何かに美を感じたとき、自分を美しいと思える私

島尾

美(私の場合)

 元旦、神社へ初詣に行ってみました。3社巡ったのですが、そのうち2社は非常に歴史ある大きな神社でした。まずO神宮へ、次にH大社へ向かいました。「向かいました」と書きましたが、最初からそこに行こうと思ったわけではなく、巨大な人流に流されて自分の意思とは関係なく「物質移動」していたと表せます。鳥居の前の参道は大量の人と車両で埋め尽くされ、家族連れやカップルたちがたくさんいて、私のような孤立しやすい者は嫉妬半分羨望半分で合計ゼロ、すなわち結果的に無心になれました。


 ところで私は神社や寺、特に歴史のある巨大なそれらに対して畏怖の念と悠久の時を感じずにはいられない瞬間があります。例えば屋根です。H大社の檜皮葺ひわだぶき(檜の皮を使って葺く工法)や、グイッと下に凸な曲線、屋根の上にもこもこと生える苔類。先人が編み出した技術の粋と、自然が生み出す造形が組み合わさっていて、そういうのを目撃すると「神」のようなものの存在を感じます。いろんな種類の美が次から次へと生まれていて、もちろんそれは個人の感覚でしかないものの、「人それぞれに違った美的感覚を持てる」と言い換えれば、なんとも奥深い世界だと思えてきます。


 ところが、正直言って今回のO神宮とH大社参拝では、そういった美を十分堪能できませんでした。理由は単純、人が多すぎたからです。


 ある対象に美を見出す際、自分とその対象の2集合以外の別の集合はすべてノイズまたは邪魔で不要な存在であると感じます。対象を構成する全要素を私の五感又は第六以上の高次の感覚でもって解析し美を見出すプロセスは、自分を対象の中に完全に浸した状態が必須でしょう。H大社の場合、先人の生み出した檜皮葺の層状構造の発明、神を祀るために最もふさわしい曲線・曲面が生み出す幾何学的な美、自然が生み出した檜の茶色や苔のランダムな配置、そして太陽光や風、あるいは雨や雪、敷地内に生える植物や細い水路を流れる水の透明感並びに音、など。挙げればきりがない美の要素を、自分の体の全部の面を通じて「感知器」とし、自分の頭の中で一つの美の形が生まれます。別時刻の別条件であれば別の形の美が生まれるでしょう。そこに、私はある種の神秘性を抱きます。「誰々を祀った」その「誰々」よりも、敷地内部の美そのもののほうが神だなぁと感じます。そこにノイズが1個加わればすなわち「神が傷つけられた」ということになり、何千何万と加わればもはや美もへったくれもない単なる「神社」という建物になり果てます。同時に「感知器」だった私自身も消滅し、ただの「人」として人流を構成するパーツに成り下がります。賽銭も、二礼二拍一礼も、鈴の音も、社の中でドコドコ打ち鳴らされる太鼓の音も、そして屋根の檜皮葺も、「美」からはるかに遠ざかった空間に浮かぶ虚無的な要素に成り下がり、私は何のために訪れたのか最後までまったく理解できないまま帰りました。


 そして次に訪れたのがHY神社です。ここは、私が世界で最も好きなとあるアニメの聖地であり、何年も前から自分にとって神域で、過去に何度か訪れたことのある場所です。アニメの聖地巡礼というのがありますが、「聖地」というのは決して比喩ではないと思います。自分がそのアニメに救われた経験を持っているので、HY神社のみならず登場したすべての場所(橋の下や公園のベンチ、砂浜、とにかくすべて)が神域となっています。それらの自分にとって特別な場所は、全国的に有名な○○神社とか○○大社などとは次元の違う美が存在し、少々のノイズはどうでもよくなります。このことから言えるのは、私にとって、「○○という作品を書いた著者の□□先生は神」「あの最高のアニメを作った△△アニメーション会社は神」というフレーズは不適切で、適切な表現は「アニメが神」「作品が神」です。著者や製作者はノイズであり、自分が作品を見て感じ入ったときにはすでにその作品は作者の支配を離れて私の感情を揺さぶっています。私個人においては、「神作品」があっても「神作者」は存在し得ません。


 O神宮やH大社には山のように人が訪れていたのに対し、HY神社には誰もいませんでした。規模や歴史を考えれば当然で、それ自体は問題ではないです。しかし山のような人たちが何に重きを置いているかというと、初詣という儀式を楽しむことであり、神社全体の美など二の次三の次だろうと思います。私のような独り身の者は、どうしてもそこに違和感を抱きます。その都度、ものごとの新しい見方や自分独自の深く美しい世界観を、大切にしていきたいと思う次第です。

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何かに美を感じたとき、自分を美しいと思える私 島尾 @shimaoshimao

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