第31話

 ――【アンダーガイア】。


 少し前まで、絶望に苛まれ陰鬱な空気で満たされていたが、今は陽気な感情で溢れ返っていた。

 その理由は、人々の目の前にある山のように積み上げられた数々の食料だ。


 オーガによって仲間が殺され、また食料調達が困難になったことで、誰もが今後の生活に不安を持っていた。


 地下拠点という比較的安全な場所に身を置くも、まだここは出来たばかりであり、『ベースマスター』である井狩に対する信頼度も低かったろう。

 加えて潤沢ともいえない食料事情。


 だが、井狩たちが持ち帰ってきた豊富な食料を見て、井狩をよく知らない者たちも、彼ならば信頼できると判断できたはずだ。

 その証拠に、多くの『民』たちが井狩のもとに集まって礼を言っている。


 料理に腕を覚える者たちが、獲ってきた食料を調理し、腹を空かせた者たちに配給していた。皆が、特に子供たちが「おいしい」と、食べながら笑顔なのが喜ばしいことだ。


「へへ、いい雰囲気じゃねえか。なあ、咲山よぉ」


 目の前の光景を見て、嬉しそうに笑みを浮かべながら海東が近づいてきた。彼の身体には、幾らか生傷があり包帯も巻いている。


「海東さん、怪我は大丈夫なんですか?」


 モンスター討伐で負った傷ではない。その前の【ブラックハウス】との対戦が原因だ。結構傷も多く、井狩には休息を取るように言われていたが、〝ベース〟で待つ人たちのためにもと、痛む身体を押して狩りに向かったのだ。根性のある男である。


「にしても、お前さんは無傷だもんな。大したもんだわ」

「たまたま相手が弱かっただけですよ」


 いや、そんなことはない。事実、二桁レベルが二人。戦い慣れた血も涙もない連中だったのだから、序盤では強者であることに間違いないだろう。

 もし十束が、『界の勇者』でなかったら、逃げを優先していたはず。


「けど相手は『勇者』だろ? しかも二人だ。それなのに無傷で倒せるのは井狩さんだけだと思ってたからな。お前さんがここに来てくれて助かったよ」

「はは、まあ初日でいきなり対人戦闘させられるとは思わなかったですけどね。事情が事情ですし、仕方ありませんでしたよ。それよりも、全員が無事で本当に良かった」

「……だな。もう仲間を失うのはコリゴリだしよぉ」


 遠い目をする海東。聞けば、オーガに殺された仲間の中で、仲が良かった者もいたとのこと。


「ところで、お前さんが連れてきた嬢ちゃんはどうしたんだ?」

「あー調理を手伝ってますよ。何でも料理が得意みたいで」


 嬢ちゃん――綿本は、ここに来た際に、助けてもらった恩返しのために何かをしたいと口にしたので、彼女の特技を目一杯活用してもらおうと思ったのだ。

 調理担当の女性たちと一緒に、今もその腕を振るっている。


 井狩からは、狩りに出かけていた者たちに対し、今日はもう休むように言われていた。

 十束も十分働いたと思っているので、あとは食事をして休息するつもりだ。

 どこか休める場所を探していると――。


「――あの、咲山さん!」


 声のした方に振り向くと、そこには二つの器を持った綿本が立っていた。


「これ、どうぞ! 美味しいですよ!」


 一つの器を差し出してくる。どうやら豚汁を持ってきてくれたようだ。


「私も奥様方から食べてくるように言われたので……その、良かったら一緒にどうでしょうか?」

「……分かった。じゃあ、あそこでいいか」


 通路の壁に大きな穴が開いていて、その前には座るのに適した瓦礫がある。その上に腰かけて食事することにした。

 器の中には、ゴロゴロと大きめの野菜が入っていて、美味そうな肉もたっぷりだ。この一皿で十分に腹を満たすことができるだろう。


「えへへ、この人参もお肉も、咲山さんが獲ってきたものなんですよ!」

「へぇ……って、あれ? これ……豚肉じゃねえな」


 どう見ても鶏肉だった。確かに十束が狩ったのは、肉系ではレッドコッコだけだから鶏肉で間違いない。豚汁ならぬ鳥汁だ。


「あ、結構美味いな。それに……あったまるわぁ」


 野菜もホクホクと柔らかく、肉も噛み応えがある。何よりも、この味噌の温かな風味と味が、心に穏やかさを与えてくれた。


「……あの、聞きました。少し前、ここの人たちが大勢死んでしまったことを……」


 どうやらここの連中に、オーガの件を聞いたらしい。


「……皆さん、命を懸けて戦っているんですね。……生きるために」

「ああ、そうだな。ここでは『勇者』だろうが『民』だろうが関係ない。生きるために力を合わせて戦ってる。モンスターとも……人間ともな」

「っ…………お父さんもお母さんも無事でしょうか……?」


 やはり家族が気になるようだ。無理もない。まだ高校生の女の子なのだから。不安だし寂しいはずだ。


「私が住んでいた家……古書店を営んでいたんです。両親も私も本が好きで。だから私は幼い頃から毎日いろんな本を読んできました。それこそ……こんなふうにファンタジーな世界のも……。いつか、私も本の中の主人公たちみたいに、楽しい冒険ができたらって思ったこともあります」


 それは彼女だけではなく、十束もそうだし、多くの人たちだって夢想したはずだ。


「けれど……幻想は幻想のままだからいいんだって……今はそう思います」


 確かに、幻想という物語は魅力的だ。魔法、スキル、アイテム、冒険、ダンジョン、モンスター、どれも心惹かれるものばかりである。


 しかし、こと幻想が現実化したらどうだ? ライトノベルなどにある剣と魔法の異世界に転生したり転移したりして、そこで生き抜くことになったとしたら……。

 それはきっと、平和な近代文明に育てられた者ほど苦しむことになるかもしれない。


 大体、物語の主人公のように、何かしら特化したものを持っているとは限らないのだ。それまで平和な日本で生きていた人間が、突如モンスター蠢く世界に降り立ったとして、本当に平穏無事に過ごせるだろうか?


 好きな漫画やアニメ、ゲームや映画もないかもしれない。料理の種類だって、圧倒的に低い水準かもしれない。身分差が大きく、奴隷制度などもあって、毎日を生きるのに必死かもしれない。


 スキルや魔法が使えても、主人公のように十全に扱えるとは限らない。現代科学と魔法、どちらが便利かは、実際に体験してみないと答えは出ない。それでも幻想に惹かれるのは、ただただ無いものねだりをしているだけだろう。


 だが、それを実際に経験することになれば、多くの者が不幸に見舞われる可能性が高いと思われる。

 その証拠が、今。


 こうして突如、幻想のような世界に踏み込み、最高の幸せを感じている者は少ないだろう。

 十束だって、熟知しているゲームだから前向きに楽しめているだけ。もし、何も知らずにいたら……そう、海東や綿本みたいに、突然平和をぶち壊されて、大切なものを奪われたら?


 きっと世界に絶望し、生きる気力すら持てないかもしれない。もしくは、すでにモンスターや悪人に、この命を奪われている可能性だって高い。


(幻想は幻想のままだからいい……か。その通りかもな)


 少なくとも、十束のような考えを持つ者こそが少数派なのだと、綿本の言葉を聞いて今更ながら実感した。


「それでも死にたくなきゃ、生き続けるしかねえ。両親に会いたいなら……な」


 こんなおざなりな言葉しかかけられない。それが酷く残酷だと知っていても。

 特に彼女は『民』だ。戦い抜く力は弱い。誰かに縋るしかないのだから。

 十束の言葉をどう受け止めたのか分からないが、彼女は静かに俯いたままだ。


(はぁ……こんな時、女慣れしてるイケメンなら、もっと気の利いたことを言うんだろうけどなぁ)


 こんなことならもっと、女性社員と会話をして経験値を貯めておくべきだった。とは思いつつも、そんな度胸なんてないからこその今なのだからと苦笑してしまう。


「――お、ここにいたのかよ」


 そこへ、沈黙を断つ声が聞こえた。


「! 海東さん……?」


 話しかけてきたのは海東だった。


「井狩さんがお前に用があるってよ……って、おっとっと、もしかして邪魔しちまったか?」


 隣に座る綿本を見て、何かを邪推しているようにニヤニヤしている。

 綿本は、最初ポカンとしていたが、次にハッとした後、今度は照れた様子で俯いた。


「はぁ……分かりました。綿本さん、鳥汁美味かった。ありがとな」

「え、あ、は、はい! お粗末しゃまでしゅた!」


 明らかに動揺しているが、これ以上、海東にからかわれるのは面倒なので、さっさとその場から動くことにした。




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