第4話 お隣さんは私の体臭ガチ恋勢

「おじゃましま~す」


 今日も今日とて瑞乃さんの家にお邪魔する。


 鍵は開いていたから家の中にいるはずだけど、リビングは電気が点いてなくて、物音一つ聞こえない。


「仕事部屋…かな?」


 こういう場合、瑞乃さんは大抵仕事部屋で執筆に集中しているか、メンタルブレイクして自室で寝ていることが多い。


 今日の朝ごはんを一緒した時は「最近すっごい筆が乗ってさ~」とご機嫌だったし、多分メンタルは大丈夫なはずだから、仕事中の可能性が高い。


 私を膝の上に乗せた方が執筆に集中できると言っていたし、私も瑞乃さんに包まれながら作業を眺めてうとうとするの好きだから、スクールバッグをソファに置いて仕事部屋に向かった。


「失礼しまーす…あ」


 ガチャリと部屋の扉を開いて入室すると、瑞乃さんが座椅子に座ったまま静かに寝息を立てていた。


 作業中に眠ってしまう姿なんて今まで見たことないし、珍しいものが見れたとそこはかとなく嬉しい気分になる。


 …もしかして、筆が乗り過ぎて朝ご飯もずっと書いてたのかな。


 普段中々見れない寝顔を覗こうとこっそりと近付き、膝を折って覗き込む。


 相変わらず整った顔立ちで、普段はおっとり天然しつつも落ち着いた大人らしさがあってそれもいいけど、こうしたあどけない寝顔は普段とのギャップを感じて胸がキュンキュンしてしまう。


 いつまでも眺めていたいけど、流石に抱え膝の体勢が辛くなってきて立ち上がろうとした際、ふと、パソコンが起動したままなことに気付いた。


 どうやら放置していても暗転しない設定にしているらしく、現在執筆中の文章が見えてしまう。


 一文を軽く読み流して、ある違和感に気付く。


 あれ…この話、いつも書いてるのと違う。


 直感的にそう感じてマウスを操作してみると、『隣に住んでるJKの体臭にドはまりしてしまった件』と言う謎のタイトルが付けられていて、軽く読んで見ると、登場人物がそのまま私と瑞乃さんで、内容も私たちが初めて会った時の流れが瑞乃さん視点の語り口調で書かれていた。


 前に、瑞乃さんは酔った時の記憶は覚えてるタイプと言っていたけど、『日向ちゃんは私の家に上がる際、「お、お邪魔します」と律儀に挨拶を言っていた。礼儀正しくてとてもいい子と言うのが、第一印象だった。』とか、『顔面をぐちゃぐちゃにして年下にダル絡みする私の頭を、日向ちゃんは優しく撫でてくれた。改めて考えても天使だと思う。』など、結構詳細に書かれていて少し恥ずかしい。


 読み進めていくと、この前学校の帰りに偶然出くわして一緒に帰ってお風呂を貸してもらった時の話も書かれていた。


『私は「日向ちゃんは汚くなんてない」と言って日向ちゃんに抱き着いて、どさくさに紛れて匂いを嗅ぎまくった。』


『汗をかいた後だからか、いつもより強烈な日向ちゃんの匂いに頭がクラクラして、離れた後もあの匂いが忘れられず、私はどうにかして、またあの匂いを嗅ぎたいと言う欲望だけが脳内を支配していた。』


『日向ちゃんがお風呂に入った後、私は急いでリビングに向かい、スクールバッグに立て掛けられている体操着袋の口を開いて、日向ちゃんの汗の沁み込んだ体操着を取り出した。』


『私は一心不乱に体操着の匂いを嗅いで嗅いで、嗅ぎまくった。あの時はもう我を忘れてしまっていたからあんまり覚えてないけど、多分、舐めたりもした…と、思う。汚してしまった体操着はすぐに洗濯機に入れて、その時に目が眩んで日向ちゃんの下着の匂いも嗅いでしまった。』


「こ…これは…」


「日向ちゃん」


「わっ!?」


 突然声が聞こえて、驚きのあまり尻餅をついてしまう。


 見れば、異常なまでに顔面蒼白させて、今にも泣きそうな表情を浮かべた瑞乃さんがいた。


 いつの間に起きたのか、いつから見られていたのか、いや、見てしまっていたのは私の方なんだけど。


「あの、ごめんなさい。勝手に見ちゃって…それで…その、これは…」


 パソコンの方を指さすと、瑞乃さんは一層顔色を悪くさせて、勢いよく頭を下げた。


「ごめんっ!!…こんなの引くよね…私も分かってる。でも私、日向ちゃんの匂いがもう忘れられなくてっ!!日向ちゃんがよく座ってるクッションの匂い、事ある毎に嗅いじゃうしっ、日向ちゃんが抱いて寝てた枕に顔埋めながら寝ちゃうし!!日向ちゃんのトイレした後とかこっそり入って深呼吸しちゃうし!!日向ちゃんがお風呂入ってる間に下着の匂いとかも嗅いじゃうしっ!!私もう、ホントに駄目なの!!どうしようもないくらい変態なのっ!!」


 ポトリと水滴がカーペットの上に落ちる。


 日向は何と言ったら分からなくて声が出せず、それを絶句していると思った瑞乃は言葉を続ける。


「…だからもう、私、日向ちゃんとは関わらないようにするね。って言うか…自首する…。こんな危険な人間、日向ちゃんの隣にいる資格ないもんね…」


 瑞乃は一人で結論付けて、作業机の上に置いてあるスマホを手に取り、電話アプリを起動し『110』を打ち込んで通話ボタンを―――


「ちょっ、ちょっと待って!!」


 日向は慌てて瑞乃からスマホを奪い取り、電源を落とした。

 瑞乃は目を丸くして、日向の手元からスマホを取り返そうと手を伸ばす。


「ひっ、日向ちゃん、返して!!こんな犯罪者っ、早く捕まった方がいいの!日向ちゃんだって、私みたいな変態が隣人だなんて気持ち悪いでしょ!?」


「と、トイレした後に深呼吸されるのはやめて欲しいですけどっ、でも私、嫌じゃないです!!瑞乃さんにくっつかれるのも、匂い嗅がれるのも、し、下着の匂い…嗅がれるのも…だからっ、瑞乃さんと離れるなんて絶対嫌です!!これからもずっと一緒にいたいんです!!」


 日向の言葉に、瑞乃は信じられないとばかりに目を見開き、伸ばした手を引っ込めて自分で自分の手を握りしめる。


「そんなの…駄目だよ…」


「駄目なんかじゃないです」


 俯き震える瑞乃の体を、日向はふわりと抱き締めた。


「こっちに越してきたばっかで、一人で寂しかった時、瑞乃さんが傍にいてくれて嬉しかったです。いつでも家に来ても良いって合鍵までくれて、くっついてる時も、匂いを嗅がれてる時も、何でもない話をしてる時だって、ずっと私は幸せで…だから」


 日向は埋めていた肩から顔を離し、瑞乃と向かい合う形になり、再びゆっくりと近付けていく。


 触れる。


 重ねた唇が離れていく。


「ぁ…」


 瑞乃の口からか細い声が漏れる。

 離れていく日向を求めるように伸ばした手を優しく包まれて、胸に抱き寄せられる。


「好きです…瑞乃さん。私の恋人になって欲しいです」


 ふにゃりと笑う日向がどうしようもなく愛おしくて、この世で一番欲しかった言葉までくれて、拭っても拭っても涙が止めどなく溢れてきてしまう。


「私で…いいの?」


「瑞乃さんだから…です。駄目…ですか?」


 上目遣いでそんなことを言われたら、もう瑞乃に選択肢なんてなかった。


「駄目なわけ…ないよ。離れたくない…ずっと一緒にいたい」


「はい、ずっと一緒に…でも、節度は守って下さいね。いきなり脇とか舐め出したら、流石に怒りますから」


 日向はそう言いながら瑞乃の体を深く抱きしめ、首筋の匂いを軽く嗅ぐ。


「き、気を付けます…」

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