バナナの皮で滑ったことはあるか?
中今透
はじめに「バナナの皮で滑ったことはあるか?」
バナナの皮はそのままでは滑らない。上から踏んづけて皮の内側がヌルヌルとした液体に変わることで、摩擦が激減されるそうです。この時の摩擦係数は、0.066。スキーに迫る数値です。
実はコレ、イグ・ノーベル章を受賞した北里大・馬渕教授らによって証明されたものなのです。
時代を遡りましょう。一体、いつ、誰がバナナで滑るなんて突拍子もないネタを生み出したのでしょうか?
いつものようにグーグル先生にお聞きすると、『世界の三大喜劇王』と呼ばれるバスター・キートン主演の『キートンのハイ・サイン』(1921年)が最初のようです。
日常生活において「バナナの皮で滑れば面白いんじゃないか?」という発想はまずもって出てこないと思います。しかし、今やそれは当たり前のネタとして捉えられてます。
我々小説を書く者としては、これくらいぶっとんだ発想があっても良いのではないだろうか、と思い紹介した次第です。
とはいえ、21世紀のこれまで、ありとあらゆる分野において様々な作品が発表されてきました。後世になればなるだけ、身動きが取れなくなってくるように感じます。流行に乗っかることもできますが、生憎とひねくれ者の私は、私が演出した私の舞台で踊りたいのです。
(流行は繰り返されるものなので、それに乗っかることは決して悪いことではない、と一言付け加えておきます)
ただ、これだけは言えるでしょう。
富士山の山頂で朝日を浴びる、一人の若者と一人の老人がいるとします。二人はそれぞれ年齢に差があり、歩んできた経験も異なれば、価値観も感性も異なります。
そして、富士山から眺める朝日を浴びて、感じるものもまた異なります。
この感受性の違いこそ、あらゆるひらめき・情動・理解の新たなる発見になるのだと。
我々には差異があります。
その違い――自分だけの経験・感性・価値観こそが、『バナナの皮で滑ると面白い』という想像力・発想力の源であり、可能性であるのだと思うのです。
さて、次回からは様々な人のお力を借りて、創作を探求していきます。
創作論というよりは、私にとって大事だと思える創作の考え方をまとめる思考整理に近いものです。そこから、何か創作のヒントが見つけられると尚ヨシ!
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