狂瀾怒濤

月明かりは照らす

 城塞都市テラフの北方。ウルドの侵攻により汚染された街。

 月明かりをも遮り、只人であれば数秒でウルドへと成り果てる、闇の霧溢れる大地と化しているそこに、青銀の鎧が輝く。


「……」


 倒壊した家屋が積み重なり、小高い瓦礫の山なったその頂点に座り、何をするまでもなくただ一人の騎士が、廃れた街を眺める。

 テーブルに並んでいたと思われる、粉々になったお皿と、鍋。

 ほつれたぬいぐるみ。

 血が渇き、黒ずんでいる刀剣や盾の数々。

 何かに侵され砕けていった数々、あるいは戦いの後、人々の営み。

 悲しみも怒りも、何の感情の発露もほとんどない。

 無関係ではない…はず。

 確かに、いつかどこかで見た街並み。

 しかし、何もわからない。何も感情が浮かばない。

 それは自分にとって何か大切なものだったように思える。


 生暖かい風が、伸びに伸びきった青みかかった黒髪を、視界が塞ぐので後ろへかき分ける。

 理性を、不測の事態で取り戻して以降、そう心の奥底が訴えているような感じがして、もどかしい。


「おや、ルキウスさん。何か珍しいものでもあったのですか?」


 視界の端から、小石を転がし、引き摺るよう足音を立てた者が近づく。

 全身をローブで包み、瓦礫の山の麓で止まる。

 その姿を完全に視界に捉えるのを嫌い、なおも街を眺め続ける。

 …目が覚めてからというもの、この得体の知れない者に生理的嫌悪感が止まらないのだ。


「なんだ、狂神。一人にさせろと言ったはずだぞ。

 約定も守れない奴が何しにきた」

「その件に関しては、言葉もない。

 こちらの想定外だったんだ。相手の偽神が予想以上に力を取り戻しててね。

 死した体である君を媒介に現界する条件として、交わした事ではあったけれどもね。

 あの場では、あれが最善だったんだ」

「……」


 沈黙。顔はまだ漫然と街へと目線を向けている。

 僅かに思い出すのは、今話しかけている奴と邂逅した時だ。


 大きな城の中、何かの戦闘の後に目を覚ましたら、目の前にこの狂神がいたのだ。

 奴が言うには、死した私自身を惜しいと感じ、幾らかの代償とともにこの世界に現れた神、なのだという。

 この世界を正しい方向へと導くとも言っていた。しかし多くは語らなかった。


 正直信じられなかった。

 だが、すでに潰えた命というなら、また生かせるのなら本望だろう。

 記憶もいくらか欠落していた頭でそう納得しかけてはいたのだが、どうにも引っかかる事があった。

 やはり、一度は手放した理性を取り戻してより強くそれは感じる——。

 

「まあ、それでも君の約定を破ったのには変わりない。その謝意として、君の記憶を一部返すよ。

 全部は流石に僕が消えちゃうからね」


 その言葉に胸の奥をぴくりと、突き動かされるような感覚と共に、狂神をようやく視界にとらえる。

 悠然と佇むそいつの顔の中は覗き込めない。

 兜を被り直し、側に立てかけてあった盾と大剣を手に持つ。

 何の躊躇もなく数メートルの高さを飛び降り、着地音をほぼ立てずに狂神の前に降り立つ。


「早くしろ」

「そんな殺気立たないでくださいよ。用が終わったら、帰りますから。

 少し屈んで、頭を出して下さい」

「…」


 黙って跪いて頭を差し出して、不動の姿勢を保つ。

 狂神は、その姿を見るとルキウスの頭に手を当て、自身のプラーナに働きかける。

 数瞬光ったのちに、すぐさま踵を返して立ち去ろうとするのを、引き止める。

 拍子抜けだった。


「もう終わりか?」

「うん。やることがあるからね。次期に思い出すよ」

「そうか」

「じゃ」


 振り向くこともなく、そのまま露のように消えていった。

 ルキウス自身もすでに興味をなくし、再び瓦礫の山へと戻ろうと足に力を込めようとした瞬間。


「…ぐっ!」


 堪えきれない呻きと共に、その場に再度膝をつく。

 頭の中になだれ込む記憶。

 痛みに堪えながらも、抑えられぬ後悔が湧き出して消えず、胸の中に確かな罪悪感を称える。


「そう、か。…そう、だったのか」


 呟く。

 痛みは和らぎ、ふと闇が薄い一点を見上げる。

 月明かりだろう。

 もうすでに、深夜を越して数刻後には日の出が来る。

 そう思うと、気が重くなる。先程までは何も感じなかったのに。

 がしゃりと両膝を付き、ぶらりと両腕を力なく下ろす。


「これほど、夜でいて欲しいと、思ったことはないな」


 自嘲気味に笑みを浮かべながら、四肢に力を入れる。

 だが、そこで止まる。大剣に手をかけるも抜けない。

 どんなに力を込めようとも抜けない。


 思い出してしまった。と同時に腑にも落ちた。


 一生の忠誠を誓った、至高なる神の如き白雷の王と、こんな剣しか脳のない自らに付き従ってくれた風の賢人に、手をかけてしまったこと。

 そして、あの狂神が己の敵であることも、…

朧気にではあるが。

 かつての主を裏切り、あまつさえ敵に加担するなど騎士として——果ては自分の存在意義に反する行為だ。万死に値する。


 かの主と友は許さないだろうが、死んで詫びる以外にはルキウスは思いつかない。

 無論、今もそうしようとしていた。行動に揺るぎはない。


 だが、何かに堰き止められるような見えない力が働く。


「…くっ…ぅう!!」


 渾身の力を込めて、じりじりと大剣が鞘から抜かれる。

 その度に、見えざる力もより強度を増してその行為に抑止をかける。


「…やっぱりね。仕込んでて良かったよ。

 ルキウスくん?それは駄目だよ」


 背後に突然聞く声に、大剣を抜剣しようとするも、これも抑制される。

 怒りを隠さず、徐々に動けぬ体に顔だけをどうにかその者に向ける。


「貴様ぁ…!!これを解け!!」

「いや、こっちのセリフね?君に死なれたら、ここに現界出来なくなる。

 何度も言ってるけど、僕も一応別の世界の、創造神としての体裁があるからさ。

 自己の世界を守るため、君には生きてあの偽神を捉えて貰わなければ困る。

 君が誇り高いのは……まあ、あの端末から聞いてるから、自死しようとするのはなんとなくわかってたよ。

 だから、あまりプラーナを使いたくなかったけど、縛らせてもらった」

「…ぐぅ…!おの、れぇ…!!」


 なおも、力を込めるが震えるばかりで動けない。

 目で射殺さんと、ローブの男に目を血走らせる。


「はぁ…ランダムとはいえ、まさか先の愚者関連の記憶が戻るなんてね。

 君の逆鱗ドンピシャに触れるとか、ついてないなぁ。

 統括局の意向とはいえ、こういうのは自分たちの裁量でも良い気がするけどねぇ」


 依然動かないルキウスの前で視線を合わせるようにしゃがみ、頭に触れる。


「君は、貴重な戦力のうちなんだ。たとえ、僕が君の怨敵であろうとも、仕事はして貰う。

 残念ながらね。

 とりあえず、その意識回路は戦闘の邪魔になるから、阻害させてもらうよ」

「…ぐ…ぅ!オレ、の誇りを、穢すな!!」

「不要だよ。そんなの。

 ここから先の戦いにおいてはね、そんな小さい事を気にしてるなんてのは余計だ」


 淡々とした声音と共に、狂神のプラーナが入り込む。

 薄気味悪い悪寒が全身を巡り、次第に激情が薄れてゆき、意識も薄れる。


「ク、ソ…!アデ、ム…!メー……テウ…ス!

すま、ナい…———」


 絞り出す懺悔と共に、堕ちる。

 念の為にちゃんと、意識回路をブロックできてるか確認した後、立ち上がる。

 数秒、ルキウスを見つめた後逃れるように体を反転させる。


「…意味などないだ。そんなものは。

 誇りなんて、圧倒的力の前には無力なんだ。どんな手を使おうとも、最後に立ってた方が勝ちだ

 それもすぐに思い知ることだろう。あの偽神も」 


 先ほどのおちゃらけた声音とは、違う哀しみのこもった低い声。

 この騎士には、聞こえるはずもない。

 それを最後にルキウスの前から、霞のように姿を消す。

 まるで何もなかったかのような静寂が、染み込むように包む。

 僅かな月明かりがルキウスの体を、無惨に暴くように照らし続ける。

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