第8話

「ふっ!」


 咲良の戦闘体勢への移行は、実にスムーズだった。

 いったいいつの間に構えたのか。それさえ分からない速度で、ホルスターからオートマチックが抜かれる。

 蛇のような柔軟さで、減速しながら発砲。


 ダンダンダン、とリズムよく発砲音が響く。合計三発。そのどれもが、相手の頭部を抉り取る――ということにはならなかった。

 ここ、すなわち桐生の部屋に送り込まれた怪物の頭部は、並大抵のことで破砕されることのないように計算されて造られている。いくら咲良の銃の腕前がよくても、弾丸に威力がなければ意味がない。


 空中で無理やり身体を曲げて、咲良は安全な体勢を取ろうとする。が、それは叶わなかった。

 壁面に穴が開き、黒光りする腕が飛び出してきたのだ。


「ぐっ!」


 胸倉を掴まれ、ゆっくり持ち上げられる咲良。桐生はさっと腕を伸ばし、咲良が落下してきても受け止められるように備える。


 が、それも一瞬遅かった。ずずん、という音と共に、咲良の身体は床面に叩きつけられたのだ。その影は粉塵に巻き込まれ、輪郭を失っていく。


「咲良さん!!」

「蓮ちゃん!!」


 慌てて咲良の下に駆け寄る桐生と幽琳。だが、二人に心配は不要だった。


「くそっ、随分高かったんだぜ、このスラックス……」

「あっ、さ、咲良さん……?」

「あたしは平気だ。左足が義足だったお陰で命拾いした」


 よく見ると、咲良の左足は膝下から千切り取られていた。だが、その左足はごく自然に伸縮し、銀ピカの筋肉が剥き出しになっているかのように見える。

 それにしては金属的というか、無機質的である。これが咲良の言うところの義足なのだ。もっとも、それが有効活用されているのを見るのは、相棒の桐生にとっても初めてだった。


「下がれ、二人共。敵が来る」

「えっ? 敵って――」


 頭の回転の鈍った桐生。彼を包み込んだのは、先ほどと同じ粉塵だった。

 咲良に突き飛ばされながらも、桐生は目視で確認した。大柄で真っ黒な人影が、咲良の真正面に落下してくるのを。

 ズズン、という重低音と共に、再びアスファルトがぐにゃりと凹む。


 桐生と幽琳が引き下がるのを見極め、咲良は肩の高さに拳を上げた。しかし相手は何の動きも見せない。

 咲良はさっと桐生に一瞥をくれてから、再び大きな人影を睨みつけた。


「貴様、花森重工の警備ロボットだな。あたしは警視庁外郭の咲良。階級は警部補だ。対人攻撃性の高い兵器の開発を行うにあたり、貴様は大きな過ちを犯している! 処分するから、全ての火器を床に置いて――」

「ふん」


 かくん、と首を傾げる敵のロボット。それしか動きようがなかったのだ。

 それは当然の話。こいつは四肢を振り回すだけで、生身の人間を数人まとめて瞬殺できる。

 一瞬で白兵戦に持ち込み、殺傷技を繰り出せるロボットの方が遥かに有利だ。

 そのはずだったのだが……。


「あ、まさかとは思うんだけどよ、あんた、ウェリンか?」


 そう言い切られるや否や、ロボットはバックステップで桐生たちから距離を取った。


「ウェリン、なんだな? 俺だ、桐生だ! 俺たちに、害を加える意図はない! 戦闘体勢を解いてくれ!」

「……」


 沈黙が続くこと、約十秒。

 

「かしこまりました、桐生様」


 その言葉と共に、ロボット周辺の影、というか暗い空気感は、するすると引っ込んでいった。残ったのは、見慣れた人型ロボットのウェリンである。


「桐生様、ご同道の皆様、ご無事ですか?」

「それどころじゃねえよ! さっき言ったじゃないか、お客さんを連れてくる、って! それ白兵戦で迎え出るなんて、何を考えているんだ!」

「ふむ、ではご説明差し上げましょう」


 何が、ふむ、だよ。こっちは死にかけたんだぞ。

 と、いう言葉をなんとか呑み込み、桐生、それに咲良と幽琳は沈黙した。


 ジリリ、と軽い音を立てて、ウェリンは首を桐生に向けた。軽く顎を引き、桐生を見下ろす。まるで、背の高い父親が我が子に何かを語りかけるような格好になる。

 デュアルバイザー上を青白い閃光が走り、機械音声が淡々と言葉を繰り出した。


「我々のような人工的に作り出された人型のロボットやサイボーグは、専ら戦闘用の一単位として軍務に就くことを強制されている。そこに異論はない。だが、任務に支障をもたらす存在を許容することはできない」

「に、任務に支障、って……。俺は何もしてねえぞ!」

「承知しております。が、こうして部外者をのこのこ連れてこられては、わたくしも身の振り方を考えねばなりません。桐生賢治、あるいは同格の警察関係者が立ちはだかるとしたら、次こそは殴り殺してしまうかもしれません」

「かあ……」


 桐生は片手を髪に突っ込み、ぐしぐしと掻き回した。


「まあ、いいよ。いや、よくはないんだけど……。とにかく、今ここにいるのは私も含めて三人共あなたの味方! 助けに来たの! ティマちゃんをね!」

「……ティマを、助ける……?」

「あーもう! 耳の穴かっぽじって聞いときなさいよ!」


 ふと、桐生は顔を上げた。

 ティマって誰だ? 咲良の口ぶりからして、ウェリンにとって重要な人物のようだが。


「さあティマ、出ていらっしゃい」


 ウェリンの後方、何らかのドアが軋む音。とてててて、という、どこかあどけない足音。

 その小さな人影は、黒煙と月光を纏うようにして桐生たちの前で足を止めた。


「こ、この子が?」

「左様。わたくしが一命を賭して守るべき存在です」


 ぽん、とウェリンは子供ロボットの頭に手を載せる。


「私はティマ。人間でいえば、十歳相当の行動を取るようプログラミングされた機体。現在、本国における最高機密文書の搬送作業中」

「……」


 まったく以て子供らしからぬ自己紹介だ。まあ、ロボットなのだから仕方がない。


「と、いうわけです」


 ウェリンだけが、随分と涼しい顔でそう言った。


「誰のせいでこんなことになったと思ってんのよ、まったく!」


 こうして、ようやっと咲良と幽琳は敵ではないロボットとの邂逅を果たしたのだった。

 あまりよくない、というより、心象的には極めて悪い状態ではあるが、取り敢えず皆が言葉を交わすように仕向ける、というところまでは成功した。


「なあウェリン、あの――」


 と言いかけて、しかし桐生は口をつぐんだ。

 いつの間にやら、咲良がティマの遊び道具にされていたからだ。

 

「お姉ちゃんお姉ちゃん! あたし、ちゃんと宿題やったよ! これくらいできれば、学校に通わせてもらえるんだよね? お姉ちゃん、ティマと約束してくれたもんね!」

「あ、ああ、やあティマ」

「今からそっちに行ってもいい?」

「うん、構わないよ」


 不器用に片手を上げて、ティマを制する咲良。

 慌てて拳銃をホルスターに仕舞い、軽く跳躍して跳びついてきたティマを抱き留める。


 どうやら先ほどまでの銃声や打撃音は聞こえなかったらしい。

 いや、そんなはずはないな……。そうか、勉強に集中していて、外部のことまで気を配ることができなかったのか。


「ねえねえ、この人たち、だあれ? お姉ちゃんのお友達?」

「ええ、そ、その通りだよ、ティマ」


 不器用な笑みを浮かべつつ、屈みこんでティマと視線を合わせる桐生。それからティマの瞳の奥を覗き込むように、じっと姿勢を保った。そして、やはりそうかと理解した。


 ティマの、日本人離れした西洋人形のような顔つき。そこには一対の眼球があって、くるくると回転している。

 問題は、ぐいっと眼球が大きく動く瞬間だ。小原は気づいてしまっている。ティマが目で対象物を捕捉すると、眼球の周辺にカメラのシャッターのような動きが見られるのだ。


 早い話が、ティマもまたロボットなのである。

 ティマは、傍から見ただけでも分かるくらいに天真爛漫な子供だ。こんな彼女がロボットだとは。

 一見しただけでそう察せられる人間は多くはあるまい。それこそ、眼球をじっと観察し続けなければ。


 桐生がティマの相手をしている間に、咲良とウェリンは極真剣な話し合いをしていた。


「おい、説明はあるんだろうな」

「説明とは何についてでしょうか、咲良殿?」

「何について、だと? あたしも桐生も危うく死ぬところだったんだぞ! 負傷者も多数だ。この被害について、お前は人間に対してどう詫びるつもりだ?」


 咲良は決して自分を過大評価する人間ではない。だが桐生は、今の咲良の言葉には同感だ。咲良の近接格闘能力は、警官どころか武装警察、ましてや自衛隊の一部の部隊にも勝るとも劣らない。


「了解しました、咲良警部補。とんだ無礼を」

「ああ、いや。突然押しかけた責任はこちらにあるからな……」


 腰から身体を折ってお辞儀をするウェリン。その肩を、咲良はぎこちない所作で起こそうと試みた。


「皆さん、聞いてください」


 やや弛緩した空気を裂くように、ウェリンの声が響いた。


「今日、皆さんに同行をお願いしたのは他でもありません。彼女――ティマの命を守るためです」


 ほう。いったいどうして、俺と咲良警部補がそんな役割を担わされているのか。

 そのあたりは、少しずつ理解を深めていくしかない、か。

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