すべて消えてしまえ

すべて消えてしまえ


 振動は花瓶に触れた。怒声をかみ殺すことができず、そうしてふるった拳は机に異様な音を立てた。ただ静かな空間で、どん、と耳になじまない音が聞こえた。ふるった拳の内側がひどく痛む感覚を覚えた。


 それをしたのは私であり、それを耳にしたのも私だった。


 ここには私しかいない。だから、少しは道化に狂う仕草も許されると思った。


 紙を眺めていた。それ故の現状だった。茶封筒に記された名前を見て、ただでさえ憤りを隠すことができなかった。その中身を見て、怒声をあげて、拳をふるうしかできなかった。


 外でそれを行うことはない。だから、この瞬間を許されるのかどうか、一人で、独りで考えてしまった。





 線香の匂い、もしくは死の匂いがした。


 その香りは不快感をまさぐるものではなかったが、嫌悪感を催させるものとしては十分だった。


 爛れた線香は煙をあげて、そうして鼻腔をくすぐる。


 それを死者の弔いとするのは許せない。でも、そうすることでしか生者は息をすることができないのだから仕方がない。


 憂鬱が波を立てることはない。感情が複雑に彩られることはない。そうすることが自然なのかもしれない。人としての道理を、人としての何かを失った気持ちになるのは誤りかもしれない。凪だけがここにある。鏡のように置かれている彼らの写真に対して、線香の煙をまぶすようなことをしている。それを許されるのかどうか。


 程なくして、気にすることは無意味だと気づいた。


 死者に対する弔いは、死者に対して行われるものではない。死者がそれを望むことはない。望むことができない。感情がない。感情を得るための器がない。


 私がそれでも弔いを続けるのは、続けてしまうのは、どうやっても死者を現在の自分から切り離すことができないから。


 彼らはもう帰ってこない。そんなことはよくわかっているはずだ。彼らは過去にしか生きていない。それでも、私は線香をあげ続けるのだろう。


 香り立つ空気は肺を絆す。目にしみた煙は涙腺を刺激した。それは感情から生まれる涙ではなかった。それだけが確かなことだった。





 車に乗ることができなくなって、数か月ほど経った。別に、私が車に乗ろうと乗らざるとも、何かが変わることはない。でも、移動手段にそれを選ぶことはできないでいた。


 一度、ハンドルを握ろうとしたことがある。固い感触を確かめて、どこか遠くに逃げてしまおうか、そんな思いのままに私は車を運転しようとした。


 できなかった。


 えずいてしまった。


 喉元に絡む吐き気は嗚咽となって口から出た。咳を重ねて、その上で吐き気を嘔吐として解消しようとした。


 長らくまともな食事を摂っていなかったことが幸いだったのかもしれない。ただ水のようなものが目の前を汚したこと。結果として残ったのはそれだけだった。


 きっと、彼らはそんな私を笑うのだろう。


 別に、気にしなくていいのに。


 彼女は、あの子はそう告げてくるはずだ。


 どうだろう、私の妄想でしかないからわからない。


 車を見るたびに郷愁のように過る、助手席に座る彼女と、後ろでシートベルトを締めることを誇りだとでもいうように笑うあの子の姿。


 彼らがもう帰ってくることはない。





 雨の日は車を使おう、そう思い立って、それからも何度か車の運転席に乗り込んだ。


 ブレーキを踏みながらエンジンをつけた。きりきりと回転が悪いことを知らせるような機械音が耳に障る。パーキングレンジにシフトは置いたままでアクセルを踏んでみる。メーターの回転数は高まるが、そこから速度がゼロより上を示すことはなかった。


 カーステレオが起動する音がする。ポケットに突っ込んでいた携帯の接続する音が流れて、勝手に曲を流してくる。望んでもいない楽曲、嫌な気持ちになりながら、携帯を開くこともなく車側の操作でそれをゼロにする。


 ただエンジンの駆動音がなるだけで、私はそれ以上のことを行うことができなかった。


 灰皿はなかった。もともと煙草を吸っていたのは私だけであり、それを嫌う人間はいなかった。でも、あの子が生まれてからは、あらゆる人に対して煙をくぐらせることがひどく怖くなって、そうして灰皿は捨ててしまった。


 車のサイドには珈琲のスチール缶があった。いつの珈琲だったかを思い出すことはできない。


 苦いものが好きじゃないはずなのに、なぜか大人ぶろうとして飲んだ残骸。つまむようにもって、それを振ってみれば、中からちゃぷちゃぷと音が聞こえる。


 嫌な気持ちになりながら、やり場のない気持ちを消化するために、私はポケットにあった煙草を取り出した。


 ライターを家に忘れてしまったけれど、特に問題はなかった。ハンドルの奥、メーターの手前にライターがあったから。


 積み木のように重ねられたライターの数。四段ほどに重なっていて、それぞれ形が異なるために不安定。そのうちのひとつを上から取り出す。


 一つ目、火はつかなかった。かちっ、と火をつけようとする意志を感じさせたが、それ以上に何か反応はなかった。


 二つ目、火はついたが、すぐに燃料を失っていると気づかせてくる。中の液体が消耗したのか、枯れてしまったのかはわからない。


 三つ目になって、ようやく適切に火がついた。私はその火を咥えた煙草に近づけて、煙を車の中で漂わせる。窓を開ける気にはならなくて、白くなる視界の中、ごほごほと咳をすることしかできない。


 どうでもいい。この咳も、煙も、匂いについても。気にする人間は誰もいない。いるのならば配慮してやる。


 でも、いないのだ。どこにも、彼らはいないのだ。





 今日も手紙が来ていた。茶封筒に書かれている名前は特に変わっていない。中にはきっと謝罪の文が書かれているのだろうが、その文を見る気にはなれなかった。見れば、また憤りのままに行動をしてしまうだろうから。


 どんな謝罪が繰り返されていたとしても、それは死者に対するものではない。


 誠実さの欠片も存在しない。


 自らに抱く感情を整理するための言葉でしかない。


 それをするのは不義理でしかない。


 手紙を読んでも、そんな気持ちしか抱けない。だから、もう手紙を読むことはやめた。


 手紙を読むことで救われることはない。


 救われるのは、書いた当人の気持ちだけであり、彼らに対しての謝罪であったり、もしくは残された私に対しての謝罪であったりは何一つ存在しないと思った。


 何が、本当にごめんなさい、だ。


 何が、申し訳ありませんでした、だ。


 何が、本当に反省しています、だ。


 何が、後悔しています、だ。


 本当に死者に向き合うのであれば、そう易々と言葉は生まれないはずだ。


 もし、彼らが生きていたとしても、そんな謝罪には意味がない。


 自己満足だ。


 ひどく傲慢だ。


 それを見せつける意味はないだろう。


 酔っているのだろうか。


 謝罪を重ねる自分に酔っているのだろうか。


 気持ちが悪い。


 自慰行為なら勝手に一人でやっていてくれ。


 いちいち振舞いを続けることで謝罪を示すのはもうやめてくれ。


 今日も私は煙草に火をつける。手紙を煙で燻して、面倒くさくなってそれを灰皿にしてやる。


 もう、どうでもいい。


 謝罪も何もいらないから、すべて目の前から消えてくれないだろうか。



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