第6話

「よし、データを転送してくれ」

「は?」


 桐生は呆気に取られた。何を言ってるんだ、このロボットは。

 訝しげな顔を見せると、ロボットは深々と頭を下げた。


「ああ、これは失礼致しました、桐生様。なにぶん、生身でいらっしゃる人間と交流を持つのは大変久しいことでして」

「は、はあ。ん? 今俺のこと、なんて呼んだ?」

「はい、桐生様、と」


 桐生の脳裏で、警戒信号が発せられた。


「なあ、どうして俺の名前を知ってる? 個人名に繋がるものは、今日は携行していなかったはずだが」

「これは失礼致しました、わたくし共の有する意思通信デバイスから取り寄せた情報なのです。桐生賢治・巡査部長殿」


 なんだ、相手の身分を洗い出すなんて、こいつらにとっては造作もないことなんだな。

 そう理解して、桐生はもう一つ問いを重ねた。


「お前、名前は? 立ち振る舞いからすると、個体名を名乗ることも許されているようだけど」

「はい。ウェリンと申します。元々は、単なる執事役だったのですが……」

「ですが?」

「ある人物、いや、ロボットの警護を任されたのです。現在わたくしと、警護目標である我が主人は、悪意ある者共との遭遇を避けて事を進めております。ロボットの、人間に対する一斉蜂起を防ぐために」

「一斉……蜂起……?」


 突然のスケールの拡大に、桐生はあんぐりと口を開けた。


「左様です。しかしそのためには、わたくしが彼女の護衛を努めなければなりません。現在、わたくしと主人は、人間側の警察と、ロボット側の過激派、その両方から狙われております」


 桐生は口元に手を遣って沈黙した。つまり、護衛任務を手伝えと言いたいわけか。

 何故ウェリンとやらが、人間側を頼るのか判然としない。しかし、ここ最近の治安情勢を鑑みるに、ロボットの方が犯罪を起こす割合は高い。

 だからこそ、より安全な知的存在である人間に助けを求めたわけか。


「ちょ、ちょっと待ってくれ」

「かしこまりました」


 律儀に頭を下げるウェリン。彼を横目に、桐生は自分の携帯端末を手に取った。


《こちら咲良。どうかしたのか、桐生?》

「非常事態です。咲良さんにも、僕が持ち合わせているのと同じ情報を――」

「ああ、そういうことでしたか。少々お待ちを」

「え?」


 桐生がぼんやりしていると、咲良への通話は一方的に切られてしまった。


「何をしたんだ?」

「先ほど、桐生様にお示しした説明を立体映像で咲良警部補にご覧いただいております」

「そ、そうなのか」


 静かな時間が、一秒、また一秒と流れてゆく。


「ふむ。咲良蓮・警部補もまた、あなた様と同意見のようです」

「意見って、俺は何も――」


 するとウェリンは、人差し指を軽く口に当てた。そのまま右腕を差し出し、掌を上に向ける。そこに現れたのは咲良だった。肩から上が映っている。立体映像だ。


「咲良さん! あの、これって……?」

《まずは無事で何よりだ、桐生。ウェリン、あなたの主人の映像を、桐生にも》

「かしこまりました」


 いや。いやいやいや。


「あ、あんた、分かってるのか? 俺は警視庁直轄の、暴走したロボットや生物兵器を駆逐する特殊部隊の人間なんだ。あんただって、下手なことをしたら容赦なく――」

「もちろん、桐生様のお立場は理解しております。しかし」


 ウェリンはふっと右手を振って、立体映像を消し去った。


「申し訳ございませんが、少々我慢していただく」


 そう呟くや否や、甲冑は左手を掲げながらずいっと踏み出してきた。


「おっ、おい、動くな!」


 桐生は素早く拳銃を抜いたものの、発砲前に軽く腕を捻られた。一瞬の激痛に、ごとり、と拳銃が床に落ちる。


「ぐっ!」

「騒ぐことはありません、桐生様。あなたを傷つけるつもりはない」


 僅かに桐生とウェリンの手先が触れ合う。

 その時だった。未だかつてない情報の波が、指先から上腕を伝って脳を直撃した。意識に反して、手先から肩までがぶるぶると震える。

 しかし桐生にとって、それは不快な感覚ではなかった。ただ、全身がぽっかりと宙に浮かんだような、捉えどころのない浮遊感に囚われている。


「桐生様、あなたには一時的に意識を喪失していただく。連行いたしますが、その間のあなたの身の安全はきちんとお約束いたします」


 実に穏やかな声音。それに包まれて、桐生の意識はゆっくりと闇に沈んでいった。


         ※


 翌日。

 昨夜から消息を絶った桐生の身を案じ、咲良は会議室内を行ったり来たりしていた。時折、携帯端末を取り出しては、繋がらないことを承知で怒鳴りつける。


「桐生? 桐生巡査部長! あたしだ、咲良警部補だ。貴様、何をやってる? さっさと携帯に出ろ!!」


 幸いにして、この施設内の部屋は全て防音性・耐火性に優れている。いくら咲良が喚き散らしたところで、部屋の内部には響いてこない。――はずだったのだが、咲良の声はドアの向こう、フロア全体にまでだだ漏れだった。

 緊迫した空気が、咲良の胃を余計にジリジリ焼いていく。


「あの野郎、いったい何を考えていやがる? どこに行きやがった?」


 落ち着きなくフロアの廊下を闊歩していると、反対側から若い刑事がひょっこりと現れた。僅かに口元を震わせている。


「あっ、咲良警部補、こんなプリントがあなた宛てに……」

「見せろっ!」


 紙束を分捕り、目を通す。しかしさっぱり頭に入ってこない。

 どうやら桐生は無事のようだが、詳細は書かれていなかった。


「……これじゃあ交番勤務に逆戻りだぞ。覚悟しろよ、桐生」


 ぐしゃり、と片手で書類を握り潰す咲良。しかし、そのバリバリという耳障りな音は、途中でぴたりと止んでしまった。

 急に手を止めた咲良に、何があったのだろうか。周囲の視線が集中する。


 そこにいたのは、誰あろう話題の中心人物、桐生だった。

 慌てて駆けてきたらしく、随分と荒い息をついている。


「おい待て! 止まるんだ、桐生巡査部長! お前にはいろいろと訊きたいことが――」

「はあっ、あ、ちょうどよかった! 来てください、咲良警部補!」

「へ?」


 桐生の挙動に、咲良は驚いた。そればかりでない。あまりに強い勢いで腕を引かれ、体勢を崩されたのだ。正直、仰天した。


「あ、あたしが何をしたっていうんだ? 現役の刑事なんだぞ!」


 桐生が喚きながら連れられて行くことしばし。前方から妖艶な声がした。


「あぁ~ら、さっちゃん! 久しぶりに会えると思ったら、随分とだらしのない格好ねぇ……」

「あっ、お前、幽林魅月! どうしてここに……?」

「こちらの幽林魅月さん、知り合いの伝手で出会ったんですけど、咲良さんとお知り合いみたい、ですね」

「そうなのよぉ、けんちゃんの言う通り! さあさあ、『東洋の魔女』の威力を発揮してもらうわよぉ~ん!」


 清楚でシンプルな美貌の咲良蓮と、グラマーで煌びやかな装飾品を全身に纏っている幽琳魅月の言い争い。

 まあ、こうなるのは桐生にだって分かっていたつもりだ。だが、こんな呼ばれ方をするのは予想外だった。


「あー、お二人がお知り合いだってことは分かりました……。俺からも、お二人にお会いしてほしい人……いや、その……と、とにかく女の子がいます。近辺で保護されているようです。会っていただけませんか?」

「あらぁ~ん? アタシというものがありながら、他の女性を部屋に連れ込んでるのぉ? 隅に置けないわねえ、桐生くんも!」

「幽琳さん、誤解を招くようなことは言わないでください」

「ジェンダーフリーってやつよ! 男も女も自分らしく生きていけばいいのよ、細かいことは気にしないで!」


 あわあわと顔の前で腕を振る桐生に、呆れた様子で眉間に手を遣る咲良。


「なんとなく事情は察したぞ、桐生。今車を回すから、出動準備だ」

「出動って……。私があなたを誘ったのは、彼女の話を聞いてほしかったからです! 武器を持ち込むなんて!」

「命令だ、巡査部長。君はまだ若い。死地を歩ませるわけにはいかない」

「……」


 こう言われてしまってはどうしようもない。桐生は了解の意を伝えた上、廊下を横切って自分のデスクへと向かって行った。


「あぁらあら! いい子じゃないのよ」

「馬鹿言え。とんだじゃじゃ馬だ」

「あなたに組手で勝てるかしらね? あなたの左足、点検期間を過ぎそうだけど、大丈夫なの?」

「気にすんな。ただの義足だよ」


 と言ったところで、桐生が大股で廊下に出てきた。


「さ、行きますよ、お二人共」


 くすくすと笑いをこらえる幽琳に、ぐいっと髪を撫でつける咲良。

 今は二人についていくしかない、か。


「え~? せっかくなんだし、ちゃんとファーストネームで呼んでよぉ!」

「断る」


 こうして、三人はパトカーを拝借して小原の住む地下アパートへと向かった。

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