第4話
朝起きて。隣にいる小さき魂に心奪われて。
それは今、台所に立って朝食とやらを作ってくれている。
ふよふよと動く小さな後ろ姿を見つめていると、なんだかいけない事をしている気分になり、朝の鍛錬をしてくると言い残し、庭に出た。
身のこなしを一つづつ確かめ、気を高める。
魔法で仮想敵を生成し、本気の殺し合いに挑む。
脳裏に浮かぶのは、褐色肌の彼女。
守るべきものができた。
この手で守り抜く。
体が軽い。いつもより力がこもるが、余計な力みは無い。
脳がクリアだ。敵の一挙一動が手に取るように分かる。
ここの防御は捨てる。お返しに急所攻撃を打ち込む。
そうして、ついに仮想敵が霧散したところで、マツリが声をかけてきた。
「うわ…、何してんの。泥だらけじゃん。ご飯できたから、きれいにしてから入るんだぞ」
「ああ。すまぬ」
頭から尾の先まで浄化の魔法をかけてから、家の中に入る。
昨日採った色とりどりの木の実が並ぶ。そして、熟して落ちた木の実のようなものが瓶に詰められている。
「……何じゃこれは?」
「ジャムだ。パンに塗って食べるんだけどなー、麦がないとパンは作れないんだ。だから今日は麦を採ってきてくれ。庭に植えればたくさん採れるようになる。そうしたら毎日パンを焼いてやろう」
「パン……? ああ、本に載っていた茶色くてふわっとしていそうな物か。」
「ああ。魂の深いところがパンを求めてるんだよ。今日は無いから、ジャムを舐めて、フルーツを食おう。ああ、コーヒー豆が欲しいな」
「コーヒー豆?」
「コーヒー豆があれば、コーヒーが作れるぞ」
「おお! 菓子と共に飲むというものか!」
「ただ、ここの風土では生えていないだろう。お前の力で創ってくれ。我はまだ力が足りておらん。なにせこんな小さな依代だからな」
そう言って、あの大切な菓子がある寝室を見やる。
言葉のない時間が流れる。
腹が減った。君のような香りのするジャムとやらをひと舐めする。
甘い。舌がとろけるような強烈な甘みと、森の香り。
「驚いたか? 少し、松の葉を入れてみたんだ。昨日の籠の中に付いておったぞ。季節が進めば、若い松かさだけのジャムも作ってやろう。……C'est la culture russe.」
「あれは食えんと思っていたのだが……。マツリにはいつも驚かされる」
果物と、ジャムを交互に口に運ぶ。彼女の手が入るだけで、全く違う食べ物になっている。
ひと口ずつ味わい、瓶が空になった。
「すごい食べっぷりだな……。1週間分のつもりだったんだが……」
「……すまぬ」
「まあ良い。また木の実やらを取ってこい。そうしたらまた作ってやる」
また。また、か……。
「ありがとう」
「……さ! ほら! 片付けは我がやっておく。お前は外にでも行ってこい! 視線がいちいちいやらしいんだ! 食べもしないくせに!」
思わず目を逸らす。
「言っておくが、我の寿命はもって200年だ。100年前だろう? お前が母親に加護をかけてもらったのは。今のお前にはあれ以上の加護は掛けられん。覚悟はしておくんだな」
「……分かった」
「そもそもこの状態が、不自然なんだ。すぐにお前の胃に入るべきものがこうして延命され続けている。違和感がずっと残っているんだ。良いかミノリ、食べ物は食べられるためにそこにある。こんな風に加工された物なら尚更。その事を、ゆめゆめ忘れるなよ」
「ああ」
「そんな顔をするでない。ほれ」
マツリが近づいて。
自分の姿がその目に映って。
それから、頬に何かが触れた。
「いってらっしゃいのキスだぞ。なはは、驚いたか!」
何が起こった。
マツリの唇が、儂の頬に触れて。
キス……された。
「な、何か言えよー! こっちが恥ずかしくなってきたではないか! さ、ほら、行った行った!」
鼻先をぐいぐい押して、非力な体でどうにか進行方向を後ろに変えようとしている、その姿が愛おしい。
服の後ろのリボンをひっ掴み、そのまま抱きしめた。
「いつかそなたに、とっておきの魔法をかけよう。永遠を作る魔法を。それまで待っておれ」
「……早く食ってくれよ。そうしてくれれば、お前は強くなる必要なんて無い。我の存在が入り込む事で、勝手に強くなる。そうなればお前の母親にだって勝てるかもしれんぞ」
「儂は自らの力で強くなる。そして、マツリと共にいよう」
「……お前は。でも諦めないからな。これが我の性だから」
「ああ。……行ってくる」
「ん。行ってらっしゃい」
朝の空気を歩いて。それから、この熱を燃料に走り出した。
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