悩める乙女達

 城塞都市テラフ、大教会。

 大講堂のそばにある、神父や修道女、騎士など教会に関わるもの達が寝食をする施設にて。

 位の高い神官クラスが、使用するであろう調度品が少し華美な部屋に取り付けられているテラスで、フリンは閑散な雰囲気を湛えるテラフの街並みを眺める。

 寝巻きの隙間から入る夜風に少し震えるが、耐えれないほどではない。


「ふぅ…」


 残念がるような吐息を漏らす。

 生きていた中で一番、今日という日は疲れた。と共に鮮烈な体験をした。その思いがフリンの中に未だ燻っている。

 その余韻のせいか、疲れているはずなの目が冴えてしまっている。

 でもこのままでは、明日に疲れを引きずっていしまいそうだ。けど寝たくない。

 その思考をずっと巡っている自分に、さらにまたため息が溢れる。


「すごいため息ね。まだ寝ないの?フリン?」


 少しおかしそうに声を転がすような美しい声にさっと後ろを振り返る。

 先の戦いの汚れを落とし、白い肌触りの良さそうな絹の薄手のローブを纏うエルナがそこに立っていた。

 髪も服も白一色に染まり簡素にみえるが、ルビー色に輝くその瞳が一層神々しい雰囲気を醸し出す。

 その儚くも美しき立ち姿に、思わず見惚れる。


「……女神様?」

「あら、嬉しい。でも、そういうフリンも……うん、なんだか、いろいろとすごいわね」


 照れたかとおもったら、フリンのある一点を見つめて言葉が拙くなっていっている。

 首を少し傾げて、再度上から下まで見てその美しさに感嘆の吐息をつく。

 それを見たエルナは、柔らかく笑みを浮かべながらフリンの隣で、柵に両肘をつく。


「また、ため息ついてる。どうしたの?」

「うん…。色々とあり過ぎて、良くも悪くも体が興奮から冷めなくてね。夜風に当たったら冷めるかなーって思ったら、今度は冷め過ぎてなんだかやるせなくなっちゃって」

「やるせない?」


 キョトンとしているエルナにこくりと頷く。

 そこから、継ぎ接ぎの言葉を口から次々へと溢れる。


「危険なのに城壁の外にいたことがね、食料を確保するためだったの。

 みんな苦しい表情ばかり浮かべていたからさ。

 どうにかしなきゃいけないって思ってね。貴族として、庇護するものを無碍にはできないから。けど、他の貴族も騎士連中も、誰も何もしない現状に憤りを感じて一人、城壁の外に出たの。

 危険とはいえ無策ではなかったよ。ちゃんと準備もした。ウルドの対策もしたつもりだった。

 伝え聞いていたあなたたちには、及ばないにしても実力には自信があったし、それなりに場数も踏んでいるから、なんとかなるとも思った。

 でも、実際は違った」


 俯くフリンに、エルナはただその目を見つめるだけで、あえて反応はしない。

 次の言葉を静かに待ち、その弱々しい声が紡がれる。


「伝え聞いていただけの私は、その脅威を正しく認識してなかったの。そうなった時の私は、酷い有様だったなーって今思い出しても感じる。

 アデムくんたちに助けられてからもそう。ほんとにおんぶに抱っこだったからさ。

 そう考えると、余計惨めになってきちゃう。

 ため息しかつけないの」


 顔を完全に両腕に埋めて、自らの力不足に嘆いていた。

 しばらくして、涙交じりの鼻を啜る音が断続的に、溶けては消える。

 口を少しきつく引き締める。慰めの言葉をかけようとしていたが、安易な気持ちだったことを恥じた。

 フリンが言うことは、自分が良く知っていることなのに。


 このテラフに至る道中、アデムに助けられてばかりで何も役に立てない自分に、心が苛立つ。

 …そもそも、彼と一緒にこなしてきた数々に自分が役に立ったことがあったろうか。

 思考が、沈みこむ。

 未知と理不尽。その二つが突拍子もなく姿を現し、完膚なきまでに殺されるのだ。

 その人生が、そこまでの歩みが無駄であると、示すかのように。


「うん…でも」


 声に力がこもる。

 確信はない。けど、あのアデム理不尽に振り回されて、わかっていることはある。

 程度の問題だ。スケールが大きいだけ。…簡単に言えばだが。

 フリンの両肩に手を添え、生気を送り出しフリンを勇気づけるように、一句一句言葉を慎重に重ねる。


「確かに役に立ってないかもしれない。私や、アデム、メーテウスはそんなことは思ってないけど。

 けど、やっぱり、助けられて、ただ背中を見つめるだけ。そんな隣に立っていない自分を客観視すると、どうしても劣等感は抱いてしまう。それは、すぐには解決することもないしね」

「…じゃあ、どうするの?」


 両腕から目が少しだけ覗き、頼りなく目の光が揺れる。その先の答えを恐れるかのように。


「できることを着実に、誠実にこなすこと。自らが敵わないことは、潔く助けてもらう。

 助けてもらったらその分自分の出来るどんな些細なことでも、行動をもって礼を尽くす、かな。

 まあ、私は結構不器用だから、なかなかうまくいかないけどね」


 ぴろっと舌を出し、おどける。そんな、エルナになにか掴んだような、あるいは救われたような心が穏やかになってくる。


「そう、だね。…できることを一個ずつ、行動で示す」

「研鑽も忘れずにね?そうすれば、力になる気づきが生まれて、その人の力になれる」


 こくりと頷き、顔を上げる。鼻をすすり涙袋に溜まっていたものを拭う。

 短く、今度はため息でない、意志のこもった息を吐く。

 体をエルナに向けると、慈しむような笑みを浮かんべていた。


「よかった。伝わったみたいで、大丈夫そう?明日からできそう?」

「とりあえずは…かな。自分なりに、考えてやってみる」

「うんうん。行き詰まったりとかしたら、私たちに相談して?仲間だからね」

「…ありがと」


 やわらかい笑みを浮かべたエルナに、思わず涙がつーっと流れる。

 笑みを崩さぬまま、そっとどこからか取り出した布切れでフリンの目元を拭う。

 それが、だめだった。堪えていたものを、エルナの胸に縋り吐き出すように嗚咽を漏らす。


 動じることなく、フリンの背を優しく摩り落ち着くまで、その時は緩やかに続いた。

 長き動乱に一つの終わりと始まりを月に刻み込むように。

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