第10話


         ※


 ティマに心臓をぶち抜かれた男の死体は、そのまま屋内に捨て置くことになった。桐生の居住地が明らかになっている以上、誰もここにはいられない。

 次のセーフハウスに移動することを考えれば、死体処理など時間の無駄だ。床下のスペースに転がして、その上から厳重に防護シートをかけておく。それで十分だろう。


 この提案をしたのはウェリンだった。ロボットならではの合理性を発揮したのだろうが、今回は少しばかり早計だったかもしれない。

 何故なら、次のセーフハウスに移動する前に、どうしてもやっておかなければならないことがあったからだ。


 それはずばり、損失した咲良の左足を装着し直すこと。

 これには、機械工学に強い(というか自分自身がロボットであるところの)ウェリンが取り組むことになった。言い出しっぺだからということもある。


「わたくしが周辺のジャンクを漁って参ります。咲良殿、左足の型式は?」


 数字とアルファベットの混じった文字列を読み上げる咲良。

 そんな様子を横目で見ながら、桐生はずっとティマを視界の端で捉えていた。


 ティマは、無駄と思われる言動を一切取ろうとはしなかった。リビングの中央にあるテーブルの正面。そこでずっと、呼吸と瞬き以外の所作を取ろうとしない。

 物事を達観したかのようなその姿は、なんともちぐはぐな印象を桐生に与えていた。

 加えて、着用している真っ白なワンピースには、赤い染みが点々と散らされている。言うまでもなく返り血だ。

 年端も行かない女の子には、あまりにも不自然。不気味というか。


 桐生は眉間に手を遣りそうになったが、どうにかその手を引っ込めた。

 考えるべきは、もう一つの事案だろう。

 

「幽琳さん、上手くやってくれるのか……?」


 腕を組んで壁に背を預けながら、桐生はじっとりした視線をドアの向こうへ送っていた。


         ※

 

 そのドアの向こうでは、幽琳が咲良に肩を貸して、ゆっくりとデスク用の椅子に座らせるところだった。


「よっと……。足の方は大丈夫、咲良ちゃん? 痛みはないのよね?」

「まあね。痛覚の伝達回線は遮断してあるから」

「なるほど」


 義手や義足について、勘違いをしている人間が多すぎる。幽琳は常々そう思っていた。


 痛みを感じなかったり、他の感覚を鋭敏化したり、生身の身体よりも大きな力を発揮したり。それは十分可能である。

 だが、そもそも自らの身体を機械化した人々が、初めから好き好んでそうしたか? それを知らない人間が多すぎる。


 身体の一部が、得体のしれない無機物に置き換えられてしまう。

 その恐ろしさというか、心が侵食されるような不気味さというか、自身の人間としてのアイデンティティの揺らぎというか。

 そういった物事に、平和ボケした人間たちは注意を払わない。


 前線に立つことのない幽琳だが、いや、一定の距離を置いているからこそ、客観的に見える事物がある。そう彼女は確信している。


「幽琳? 大丈夫、幽琳?」

「え?」

「なんだか、あなたの方が深刻そうな顔をしてたから」

「あ、ううん、何でもないわ」


 顔の前で手を振る幽琳。カウンセラーのような立場を担う自分が、相手を不安がらせてはいけない。

 幽琳は、いつもより手早く心の整理をつけた。猫背だった背筋を伸ばし、だらっとした語尾を改める。


「じゃあ、またいつも通りね。咲良蓮、立場上言いづらいことはあるかもしれないけれど、秘密は必ず守ります。あなたと同じ警察関係者として、この幽琳魅月を信頼していただければ幸いです」


 決まり文句だが、この遣り取りも含めてのカウンセリングだ。

 ウェリンがいつ戻ってくるか分からないし、場合によっては中断という事態もありうる。それでも、ルーティンに従って話を進めていくべきだ。


 幽琳はそう判断し、咲良に向かってそっと手を差し伸べた。

 その手を、そっと握り返す咲良。

 苦しんでいるのはあなただけじゃない。それが伝われば幸いだ。


         ※


 咲良は、幼い頃に病気で母親を亡くしている。父親は、男手一つで咲良を立派に育ててくれたし、感謝しこそすれ、不満はなかった。


 しかし、今から七年前。

 この国の存亡を懸けた戦いに巻き込まれ、自衛官だった父親は殉職した。

 その戦い、いわゆる『自律型ロボット同時多発反乱事件』において、味方を庇った咲良の父親が命を落としたのだ。


 この事件で明らかになったこと。それは、ロボットが人間の予想よりも急速に進化を遂げているということだ。

 武器の取り扱いや作戦立案の段階において、ロボットたちは人間顔負けの『脳力』を発揮した。


 それでいて、ロボットたちの要求はシンプルだった。

 自分たちも人間と同等の思考能力を得たのだから、奴隷労働への強制参加を任意の参加とし、それに見合った報酬を与えること。

 また、自分たちで作成した新たなロボットにも、完成から最初の三年間は格差のない教育を施すこと。


 そして――もしかしたらこれが最も重要なのかもしれないが――、生身の人間との触れ合いの場を、教育環境の一角に設けること。


 しかし、それが本末転倒であることは、誰の目にも明らかだった。

 人間との接触を望むなら、ロボットたちは暴力に訴えるべきではなかったのだ。


 もしロボットたちがそこまで考えてくれていたら、あたしの父親は死ななくてもよかったかもしれない。

 咲良はいったい、何度この言葉を脳内で反芻させてきたのだろうか。


 こうして、咲良は一人きりになった。

 そして、その歪んだ家庭環境が、咲良の人生に大きな影響を及ぼした。


 こんな家族の在り方など、想像だ、妄想だ、他人の夢だと言い切ってしまうのは簡単だ。単純に、咲良本人が自分に嘘をつくだけでよかったのだから。

 だが、それがただの対処療法でしかないことを、咲良は薄々勘づいていた。


 治安やモラルが没落していくこの国にあって、輝かしい理想はすぐに錆びついてしまう。そうなってからでは、つまり心が押し潰されてからでは、とても任務に従事できない。

 だからこそ、咲良は何かを諦めている。その対象が個人なのか、国家なのか、はたまた世界なのか。

 分からないことばかりだが、自らを奮い立たせるには、どうしてもそんな小綺麗な思考が必要だった。


「咲良、大丈夫?」


 唐突に鼓膜を震わせた、幽琳の声。


「まあね。左足のパーツ、見つかった? っていうか、あたしはまだ戦えそう?」

「そうね」


 幽琳はちょっとした機材を片づけながら、そう呟いた。たったの一言だ。

 奇妙な沈黙が降り立つ中、咲良は拳銃から弾倉を抜き、初弾を取り除いた。点検整備をしようと思ったが、どこにも不調はない。


 すべきことがなくなると、ちょうどよく湯呑が差し出された。


「幽琳、これは?」

「生姜湯。温まるわよ」


 手にした湯呑は熱かったが、手離すほどではない。むしろ、エアコンで冷やされているからか、あっという間に適性温度になった。猫舌、というか猫手である咲良には有難いところだ。――しかし。


 生姜湯を飲み切る段階になって、不意に咲良の胸中が揺らぎ始めた。

 ざあっ、ざあっ、と咲良の喉元で空気が波打つ。自分がどんどん過呼吸状態に陥っていくのが分かる。一方で、自分がどこで何をしているのか、分からなくなっていく。


 かたかたと震えだした咲良の手を、幽琳はそっと自分の両手で包み込んだ。


「くっ……」

「何も我慢する必要はないわ。あなたは立派に戦っている。お父様がご存命なら、きっといくらだって褒めてくださるに違いない。だから今は、ウェリンを信じて休むのよ。あなたの義足、立派に仕上げてみせるから。少しは私に任せなさいな。ね?」


 ごとん、と音を立てて、空になった湯呑が床に落ちた。割れたり欠けたりした様子はない。

 それよりも、傷を抱えているのは咲良の方だ。こうやって少しずつ過去を振り返る機会を与えないと、傷口が膿となって、いつか咲良自身を滅ぼすことになる。


 それだけは、何としても避けなければ。それが幽琳の決意だった。

 両手で顔を覆って嗚咽を漏らし始めた咲良の肩を、幽琳はそっと抱きしめた。

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