる」

「処置?」


 その言葉に、ウェリンの胸中で黒い風が吹きすさんだ。

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