第1話

 ザザー……ザザー……と、心地いい波の音が十束の耳朶を打つ。

 震える瞼。静かにゆっくりと動き出す。


「っ…………ここ、は?」


 視線の先には、雲一つない青空が広がっていた。


「外……? あれ……俺って……」


 まだ思考が定まっていない。何故なら空をこんなふうに見上げるなんて、かなり久しぶりなのだ。いつも見ていたのはパソコンか、寝落ちしそうになって上を見上げた時に見た会社の天井である。 


 いつもいつも人工的なものばかり見ていた。家にも帰っていないし、外にも出ていない。缶詰め状態だったので、こんな感じで気持ち良ささえ感じる空を見上げたことは記憶に久しい。いつ外に出たのか、完全に十束には覚えがなかった。

 上半身を起こしながら、自分が一体何をしていたのか探るために周りを見回す。


「……え、ちょ……これどういうことだ?」


 十束は思わず唖然としてしまう。それもそのはずだ。何故か、目の前には海が広がっていたからである。


「海? 何で海が……訳が分かんねえ」


 十束が寝ていた場所は砂浜。そして、目前には水平線が綺麗に走る大海原が映っている。

 海など、十束はもう数年も行ったことがない。大学生の時に、友人に誘われ一度足を延ばしたことがあるのが直近の思い出だ。


 一体自分の身に何が起きたのか、十束はおもむろに立ち上がると、今度は身体で全体を動かして周囲を確認する。

 背後には森が広がっていて、頼りの看板なども見当たらない。人も建物も見つからず、まるで孤島にでも放り込まれたような感覚に陥ってしまう。


「お、落ち着け……まずは状況整理だ。俺に一体何が起こった? 何でこんなとこに……そもそも俺は会社でバグ取りをしてたはずで……!?」


 そこでようやく十束は思い出す。

 会社でデスマーチをしていた時、外は悪天候で雷がうるさかった。そして突如現れた、謎の紳士。その後は……。


「あの時、死んだって思ったけど……生きてる、よな?」


 両手を握っては開き、軽くジャンプなどもする。痛みも感じるし海の匂いも伝わってきた。つまり自分は生きていると実感できる。

 恐らく会社に轟雷が落ちて、その衝撃で会社ごと吹き飛び死んだ……と思っていた。


 しかし十束は、こうして怪我一つなくピンピンしている。ただ、何故砂浜で寝ていたのかが分からない。


(雷の衝撃で会社から吹き飛ばされた……とか? いや、さすがに現実的じゃないよな)


 都内には海などないし、一番近くでも二十キロ以上は離れている。

 以前ハリケーンに見舞われた海洋生物が、何十キロメートルと離れた街中の空から降ってきたという事件は耳にしたことはあるが。さすがに雷の衝撃で、二十キロ以上も吹き飛ばされたなんて妄想もいいところだ。


 それに仮に吹き飛ばされたとしても、こんな風に無傷なことがあるだろうか? 

 またあの日から、幾分か時が経っているのも分かる。何故なら、この場所が晴天だから。まだ数時間程度なら、ここにも雨風の影響は残っているはず。しかし見渡す限り、平穏そのもの。砂浜も湿っていないし、海だって荒れていない。


 ということは、自分がかなり長い間、眠っていたのではないだろうかと推測できた。


「……ああけど、マジで分からねえことばっかだ。ああっ!? てか納期!? マジであれからどんだけ時間が経ったんだよ!」


 開発途中だったゲームのことを思う。だがもう納期日は間違いなく過ぎており、十束が楽しみにしていた最高傑作のゲームが、日の目を見ることがないことを知り絶望した。


「くそっ……あとちょっとだったのに……っ」


 せめてあのまま会社で作業できれば、すべてのバグを取り除くことは不可能でも、何とかギミックのように誤魔化し、一応の間に合わせはできたかもしれない。

 そうして一度発売した後に、アップデートで修正パッチなどを使い完全なものに仕上げることも方策としてはあったのだ。ただ、それはもう叶わぬ夢と終わってしまった。


「俺が、最初から最後まで全力を尽くした初めての作品だった……ちくしょう……ちっくしょぉぉぉぉぉぉぉぉうっ!」


 十束は、叫び声を上げながら海の方へ猛ダッシュしていき、そのまま飛び込んだ。

 水面を拳で叩き、水中で何度も蹴り上げる。他者から見れば、とてつもなく危ない奴でしかないだろう。しかしそれだけ悔しいのだ。


 辛くて逃げ出したくなるゲーム開発だったが、それでも頑張ってこられたのは、『ブレイブ・ビリオン』を自分の手で完成させたかったから。

 しかもあともう一息というところで、それがあっさりと頓挫してしまった。


「はあ……はあ……はあ…………恨むぞ、雷めぇ。このクソ天災がぁぁぁぁっ!」


 自然災害に怒鳴ったところでどうしようもないことは分かっているが、上げた拳の行き先なんてなく、この憤怒の気持ちをぶつけるには、そうして言葉を吐くことでしか発散できなかった。


 十束は、プカプカと水面に浮きながら、ぼう~っと空を見上げる。

 思えば、こんな風にゆっくりとした時間を過ごしたのは久しぶりだ。


「空って……こんなに広かったんだな」


 このまま流されてしまっては目も当てられないので、十束は砂浜へと戻っていった。


(あーこれからどうしよう……)


 すべてが台無しになったということは、現在十束にはやるべきことが何もないということ。


(会社に戻っても、結局どやされるだけだろうしな)


 あの我が儘な社長に、どこをほっつき歩いていたんだと言われるだけ。いや、そもそも会社がまともに存在しているのかどうかすら怪しい。いっそのこと、あの雷ですべてが吹き飛んでくれていた方が、とも少し思う。


「もういっそのこと、このまま一人旅でもしてみるか……はは、案外それもいいかもな」


 自嘲気味に笑みを浮かべていると――ピコン。

 無機質な音が頭の中に響くと同時に、目前にゲームのシステム画面のようなものが出現した。


「…………は?」


 さっきまでそんなものはなかった。十束は頭を振ったり、その場から移動したりしてみたが、画面は目の前についてくる。


「一体コイツは……っ!?」


 よくよく観察すれば見覚えがあった。いや、あったどころの話ではない。


「これって……『ブレイブ・ビリオン』のシステム画面? え? 何で?」


 それは自分が開発していたゲームに出てくる、登場人物たちに与えられたステータス画面だった。名前やレベルといった、いわゆる個人のステータスを表示するもの。



――――――――――――――――――――――――――――――

サキヤマ トツカ    Lv:1  NEXT EXP:8


HP:15/15    BP:0  SP:0

ATK:F DEF:F RES:D 

AGI:F HIT:F LUK:A


スキル:

称号:民

――――――――――――――――――――――――――――――



 十束は一通り確認して、これが間違いなく『ブレイブ・ビリオン』のユーザーにとって、非常に重要なシステム画面だと気づいた。

 何故なら、このステータス表記もまた十束が関わっているからだ。


「けど何でだ? 何でこんなもんが見える?」


 パソコン画面を通して、幾度となく見てきたものではあるが、こうして現実に出現するなんて、当然思ってもいない。


「でもやっぱり称号は……『民』か」


 このゲームにおいて、この称号システムが一番の肝であり、基本的にこの『民』というのはユーザー以外が有する称号でもある。


(どういうことだ? こんなもんがあるなら、ここは現実じゃなくてゲームの中ってことか? そういうラノベやアニメを見たことがあるが、まさか……)


 するとその時、見ていた画面を覆い被さるように、また新たな画面が出現した。



 ――――《勇者ガチャ》――――

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