第4話高校時代から社会人へ

高校時代から社会人への流れに伴う出来事第4話

昭和40年。私は中学生となった。

そのころ3年生の時に父は定年退職しその退職金で近くの敷地を借り受けて知り合いの大工さんに木造の家を新築する様依頼した。

ブロック塀べいに囲まれた30坪位の土地で、6畳の和室が2部屋、他6畳の茶の間、4畳半の洋室と和室という設計の家であった。

新築の家の骨組みが出来あがると、「建前」という行事が行われる。

屋根の上に様々なものを飾り付け飾り付け神主を呼んで拝んでもらいそれが終わると平らな形の赤白の餅、そして小銭を1個ずつ包んだ小さな包み紙をお盆に乗せて家族総出で屋根に登りそこから一斉に下の地上で待っている見学者の皆にバラまいた。

1つの決められたお祝いの行事である。

その時には、近所の人達が大勢下に集まっており、それを競って披露のである。私も屋根に上がり一緒にバラまくのを手伝った。

お祝い事であるので楽しかった。

私の中学生時代は、1クラス男女合わせて45名位で、1組~11組クラス、2年生だけで約500名位の生徒がいた。

昭和23年~25年生まれの年代は、きわめて人口が多かった。

中学2年生の時、各学級には各々が学級委員長や新聞委員長、風紀委員長等が選ばれてそれぞれ役目が与えられていた。

私は、その時は1組の風紀委員長として選ばれてその腕章を腕にかけていた。クラス内の風紀を守る役目である。

そのころ、中学校では、2か月ごとであったか記憶にはないが、学年ごとの朝礼会があった。

その時は、風紀委員長がその朝礼会時の司会進行を務める事になっていた。

中学校グランドには、箱形の演壇が設置されその上にスタンドマイクが立てられていた。

司会役の風紀委員長は、1組と2組の風紀委員長、2つのクラスで2名ずつで順番に行う事になっており正面に立った。

私のもう1人の風紀委員長は、隣のクラスの女生徒が風紀委員長だったので2人で前に立った。

司会役は、いちいち壇上に上がりスタンドマイクに向かって司会を進行する。実を言うと私は、事前にその司会役を女生徒に頼んでいた。その女生徒の風紀委員は、都会から転校して来た部長の娘さんらしい噂を聞いていた。

私は、身長167cm、その女生徒もそれ程身長が変わらない位高く、やせ形で、髪を長くしているのを常にヒモで結んだ清潔感のある、おっとりとした性格の女生徒に見えた。

司会役を頼んだ時は、何事も無く了解し淡々と全員の前でスタンドマイクを使ってしゃべっていた。

都会人の女性徒は、意外と度胸が座っているので私としては助かったのである。

ある日の放課後に風紀委員会が終わってクラスに戻った時に教室内で、女生徒7人位で集まってある女性徒は、泣きながら何やら輪になって会話を交わしていた。

私は何事かと思い、「何かあったのか?」と声をかけたら、「あんたには関係ない、早く帰ってよ!」と1人の女生徒が叫んだ。「怖いな」

と私は思った。女生徒が集まって、ああいう状況の時にはかかわる事は禁物だと私は早々に帰宅した。

当時の私の担任の先生は普段は無口で頭の毛は前に垂らし、歩き方も肩を振って歩く怖そうな担任だった。

自分が教室で話をしている時にざわついていると、思いっきり教材を教壇の上に叩きつける先生であった。

別に性格が悪い先生ではないが、白黒をはっきり区別していないと気に食わない性格だったかも知れない。

中学3年生を迎えある時友達の同級生から、こんな事を頼まれた。

「今度、お前と一緒のクラスになる俺が2年生の時面倒を見て来た1歳上の知恵遅れの同級生がいる。」

「3年生になったらお前と同じクラスになるから1年間面倒を見てくれないか」口頭の引継ぎだった。

3年生になり、確かにその生徒と同じクラスに編入されたがその容姿は身長そのものはそれほど高くはないが、坊主頭で小太りで目はダルマみたいにギョロっとしており、眉毛は筆でなぞったように濃く、口の周辺は大人びいた濃いひげを剃った後のように濃く、数歳も年上のような角ばった顔面をしていた。

授業中は、教科書は机の上に置くがただ見つめているだけで、時々二ヤ二ヤしている様子だった。

ある時、4時限が終わると昼食時間となるが、3時限目が終わり4時限目が始まると同時に机の下から風呂敷包みされた弁当みたいな物を机の上に取り出し、風呂敷包みを広げて弁当をニヤニヤしながら食べ始めた。周りの生徒も、教科担当の先生もそれを見ても何も言わない。生徒も先生も既にこの生徒の事を知っているから、今更始まった事では無いと言う事で見て見ぬふりをしているのである。

私も今更注意はしないでいた。

ある時、突然泣き出す事もある。

学校が休日の時にその生徒は、私の家から2~30分かかるところに住んでいたが、私の家まで上半身裸で歩いてきた事もあった。

家に帰るように言うと、急に泣き出す。

その生徒の面倒をもう1人が助けてくれていた女生徒が同じクラスに居た。私もその女性徒がいたお陰で大分助かった面があった。

その生徒の両親は、普通の親である。妹は頭の良い子であったと小耳に挟んでいる。

中学卒業する時には、その子の両親が私の家に来て、「1年間面倒を見てもらってありがとうございました」と深々と頭を下げて、お礼の挨拶に来たことを覚えている。

その時は、私の両親も応対していた。

話は変わるが、私はたまに娘から要請されて埼玉の娘宅に2拍しに行く事がある。

孫は、2歳と丁度1か月になった。川崎から1時間半かけて娘宅に行くと孫は「じいじ・じいじ」と言って飛びついて来る。

2歳から1か月過ぎただけで、孫のじいじ、ばあばの呼び名が明確に聞こえて来るようになった。

孫に会いに行く時は心が躍るが、いつも心にのしかかるのは、帰る時である。

2歳の時よりも、2歳1か月の時が余計に別れる時の孫の寂しそうな顔が露わになっている。玄関のドアを閉めた時に必ず泣き叫ぶ、それが辛い。

最近は、帰る時には、孫が朝寝ている時か昼寝している時に帰るようにしているが、かえって可哀そうかな。


第4話ここまで

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