第7話【第二章】
【第二章】
駐車場に出ると、一台の偽装パトカーが滑り込んできた。羽場の愛車だ。
彼はあまり現場に出ないだけあって、犯罪者に狙われるのも稀だ。急ハンドルを切る必要性を感じないのだろう、完全自動運転に切り替えられている。
かつて運転席があった場所(ハンドルが取り付けられているのはその名残だ)に腰を下ろし、羽場は煙草を咥えながら脱力しきっていた。
羽場敏光の名誉のために補足すれば、彼の日常は極めて多忙である。現場に出ないとはいっても、警視庁やら各県の警察庁、果ては自衛隊にまで出向く案件がある。
白兵戦や銃撃戦、電波妨害時の通信手段の確保などの実践的な訓練を見学したり、逆にアドバイスを与えたりして帰って来るそうだ。
「ご苦労なこったな……」
儂もとっくに七十過ぎか。道理で疲れるわけだ。
羽場はやれやれと肩を竦めた。今晩はきっと、録画してきた立体映像で研究会だろう。さして吸ってもいない煙草を、羽場は無造作に握り潰した。
「ジンロウ部隊、及びその助力にあたった戦闘員は、直ちに第三会議室に集合せよ。繰り返す――」
※
敵性勢力を駆逐すべく、熱心に研究する。それは結構だが、あたしたちだって精一杯やっているんだ。事件が起きていない時だけでも、ソファに横にならせてくれ。
羽場による招集放送を聞きながら、咲良は頭を抱えたくなった。
軽く奥歯を噛み締める。警部補という中間管理職としての厳しいところを、実感させられる思いだった。
羽場はデスクに両肘をつき、片手を頬に当てて黙考している様子。
軽く会釈してから、咲良は適当に席に就いた。隣には、桐生がさっさと腰かける。
「ところで、咲良警部補」
「何?」
「あの車、俺たちにも使わせてもらえないんですか?」
あの車、とは当然、羽場がたった今降りてきた車両だ。
咲良が、あー、だの、はー、だの気のない返事をしていると、警視庁のメインエントランスから数名の黒服姿の男たちが出てきて、羽場とメインエントランスの間に整列。
二列に向かい合うように並んで、ザッ、と敬礼した。
「いいですね、あれ」
「あれって? 何だ」
「羽場警視の出迎えです! 俺もいつかあんな風に出迎えてほしいです!」
「ほれ」
「がッ!?」
羽場の車とはなんの関係もない。ただ単純に、自分の気に障った(ような気がした)ので、咲良は桐生の脳天に拳骨を落とした。
「やめておけ、二人共! 行儀の『ぎょ』の字も知らんのか?」
じとっと睨みを効かせる羽場。できる限り、鬼気迫る表情を作ってみた。
鏡がないので、自分の顔がどうなっているのか、分かったものではないが。
「行儀のいい悪いじゃなくて、ちゃんと躾をしてやってるんじゃねえか!」
「結局は暴力なのねぇ。嫌になっちゃうわぁん、こんな男くさい職場……」
そう言ったのは、幽琳魅月だった。コートを羽織って、何の違和感もなくすぐ後ろの席に座っている。
それに対して、咲良が小声で罵声を浴びせる。
うるせえ、ほっとけ。
そう言って胸ポケットの煙草を取り出そうとして、しかし咲良はすぐにその手を引っ込めた。
このタイミングで煙草を吹かしたら、桐生の機嫌は間違いなく損なわれるだろう。
しかも、ここには幽琳魅月がいる。少なからず彼女の霊感に信頼を置いている人間としては、ここで戦線離脱されるのはマズい。余計なことはされたくないし、逆にこちらから迷惑をかけたくもない。
そんなことを、咲良は考えていた。
※
三人は、昨夜に桐生が帰宅したのと同じ道路を走っている。
たとえ同僚に対してでも、自分の家やセーフハウスの場所、立地、半径一キロメートルあたりの目印になりそうなものは、全て最高機密として扱われているはず。
本来、咲良が一人の部下に対して、こんな世話を焼くことなどあり得ない。
だが、桐生に対して気を遣っているのは明らかだし、咲良本人までも奇妙だとは思わなかった。
今更ながらそんなことに思い至った咲良は、我知らず眉をハの字にしていた。
たかが部下一人に、一体何をしているんだ。馬鹿馬鹿しい、とっとと首を刎ねればいいのに。
咲良が長い溜息をつくのと、桐生が呟くのは同時だった。
※
「あら、見えてきたわねぇ」
「ええ。もうじきですよ」
「ん、あ、おう」
思索に耽っていた咲良は、自分が車外に吹き飛ばされるような感覚に囚われた。
ずるり、とスーツの背中がシート上を滑り落ちる。
大丈夫かと羽場に問われた咲良は、額に掌を当て、シートの上で頭を抱えながら、酔ったみたいだ、と一言。
「吐くならシートの足元にあるエチケット袋へどうぞ。車内で吐かれてもいいですけど、羽場警視に叱られますからね」
「わっ、分かり切ったことを言うんじゃねえ……」
実際、咲良に嘔吐感があったわけではない。酔ってしまった、などというのは、思わず逃げ道として使ってしまった方便だ。本当だったら、吐き気を催すくらいの心理的ダメージであってほしかったというのが本音だが――。
「死んだ人間は、誰も帰って来やしねえ……」
事情を悟ったのか、幽琳は咲良の背中を擦り始めた。
「お二人共、もうじき最終障壁です。振動をもろに受けないように、耐ショック姿勢をお願いします」
二人分の、了解、と言う復唱が、豪奢な車内に響き渡った。
※
この周辺は、かつて海上工業地帯として繁栄を約束された場所だった。
しかしそれは、飽くまでも『約束』に過ぎなかった。年々高騰する建築費、同様に増していく維持費、果ては政治家の裏金問題や海外からの圧力。これらが束になってかかって来たのだから、このプロジェクトは呆気なく頓挫した。
結果、陸地側の工業施設類には、貧困にあえぐホームレスたちが住み着いた。
しかし、この海上施設計画の全てが失敗に終わったわけではない。陸地と海上建築物を繋ぐ、一本の橋。
通称『ブリッジ・オブ・ヘヴン』。
そう呼ばれるその橋は、文字通りホームレスたちからは天国と言ってもいい。
何故なら、その橋を渡った先には、輸入を間近に控えて座礁した大型タンカーがあるからだ。
それが何を輸入しようとしているかと問われれば、誰しも顔を顰めるだろう。
麻薬、爆薬、違法な医療薬物、休眠中の生物兵器。そして、起動命令をじっと待ち続ける戦闘ロボット。
どうして桐生はこんなところに住んでいるのか? 何故、咲良はここを桐生の居住地として宛がったのか?
理由は単純で、ブリッジ・オブ・ヘヴンを渡って生きて帰ったホームレスがいなかったからだ。
しかしながら、人間以外の危険生物や生物兵器たちもまた、このタンカーに籠って出てこない。どうも、外気が彼らの体表とすこぶる相性が悪いらしい。
それはさておき。
幽琳は、静かに眉根を引き攣らせた。
憐みとも哀しみともつかない、複雑な感情が見て取れる。
「情けは不要ですよ、幽琳さん」
そう言いながら、桐生は後部座席に身を乗り出して、じっと咲良の目を覗き込んだ。
「あ、あ……あたし、無意識の間に地雷踏んじゃったかしら……?」
「いえ。でも――」
「昔の相棒がな」
そう言って会話をぶった斬った咲良は、目を閉じて腕を組んだ。どさり、と不愉快さ満点の音を立てて、尻をシートに押しつける。
実は、たったこれだけの情報ですら、桐生にとっては初耳だった。
確かに、あのタンカーへの突入作戦が立案されてこなかったわけではない。だがその案は、上層部からことごとく却下されてきた。
理由は単純。あまりにも危険であり、警察側の人間に死者が出るであろうことが容易に想像できたからだ。
もちろん、耐火・耐放射能装備を施したロボットに突入させることはできた。
しかし、それすらも謎の『倫理的』だとか『非人間的』だとかいう胡散臭い言葉で封印させられた。
こんな時のための人型ロボットだろうに、と、大石はぐっと奥歯を噛み締めていたものだ。
「着きました。階段を上ってください」
「お邪魔するわね」
「ああ……」
軽く手招きする桐生、気遣わし気な幽琳、口元に手を遣った咲良。
「ここで少し待ってください」
部屋の主、桐生がそう言ったのは、裏口に通ずる扉の手前の踊り場だった。
ゆっくりとリボルバーを抜き、こんこん、と拳で扉を叩く。
それから桐生は、すっと人差し指を立てて口元に当てた。
「全員で一気にドアを押し込んで――」
とが言いかけた直後、どがん、という轟音と共に扉が吹っ飛んだ。
奇跡的に桐生は無傷だったが、いつまでもそんな幸運が続くとは思えない。
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