第3話 どこか様子のおかしいお隣さん
学校の帰り道、私はもう完全に力尽きていた。
元々あまり動ける方じゃないのに体育のバドミントンが楽し過ぎてつい張り切ってしまい、終わる頃には汗だくだくの体バキバキ。
「家まで遠い~…」
実際には徒歩20分程度でそこまで遠くはないが、すっかり体力を使い果たした日向にとっては果てしない道のりに感じた。
ふと、たまに寄るコンビニの方を振り向いて見ると丁度自動ドアが開いた所で、見慣れた姿が目に入り思わず「あ」と声が漏れる。
向こうもこちらに気が付いたようで、一瞬ハッとした顔になって、次にとてもいい笑顔を浮かべて、私の方に向かって小走りで駆け寄って来た。
「日向ちゃんっ!すごい偶然っ!学校の帰り?」
「はい、帰りです。瑞乃さんは…もしかしてビール?」
「ううん。ビールはネットで配達頼んでるから、おつまみ買いに。一緒に帰る?」
「あ、それ今私も言おうとしてました。私も一緒に帰りたいですっ」
何となく同じことを考えてたのが嬉しくて笑みが零れる。
そんな私に瑞乃さんは、何とも言葉に形容しがたいむず痒そうな表情を浮かべて、
「あ、あのさ、日向ちゃん。は、ハグ、してもいい?」
「ハグですか?はい、それだったら別に―――」
いや待て。
今の私は体育の授業で汗をかきまくって、一応軽く消臭はしてあるけど、それでも汚いことに変わりはないわけで、紺のパフスリーブにブルーデニムと非常に清潔そうな装いをしている瑞乃さんに抱き着くのは非常に憚られる。
そしてよく考えて見たら、こんな道のど真ん中で熱いハグを交わすのは流石に少し恥ずかしい。
「―――いや、やっぱり、駄目です」
「ぇ」
瑞乃さんはか細過ぎる声を漏らし、この世の終わりみたいな表情を浮かべて固まってしまう。
まさかそんなにショックを受けるとは思わず、慌てて補足する。
「えっと、いやそのっ、瑞乃さんとハグするのが嫌なんじゃなくてっ、今私、今日体育あったから汗とかかいちゃって汚いから―――んっ」
全て言い終わる前に、背中に手を回されてギュッと深く抱擁されてしまう。
慌てて引き離そうとするが、全く離れてくれる気配はなくて。
「み、瑞乃さん…?」
「日向ちゃんは汚くなんてない」
瑞乃はいつもより力強い声で言い切った。
そして「スゥゥゥゥ~~~」と勢いよく首筋のにおいを吸い込む。
その瞬間、ぞわぞわっとした感覚が背筋を貫き、思わず「んぅっ」と高い声が漏れてしまい、慌てて口を手で塞いだ。
幸い聞かれていなかったみたいで、特にそれについて言及されることもなく、さっきよりも強く抱きしめられる。
「分かった?日向ちゃんは、どんな時でも綺麗だし、とってもいい匂いなの。今だってこんなに良い匂いで…スゥ~…はぁ、落ち着くぅ…」
「わかりましたっ、わかりましたから、とりあえず離れてください!!こんな道のど真ん中で恥ずかしいですって!」
私の言葉でハッとしたのか、瑞乃は弾かれたように離れ、顔を赤らめ照れくさそうに頭を掻いた。
「ご、ごめんね。なんか私、我を忘れちゃってて…」
「い、いえ、私も言葉足らずでした」
何となく気不味い空気が流れ、先にそれを断ち切ったのは瑞乃だった。
「日向ちゃん、良ければうちでお風呂入る?さっき丁度お風呂沸かしたばっかであったかいから…あ、カステラも買ってきてるし」
「え、いいんですか?迷惑じゃなかったら入りたいです」
「うん!全然迷惑じゃないし、来てくれたら嬉しい!」
「ホント、いつも感謝です。私、もう瑞乃さんとこが家みたいになっちゃってるもん」
「ふふ。じゃあもう私の家に引っ越して来ちゃう?」
「あはっ。いいですね。家の契約終わったら、居候させてもらっちゃおうかな」
なんて冗談を交えながら、私と瑞乃さんは当然のように手を繋いで帰路に着いた。
「タオルはここ、ドライヤーはこっちで、シャンプーリンスとか、自由にしていいよ。冷めちゃってたら追い炊きとか勝手にしてもらっていいからね。脱いだ服は洗濯機、着替えは後で持ってきてカゴの中入れとくから」
「はい、わかりました」
「それじゃ、ごゆっくり」
瑞乃さんが洗面所から出て行ったのを見計らって、服を脱いで洗濯機に放り込み、浴室に入る。
洗剤とシャワーとで体を綺麗に洗い流し、湯船に浸かる。
「はふぅ~~~」
疲れた心身に熱い湯が沁みる。
湯船の広さはうちと同じはずなのに、他人の家だからか気持ち広く感じてどこか開放的。
ボーっとお湯に浸かっているといい具合に思考が蕩けてきて、疲労感が溶かされていくのが心地いい。
まったり寛いでいると、洗面所の方から扉の開かれる音が聞こえてくる。
…着替え、持ってきてくれたのかな。
すりガラス越しに人影が動き、着替えのようなものをカゴの中に入れる。
そしてそのまま部屋を出ていくのかと思いきや、何やら辺りをうろうろと歩き回り、やがて洗濯機辺りで停止する。
何をするのだろうと見ていると、影は洗濯機の中に手を突っ込み何かを取り出し、それを顔に寄せて「スン…スンスン…」と控えめな音を立て始める。
「…瑞乃さん?」
流石に何をしているのか気になって話しかけて見ると、影はびくりと跳ねて持っていたものを物凄い勢いで洗濯機の中に突っ込んだ。
「どっ、どどど、どうしたの!?」
「いや…寧ろ瑞乃さんがどうしたんだろうって。その、なんか影が不審で…」
「影…?えっ、嘘っ!?い、いやっ、違うの!着替えを置きに来ただけだから気にしないで!」
「そう…ですか?ありがとうございます」
だとしたら明らかに余計な動きがあった気がするけど、本人がそうだと言うのならそうなんだろうと思い、それ以上の詮索はしなかった。
もう少しだけ温もってから浴室を出て、髪を乾かし瑞乃さんが用意してくれた服に着替えた。
恐らく瑞乃さんのお古で、ショートパンツはともかく上のシャツは少し大きかった。彼シャツではないけど、何となく瑞乃さんに包まれている気がして鼓動がちょっぴり早くなる。
日向がリビングに向かうと瑞乃はソファで寛ぎながらコーヒーを啜っていた。
「いいお湯加減でした」
隣に腰掛けると、瑞乃さんは何となく気不味そうにマグカップから口を離し。
「そ、それは良かった」
振り向いた顔は仄かに赤らんでいて、どこかニヤついていた。
…なんかいいことでもあったのかな?
瑞乃はマグカップを机に置き、「そういえば」と立ち上がる。
「カステラ持ってくるね。飲み物はオレンジジュースでいい?」
「はい、オレンジジュース好きなんで…って、私が持ってきますよ。お風呂も頂いたのに悪いです」
「いやいや、私は日向ちゃんが傍にいてくれるだけでもうたくさん貰ってるから。それにほら、今日も勉強会するんでしょ?なら、日向ちゃんは勉強道具出しといてよ」
「…まあ、瑞乃さんがそう言うなら」
あまりにも直球で顔が熱くなることを言われてしまい、照れ隠しでついそっぽを向きながら感じ悪く応えてしまう。
けれど瑞乃さんは特別気にしてない様子で、何故か悶えるように胸元を押さえながら私の頭を撫でてくれた。
何だか甘やかされ過ぎてる気がして落ち着かないが、瑞乃さんの手が気持ち良すぎて、向こうが満足して手を離すまで私はされるがままになってしまっていた。
「それじゃ、取って来るね」
私を散々弄んでから、瑞乃さんはウキウキとしながらキッチンに行ってしまった。
何だか微妙に納得いかないけど、返す言葉も思い付かなくて私は素直にスクールバッグの方へ向かう。
教科書と筆箱を取り出してソファに戻ろうとした時、ふとあることに気が付いた。
「あれ?体操着袋は?」
記憶違いじゃなければ、さっき確かにスクールバッグの隣に立て掛けたはずなのに、辺りにそれらしいものは見当たらない。
もしかして学校に置いてきちゃった…?
「瑞乃さん、私の体操着袋知りませんか?」
ガタタンッ!と、何故か激しく転びかける瑞乃さん。
「だ、大丈夫ですか?」
「だ…いじょうぶ。た、体操着洗濯しようと思って洗濯機入れちゃった。ごめんね、勝手に」
「あー、なるほど。いや、全然ありがたいです。次体育あるの明後日だから、明日取りに来てもいいですか?」
「うん、いいよ。綺麗に洗っとくね」
その後、カステラを食べながら勉強会をしてから、二人寄り添いながらアニメを観て、とても充実した一日を過ごした。
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