第9話


         ※


「ここにいる咲良警部補、桐生巡査部長、幽琳博士には、お付き合いいただいたことに感謝申し上げます。また、確実な情報伝達のため、わたくしウェリン、それにティマも同伴させていただきます」


 そう言って、ウェリンはワンテンポ間を置いた。人間でいうところの、深呼吸をするような時間演出だ。


「まず、わたくしとティマが敵襲を受けたところから。敢えて詳細は伏せますが、この近辺の先端技術研究所が、何らかの攻撃を受けました。人間のお三方のところにも、直に情報が流れてくるでしょう」


 つまり、俺たちが始末した怪物は、敵が研究所を襲うつもりで放った囮だったということか。桐生はこくこくと頷いた。――のだが。


「わたくしとティマは研究所を脱出しましたが、どこへ何をしに向かうべきか、残念ながら判然としておりません。いえ、まったくの謎だと申し上げてもいいでしょう」

「……は?」


 彼の喉から、なんとも間抜けな音がした。


「い、いや、何をすべきか分からないって言われてもな……。それじゃあ警察は動けないぞ?」

「桐生、黙ってくれ。ウェリン、続きを」

「はッ」


 咲良の無感情な物言いに、桐生はひとまず黙ることにする。


「そう、一般の警察組織では、受け付けていただける案件ではないでしょう。だからこそ、外郭組織であるあなた方のお力をお借りしたいのです」

「フム……。確かに、研究所が襲われた件と合わせて考えてみれば、我々が扱うべき事案と言われてもおかしくはないわねぇ」


 なんとも平和ボケした口調の幽琳。だがその言葉には、今回の案件の内容が見事に凝縮されている。


「左様です、幽琳殿。繰り返しになりますが、ティマは何らかの特殊技術を有しているはず。どうか、彼女の身柄の保護をお願いしたいのです」

「虫のいい話ね」


 そう言って、ウェリンの言葉をぶった切ったのは咲良だった。


「ロボット同士でドンパチやるなら、場所の提供くらいはするから、後は勝手にやりなさいな。人間を巻き込まずにね」


 常に冷静沈着な咲良。今の彼女も、傍から見れば落ち着き払っている。

 だが、僅かとはいえ共に死線を潜り抜けてきた桐生には伝わってきてしまった。

 咲良がどれほど、人型ロボットを憎んでいるかということが。


 バシッ、という小さな音がした。桐生は眼球だけを動かして、咲良の左足をに下ろす。――義足のケーブルが、ほんの僅かにショートしていた。


 まさか、咲良の怒りが、義足の人工神経に支障を与えたのか? これでは、咲良がまるでロボットにより近い存在である、などと思われても仕方がない。


 咲良の過去について、桐生が知っていることはごくごく僅かなものだ。それでも、今の自分が知っていいような内容ではあるまい。桐生はそう判断し、ウェリンの方へと意識を戻した。


 ウェリンが咲良に乱暴にあしらわれても、それは仕方のないことなのだろう。それで彼が凹むようなことになってもだ。

 現にウェリンは、顔を顰めて言葉を選んで――あれ? ちょっと待て。

 そんな人間臭い思考と挙動を同時に為せるロボットが、未だかつて存在しただろうか?


 ウェリンは紛れもなくロボットだ。しかし、同時に人間であることはできない、などという理屈があっただろうか?

 ティマのことはよく分からない。だが少なくとも、ウェリンは世界でも指折りの、人間らしさを備えたロボットだ。

 もしかして、身体を構成する組織や素材が違うだけで、こいつは最早、人間の域に達しつつあるのではないか?


 自分でも知らないうちに、桐生の額には嫌な汗が浮かびつつあった。


         ※


「――。きりゅう? 桐生!」

「は、はいっ!?」


 どはあ。かぶりを振りながら、咲良は盛大な溜息をついた。桐生がぴくりとも動かず、暑くもないのに汗だくになっているのを見て、どうにかしなければと思ったのだ。


 彼の名を呼びかけ続けること、約三十回。いい加減ぶん殴ろうかと思い始めた矢先になって、ようやく桐生は意識を取り戻した。


「桐生賢治・巡査部長、大丈夫? 頭痛は? 吐き気はある? 体感気温はどのくらいなの?」

「え、あ……」

「ちょっとちょっと、そんなこと彼に分かるわけないでしょうよ。それに、今は質問責めにするのも悪手になり得るわ。少し待ってあげて」


 幽琳に言われれば従う外ない。

 咲良は鼻息も荒く腕を組んで、じっと損傷した自分義足、元・左足をじっと眺めた。


「幽琳、悪いんだけど、至急メンテナンス用のブースを作ってもらえる?」

「構わないわよぉ。桐生くん、これから頑張りすぎないといいんだけどねぇ」

「それもそうなんだけど、彼が落ち着いたらあたしの話も聞いてもらえる?」

「ほほーう? 珍しいことがあるものねぇ。いいわよ、ちょっと待ってもらうけど」


 それは構わない。取り敢えず頼みたい。

 咲良と目を合わせた幽琳は、咲良の言いたいことを見事に汲み取った。 


 それでは早速と、幽琳が腰を上げた時のこと。

 このリビングとキッチンの境目に、何かがいることに気がついた。いや、何かというより何者か、といった方が適切だろう。


 まさか、敵だろうか。自分は非戦闘員だから、拳銃どころか果物ナイフすら持ち合わせてはいないのだが。皆は気づいていないのか?

 その事実こそが、幽琳には一番の脅威であるように思われた。


 こうなったら仕方がない。

 すうううっ、と、幽琳は深く息を吸い、そして叫んだ。

 

「警察だ! 全員伏せろ!!」

「ッ!」


 真っ先に反応したのは桐生だった。しかし、距離感を掴み損ねたのだろう、何者かに拳銃を向ける前にバックステップ。足首を軽く捻り、その場で転倒。

 何者かの動きが鈍る。その隙に取り押さえにかかったのは咲良だった。


「誰だ貴様。体格からして幼児を偽装しているんだろうが、そうはいかない。何を見た? 何を聞いた? 答えろ!」


 と怒鳴りつけたはいいものの、咲良もまた、素早い回避運動を強いられた。

 ウェリンがぐっと踏み込んできたのだ。その場で繰り出されるハイキック。

 のけ反って回避しながら拳銃を抜き、敢えて件の何者かに対して発砲を試みる。


 そして、弾丸は発射された。問題なのは、ウェリンが自らの身を投げ出して眼前に立ち塞がったことだ。

 放たれた弾丸は、ウェリンの胸部装甲を僅かに抉ったのみ。まるでダメージになっていない。

 ウェリンはさっと腕を突き出し、咲良の襟を掴み上げた。


「ッ!」

「申し訳ありませんが、ティマはわたくしの護衛対象です。ティマに対する一切の暴力行為は、このわたくし、ウェリンが身を捨ててでも妨害させていただきます」


 ああ、この握力なら、素手で人間を殺すことも容易いだろうな。仕方ない。

 咲良は拳銃にセーフティをかけ、弾倉を外してしゃがみ込んだ。


「ご英断、感謝致します」


 ゆっくりと拳銃の部品を拾い上げるウェリン。その傍らには、いつの間にやら一人の女の子が立っていた。彼女がティマなのかと、桐生は認識した。


 真っ白なローブを頭から被り、その小柄な体躯を包んでいる。ぶかぶかだ。かなり痩せ気味なのではないだろうか。肘や膝に装備されたプロテクターが、余計に違和感を生じさせている。年齢も身長も、人間の基準で言えば十歳くらいか。


 人間なのかロボットなのか知らないが、こんな幼子になんらかの特殊な力でもあるのだろうか? 冗談だろう、というのが桐生の素直な感想だった。今すぐ信じろという方が、よっぽど無茶に思えてくる。


「では、わたくし共に関しまして、情報提供をさせていただきます」


         ※


 今から約四時間前。

 大規模な爆発事故が、八王子のとある工場で発生した。この工場で生産されていたのは、人型ロボットや工業製品の希少部品。さらには宇宙ステーションへ運搬される、特殊仕様のコンテナなど。


「ここで、外部から八王子市へと侵入したロボットが一機。つくば市の先端歩行機械研究所から八王子市へと、段階を踏んで忍び込んできたようです」


 そのロボットは、件の工場に侵入するや否や、全身に忍ばせておいた武器を展開した。小振りの自動小銃やコンバットナイフ、加えて電波通信妨害装置。


「まるで、その工場を急襲することに特化したような装備でした。そうして最後には自爆したのです。研究所内の、熱交換器の中枢でね」


 それはそれは。屋内にいた者たちにとっては、致命傷となっただろう。

 人間にとっても、ロボットにとっても。


「ま、待ってくれ。さっきの話と絡めると……。ウェリン、お前はティマの身柄を保護して、それから八王子にやって来たのか?」

「左様です」


 ウェリンの言葉に淀みはない。しかし、桐生も負けてはいない。


「狙いは何だ? ここで何してる? ティマを巻き込んで、今度はどんなテロをやらかす気だ?」

「そのご発言は聞き捨てなりませんな。わたくし共の自作自演だとでも?」

「ちょっと二人共! ティマがいる前でそんな――」


 幽琳が割って入ろうとした、その時だった。

 ずしゃり、という音がした。桐生や幽琳には聞き慣れない音だ。果実を握り潰したような音だろうか? それにしては、なんだか脂っこいように聞こえる。


 皆、一斉に黙り込んだ。それぞれの得物に手を伸ばし、神経を研ぎ澄ます。

 玄関ドアの方から聞こえた。それは確かだ。銃口を肩の高さにまで上げ、セーフティを解除する。

 先行する咲良と、援護体勢に入る桐生。さっと玄関に身を晒すと、そこにいたのはこちらに背を向けたティマだった。が、しかし。


「……いや?」


 もう一人、誰かがいる。成人男性のようだ。拳銃を手にしているが、その手はだらん、と脱力しきっている。こちらに向けられた顔は、恐怖に囚われた表情をしている。


 状況が把握しきれていないが、とにかくティマの安全が第一。

 そう思った桐生は、しかし鼻腔を埋め尽くす異臭に言葉を詰まらせた。明らかに、これは血の臭いだ。


「二人共、そこを動くな! 手を上げろ! こちらは警察だ、従わなければ――」

「桐生殿、お待ちを」


 そう言って割り込んできたのはウェリンだ。

 素早く駆け寄って、ティマをの両肩を握る。すると、ティマもまた腕を脱力させた。――赤紫色に染まった、生々しい腕を。


 こんな場面に慣れているのだろうか? ウェリンは桐生に、浴槽を温水でいっぱいにしておくことを指示。


「ティマ、大丈夫ですか? わたくしです、ウェリンです。敵性勢力はもうおりません。どうか安心して、お気を確かに――」


 それを聞きながら、桐生は頭がぐらり、と揺らぐのを感じた。

 何を言っているんだ? 下手をすると、ここいら中に暗殺部隊が展開されているかもしれないというのに。


 それより、今気にかけるべきはティマ本人のことだ。

 彼女の精神年齢は分からない。だがあの状況からするに、ティマが相手の男の左胸に腕を突っ込み、心臓を引っ張り抜こうとしていた。

 と、いう推測は容易に成り立つ。


 湯船にややぬるめの水道水を溜めながら、桐生はぞくり、と自分の背筋が震えるのを感じた。

 あれが、俺たちが守るべき存在なのか。――本当に? 


 場面こそ見てはいないが、ティマ自身が極めて高い戦闘能力を有しているのは紛れもない事実だ。

 そんなやつと一緒に、安全地帯にまで散歩しろと?


「……冗談じゃねえぞ」


 浴槽の水面に映った自分の顔を見下ろしながら、桐生は呟いた。

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