募る思いの朝に

 昨日、記憶と力の一端を取り戻したアデムは、早々に寝床についた。

 なにせやることが、大詰めだ。疲れはあれど、呑気に寝てるわけにもいかない。

 日が窓から差し込み始めた頃に、ぼんやりと起きて意識がほとんど沈んだまま、食堂があるフロアを目指しているところ…


「……あれ、どこここ」


 意識がようやく覚醒して、迷ったことに気づく。

 大きな廊下の中央で一人、棒立ちになっていた。

 そもそも、昨日…どうやって祈りの間から帰って、割り当てられた自分の部屋で寝てたか、思い出せない。

 いや、なんか寝る前に何かしたような覚えがあるが、何をしていたかも思い出せない。


「……そんな、疲れてたか」

「あれ、アデムくん?」

「ん?」


 コロリと鈴を転がすような声が、後ろから聞こえて振り返る。

 オリーブグレーの髪を揺らし、全身白の簡素な布服を着たフリンが、少し足早にこちらに歩み寄ってくる。

 キョトンとしたような、顔をしている。


「朝早くこんなところで、どうしたの?」

「いや、朝食をと思って食堂…?だったかな。そこ行こうとして、迷った」

「そうなの?…昨日説明してたじゃん。エルナが」

「……そうだっけ」


 昨日とは違う腑抜けた雰囲気に、眦を下げて顔を綻ばせる。


「そうだよー、昨日エルナが色々と説明してくれたじゃん。覚えてない?」

「んぅぅん…、してたようなしてなかったような…」

「もう、アデムくん少しおっちょこちょいなところあるよね。

 こっちだよ、着いてきて」

「ん、ありがとう」


 クスクスと可愛らしく笑みを溢しながら、アデムの少し前を行く。

 足取りは軽く、雰囲気が幾らか柔らかい。

 それにいつからか、エルナを呼び捨てにしてる。いつの間に仲良くなったのか。

 フリンの背中を見つめて、顔を綻ばせながら、そんな呑気なことを考える。

 最初は、結構険悪そうだったのに…二人の間で何かあったのだろう。

 少し気になって、フリンの背中を眺めていると、急にくるりと振り返るので慌てて、ぶつかりそうになる。


「おお…、びっくりした」

「ごめんね。なんだか、視線を感じたから…今度はどうしたの?」


 少しドキッとして、視線が若干泳ぐ。


「し、視線?気のせいじゃないか?何もないぞ?」

「…んー。なら良いんだけど、すごい不躾というか…無遠慮?な感じが、ゾクっと背中に走ったから、何かあったのかと思っちゃった」

「まさかそんな…あんまり、気にし過ぎるのは良くない。

 うん。良くない」

「……はーい。そーしますー」

「ははは…」


 少し怪しむような目をチラリと見せて、目線を切った後に、再び歩き始める。

 エルナもそうだが、妙なところで勘が働くというか、後ろに目でもついているのではないかと、冷や汗を掻く。

 窓越しの日差しを感じながら、取り留めのない会話を広げながら、食堂へと向かってゆく。

 その道中、風を切る音が微かに耳をとらえる。

 空を斬るような、そんな音だ。


 騒動があった後のこの静けさにしては、妙に違和感が先立つ。

 断続的に空を斬る音を尻目にフリンと会話を続け食堂へ向かうのだが、なぜかその音が気になって、しょうがない。

 これは、自分の目で確かめるしかない。

 そうと決めたアデムは、歩調を少し早めてフリンの少し前へ行き、立ち止まる。

 半秒遅れて、フリンも同じ様に立ち止まる。


「フリン。ちょっと寄り道してもいい?」

「寄り道?良いけど、どこへ行くの?」

「どこかはわからないけど、この近くで剣を振る音が聞こえてきてさ。ちょっと気になって」


 そんな音したかな、と首をひねり少し眉間にシワがよる。


「剣…?……あー、確かにこの先の広間にそんなスペースがあったかも。こっちだよ」

「助かるよ」


 フリンが先へ行くのを少し遅れて、着いていく。

 太陽の光が、届きずらい道をゆき仄暗い道を行く。

 風切り音がだいぶ大きくなってきた。

 それにつれて、フリンも驚いたような吐息を漏らしていた。


「ほんとだ。確かにする。よく聞き取れたね」

「なんとなくね。ここは修練場が何か?」

「その役割もあるよ。ちょうどここは建物の中心部分なんだけどね?

 教会に従属する人や駐屯する騎士達の寝泊まりする場所が、人まとまりになってるから、人の行き交いも多いの。

 それをしやすいように通り抜け出来るようにってのもあるし、訓練所みたいな使い方だったり、魔法の訓練とかにも使ってるってのも聞いたよ」

「へぇ…、なるほど。じゃあ俺が彷徨ってたところって、司教とか部隊長とかの建物だったりするのかな?」

「うん、そう。あとは、司教直属の兵も護衛目的で、何人かいるよ」


 なんとなく、構造が掴めつつある。

 大教会とは言うが、一種の城であり要塞だ。奥に行くほどに、防御術式や妨害術式が施されて、隙がない。

 敵対者は攻めにくく、こちらは迎撃しやすい。


「あ、でも司教とか護衛の人は、帝国の幹部級——エルナ様より少し劣る人たちが、こなしていたから、護衛なんて必要ないって聞いたことある。

 それにここに駐屯する兵士や騎士たちも、勝るとも劣らない人たちばかりだから、難攻不落を欲しいままにしていたよ」

「…へぇ、でこの迷路みたいで入り組んで上に、地形操作の術式とか罠が、所狭しにあるのか。

 容赦ないな、ここの設計者」

「すごい他人事みたいに言ってるけど、アデムくんが全部設計したり政策してるんだからね?皇帝陛下?」

「……ははは、記憶にございません」

「もう…」


 戦犯は自分でした。

 ぷくっと頬を膨らましジト目で見るフリンに、盛大に顔を逸らす。

 朧げながら、確かにそんなことやったような気がする。

 流石は、俺。一片の慈悲もないな。


「そろそろだよ」

「ん…」


 心地よいそよ風が頬を撫で、正面のアーチ状の出入り口から光が溢れている。

 光に少し目を細めながら潜った先に、一人の男性が広間の中央にいるのを光で視界が安定しない中、ぼんやりと見る。


「…ふっ!」


 鋭い呼気と共に、緑光の剣線を描きながら短剣を振るうのは、メーテウスだ。

 簡素な褪せた群青色の服と、ズボンに身を包んでいる。

 素振りとは思えぬ軽快な動きで舞うは、まるで誰かと戦っているような様相だ。

 表情も、昨日の戦いと遜色ないくらいに強張っている。

 その圧に押されて、二人は少し離れたところでその乱舞を自然と足を止めて、見守っていた。


 そこからは、数分と経たずに動きをピタリと止めて、長い吐息を吐くと剣呑な雰囲気が霧散する。

 やがて、こちらにさっと視線を向けると、驚いた表情を一瞬浮かべて、近づいてくる。


「アデムにフリン?どうしたんだい朝早くこんなところで?」

「いや、朝食を取ろうと歩いてたら、堂に入った剣風を感じでここに。フリンは、迷った俺をここまで案内してくれたんだ」


 フリンもアデムの言葉にコクコクと頷いて肯定する。

 メーテウスは、その反応を見て頭の裏をかく。


「そうなのか…。これは恥ずかしいところを見られてしまったな」

「いやいや、改めて見事だよ。流石はルキウスが見込むだけのことはある。——ほんと、惜しいことをした。

 …ごめん、忘れてくれ今のなし」

「……そうですか。光栄です」

「?」


 妙な会話の感じにフリンは、首を傾げていたが二人はそれを納得してるので、何も口出しはしなかった。

 少しかぶりを振り、アデムは少し覇気を交えた声で問う。


「メーテウス。まだ、訓練はするつもり?」

「はい。もう少しやるつもりでしたが…」


 訝しむようなメーテウスを置き、アデムは不敵に笑う。


「仮想敵とは言え、限度はあると思ってさ。良ければ手合わせお願いしたい」

「それは…願ってもないこと、ですが」


 答えに言い淀むメーテウス。

 その目は、何かを固く誓っているようなそんな真剣で、鋭い目を垣間見せる。

 頑固なのか、負い目なのか定かではないが、彼一人だけの問題ではない。

 なら…


「メーテウス。

 本当に責任感の強い人だ。そこまで気負うことはない。

 帝国で魅せた貴方の采配を、状況が破滅的に変わろうとも、遺憾無く発揮することが、俺は大事だと思う。

 一人より二人ってね。だから、少しでも突破口を探す手助け俺にも、させてくれないか?」

「…」


 納めた短剣の柄をぎゅっと握りしめ、アデムの言葉に目を閉じる。

 やがて、意を決したのか。強い光を宿した目を向ける。


「では一手、手合わせ願えないでしょうか?」

「応とも。本気でこい」

「ええ」


 一つの思いを胸に、戦場もかくやという圧が支配する。

 決して次は逃すことがないように。


「…あれ、これ訓練だよね?こんな殺伐としてていいのかしら…?」


 一人状況がうまく飲み込めないまま、アデムとメーテウスを止めるかとめまいか迷うフリンであった。

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