第40話
まさか散々【アンダーガイア】を悩ませてくれた存在が、突如としてこの場所に出現するとは、状況的に最悪という他ない。
その能力的に、唯一対抗できそうなのは井狩だけだが、その彼も今や反動のせいで誰よりも足手纏いとなってしまっている。
(ったく、マジで空気を読まねえ奴だな、コイツは!)
岩熊よりも遥かに……いや、比べる方が間違っているほどに巨大な体躯。全身を筋肉の鎧で纏い、醜悪で凶悪な面相は、一目見た者を震えさせるほどの威圧感を放つ。
事実、奴と直面している者たちは、まるで金縛りにあったかのように硬直している。
「――しっかりしろっ、お前たち!」
そこへ喝を入れたのは、さすがの井狩だった。彼だけは表情を強張らせてこそいるが、それでも恐怖に慄いてはいない様子。
その声で皆の意識に火が点り、井狩のもとへと集まってくる。
幸いなことに、オーガはこの空間に生まれて少しは身動きをしない。そういう設定なのだ。とはいっても、すでにここはオーガの狩猟範囲に入っている。
あと少しで、十束たちに牙を剥くはずだ。
「いいか、絶対に戦おうなどと思うんじゃない! 何とか全員で撤退するんだ!」
井狩の言葉に反論する者などいない。誰だって、あんなバケモノと真正面から戦いたくはないだろう。たとえ、以前仲間を殺されたとしても、だ。
何の準備もなくボス級の相手と戦っても、待っているのは確実な死だけだ。
全員の意思が統一されたのはいいが、怪我人を運びながら逃げるのは骨が折れる。
それに……。
「……ガァ?」
オーガの出現硬直が終わったようで、奴の視界に十束たちが映ると、凄まじい咆哮を上げた。その音だけで地面が震え、鼓膜が痛くなるほど。
「っ……井狩さん、俺が囮になります! だからその内に皆をここから避難させてください!」
そう提案したのは及川だ。確かに誰かが囮にでもならない限り、犠牲は多くなるだろう。
「何を言ってるんだい? 君ももう戦える状態じゃないだろ!」
井狩の言う通り、岩熊にやられたダメージで及川も鈴村もボロボロだ。まともに戦闘できる身体ではない。とてもではないが、囮すらできそうにない。
「しかし、誰かが奴の気を引かないと……!」
及川の言葉も正しく、それ故に井狩は苦悶の表情を浮かべている。ただし、井狩の中では仲間を囮になど使いたくはないだろう。ましてや、それで自分が生き残るなど考えてもいまい。
「……ぐっ、なら……私がやる……だけだ」
明らかに井狩の強がりだ。両足も震え、支えがあってようやく立っていられているのに。
「それは無茶ってもんよ! ここは私が……!」
「いや、鈴村のダメージの方がデカイ。ここは俺がやる!」
「何かっこつけてんのさ、及川! 私はまだやれるよ!」
幹部の意地か、二人が言い合いを始めている間にも、オーガがゆっくりと、それでも確実にこちらに向かってきている。
ただ、その時に横たわっている岩熊を見つけ、彼を手に取ると、そのまま大口を開けて口内に放り投げた。
嫌な音が周囲に響き渡り、その光景を見た者たちの顔色が真っ青になる。
(…………しょうがねえか)
こうしていつまでも話し合っている時間もない。とりあえず十束の目的は、綿本の無事を最優先すること。ならば最善はコレしかなかった。
「――俺が奴を食い止めます」
当然、十束の発言には井狩が反発する。
「ダメだ! 君は……君にはやらなければならないことがあっただろう?」
前に井狩に話した、どこかにいる家族を探すという目的のことだ。
「君は自分の命を守るべきだ。いや、誰だってそうだ。そうするべきなんだよ」
「……確かにそうですけど、井狩さんたちには世話になってますし、あなたたちを見捨てて自分一人で逃げたら、何かこれから先、楽しく過ごしていけない気がするんで」
「そ、そんなことで……」
「はは、まあ何とかなりますよ。この中で俺だけがまだ万全の状態ですしね。だから囮役もこなせる可能性は高いです」
「咲山くん……」
「それに井狩さん、あなたも自分の命は大事にしてくださいね。そうするべき、なんでしょ?」
「っ………………すまない」
これで井狩は説得できた。あとは……。
「……咲山さん……っ」
不安気に十束の服を掴んで震えている綿本。そんな彼女の手にそっと自分の手を重ねる。
「大丈夫だっての」
「で、でも……!」
「ちゃんと帰るから、その時はまた美味い飯でも食わせてくれ」
そう言うと同時に、食事が終わったオーガが臨戦態勢に入って、今度はこちらに迫ってきた。
綿本は、鈴村に手を引かれて、半ば強引にその場から離れていく。
「咲山さん! どうか! どうか無事に帰ってきてください! 絶対! 絶対ですよっ!」
去りながらも、十束に向けて言葉を放つ綿本。そんな彼女とともに、【アンダーガイア】の者たちが全速力で逃げていく。
それを追おうとするオーガだが、その前方に十束が立ち塞がった。
「悪いけど、お前には俺と遊んでもらうぞ」
正直、まともにぶつかれば、今の俺でも容易く殺されてしまう。
(けど俺には攻略知識もある。それに……〝アレ〟も試しておきたかったところだしな)
十束は、脳内でオーガの情報を整理しつつ身構える。
オーガは、まるで取るに足らない獲物でも見るような眼差しで、その手に持っている金棒を軽く十束に向けて振るう。それだけで始末できると思ったのだろう。
しかしそんな容易くやられるわけはなく、十束は大きくバックステップをして回避。
攻撃が当たらなかったことで、不愉快そうにオーガの表情が歪む。
「そんなんで俺が殺せるかよ。ほらほら、鬼さんこっちら、手のなる方へ」
パンパンと手を叩きながら、軽やかにステップを踏みつつ挑発する。
馬鹿にされていることが伝わったようで、オーガが本意気に十束に殺意を向けてきた。
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