第10話

 これは十束が、まだ称号リセットに勤しんでいる頃。


 変わり果てた東京のある場所に存在する古書店で、一人の少女が両膝を抱えて蹲っていた。




 いや、古書店といっても、その名残が微かに残っているだけで、建物は瓦礫の塊と化し、風化した本や棚の欠片がそこかしこに散乱している。




(な、何で……何でこんなことに……っ!?)




 瓦礫の隙間で身を小さくして、まるで置物のように動かない少女。 


 少女の名は――綿本千読わたもとちよみ。




 この古書店が、立派に経営していた頃、看板娘として働いていた女子高生である。


 いい歳になっても毎日ラブラブで、結婚記念日旅行に出かけていた両親の代わりに店番をしていた。そう、ほんの数日前まで。




 千読は読書好きで、本に囲まれていると幸せを感じられる性分だ。両親がいたら、外に出て遊べだの、友達と遊べだのうるさい。だから平和で、平穏で、静かに読書ができる環境を得られた日々を満喫していた。




 それが今、自分の愛する本たちは、そのほぼすべてが形を崩し、まともに読めなくなっている上、両親が一生懸命経営してきた店そのものも崩壊し、苔や蔓や草などで埋め尽くされてしまっていた。


 地球と同様に、自分の小さな世界だった店もまた見る影もなく変わり果てていたのである。




(お母さん……お父さん……っ)




 脳裏に浮かび上がる両親の笑顔。二人は無事なのか、無事ならどこにいるのか。


 結婚記念日で沖縄に出かけた両親は、今頃どうなっているのか、それを知る術は千読にはなかった。




(スマホもないし……これから一体どうしたら……)




 千読は、少し前のことを思い出す。


 それは、見知らぬ無人島にある砂浜に横たわっていた時のことだ。




 誰かに誘拐でもされたのかと思いきや、そこには自分一人しかおらず、島には動物や昆虫の姿さえ発見できなかった。海の中も覗いてみたが、魚すら一匹もいないという異常性だけが確認できた。何よりも、だ。




(このゲーム画面みたいなもの……)




 目の前に開かれたシステム画面。そこには自分の名前とともに、レベルやらパラメーターなどが記されていて、まるでゲームの世界に飛び込んだかのようだった。




(これって……異世界転生とか、転移とか……そういったものなんでしょうか……?)




 あらゆるジャンルを読み漁る千読は、ライトノベルというジャンルで、異世界ものも読破していた。その中に、突然ゲームの中に転移したり転生する物語がある。


 そんな主人公のような体験が、まさに今、自分の身に起こっている。信じられない話だが、夢でないことは、ここ数日で痛いほど理解していた。




 無人島にあった謎の渦の中に入ると、変貌を遂げた自分の住んでいた街に出た。周りからは悲鳴や怒号などが聞こえ、モンスターと呼ぶような怪物もウヨウヨしている。




 必死に逃げ回りながら、何とか自分の住む家――つまり古書店へ帰ってきたのだが、そこは記憶にある家とはかけ離れた、崩壊した建物の残骸だけがあった。


 ただ僅かながらも、自分の家だった名残を発見し、そこが目的地である事実だけは認識することができたのである。




 あまりの衝撃的事実に、どうすればいいのか困惑して立ち尽くしていたが、近くからモンスターの人ならざる咆哮が轟き、怖くなって、崩壊した店の瓦礫の隙間に身体を滑り込ませて隠れたのだ。


 恐怖でその場から動けず、気づけば二日ほどが過ぎてしまっていた。




(喉も……乾きましたし…………お腹も減りました……)




 あの無人島での出来事から、飲まず食わずで三日目。そろそろ空腹が辛くなってきた。


 こんな時、本があれば、文字を目で追っていれば、空腹なんて忘れることができるのに、と床に落ちている紙の破片を見つめながら思う。




(もし……本当にここがゲームみたいな世界になったなら……私なんて何もできないですよぉ……)




 冒険譚を読み、一度くらいは自分も主人公たちのような旅をしてみたいと思ったことはある。モンスターを倒し、魔法を使い、ダンジョンを探検する。


 そんな憧れくらいは、人並みに持っていた。しかし、実際に体験することになれば、きっと自分は何もできないことも自覚していたのである。




 絶対的なインドア派であり、行動力もない。コミュニケーション能力も決して高くないし、旅なんて危険性の高いこともできそうもない。


 そんな自分の性格をよく知っていたから、ただただ妄想することしかできないし、それで満足していた。




 だがまさか突然に、ゲームでいえばハードモードでスタートすることになるなんて誰が予想できただろうか。


 サバイバル技術を持つ屈強な男でも、生き抜くのが困難なこの環境で、読書しか趣味のない自分が生き抜ける世界ではない。




(それに……)




 千読はシステム画面を見ながら深く溜息を吐く。




――――――――――――――――――――――――――――――


ワタモト チヨミ    Lv:1  NEXT EXP:8




HP:10/10    BP:0  SP:0


ATK:F DEF:F+ RES:E 


AGI:F HIT:F+ LUK:C




スキル:


称号:民


――――――――――――――――――――――――――――――




 あまりにもパッとしないステータスを見て、またも溜息が出る。


 記されている文字などに触れれば、その文字の説明が浮き上がり、何がどんな意味を持つのか教えてくれるのは親切だが、そこから察するに、自分のステータスが非常に心許無いものだということも理解させられた。




(『民』……かぁ)




 初期の称号には『勇者』と『民』の両者が存在し、《勇者ガチャ》で運が良ければ、能力の高い『勇者』を引き当てることができたらしい。


 しかし千読は、その最初で最後の運命のギャンブルに負けてしまった。




(はは……私らしいですよね)




 何も持たず、将来性の無い『民』。平々凡々で、こんな世界では何の役にも立たない、足手纏いにしかならない存在。自分にピッタリだと自嘲する。


 思えば、これまでの人生でも主役になったことなどない。教室の片隅で、静かに本を読んでいるような目立たない女の子。




 運動も得意ではないし、特技があるわけでもない。強いて言うなら、一度読んだ本の内容なら暗記できるということか。けれど、その知識を活かせるような行動力もない。




 ゲームや漫画でいえば、主人公たちの物語にすら関わることのないモブ。いてもいなくても構わないNPCのような存在だ。まさしくどこにでもいるような『民』そのもの。




(せめて『勇者』だったら……何か違ったんでしょうか……?)




 そんな力があったら、自分も変われたのかもと思うが、それも過ぎ去った選択。今更悔やんだところで仕方のないことだ。運にさえ見放されてしまったのだから。




(このまま……死んじゃうんでしょうか……)




 モンスターに見つかって殺されてしまう。そんなのは嫌だ。でも、いずれこのままだと、最終的にどうなるかは検討がつく。


 飢餓状態が続くのだから、このままだと衰弱で死に絶えるだろう。かといって、食料を探すにも、もしモンスターに遭遇してしまえば、逃げられるとは到底思えない。




 短距離走も長距離走も苦手な自分は、全力疾走しても捕まってしまうだろう。そうなったら千読には、もう抗う術はない。


 誰かに助けを求めたいが、それもまたここから出ていかなければならない。




(そんなの……怖いです……っ)




 今も耳を澄ますと、たまに誰かの悲鳴や、モンスターの気配を感じる。とてもではないが、足が竦んで身動きができない。




(どうしましょう……本当にどうしたら…………お父さん、お母さん……)




 何も良い案が浮かばず、千読は静かに目を閉じた。






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