降誕

聖女

 アデムが、白い光をその身に宿す少し前。

 ジエン村のさらに北方の地、城塞都市テラフ。

 そこは今、人であふれかえる都市と成り果てていた。

 突如、数週間前に帝国から溢れ出した闇の怪物——ウルドと呼称——が帝国から程近い村や街や都市を破竹の勢いで、蹂躙し尽くしていった。

 襲われた村、街、都市にいた人の9割がたが死亡、あるいは行方不明状態になり、情報網や交通網が機能停止。

 奇跡的に生き残った人はある人の主導のもと、大陸で1番防衛能力に優れている城塞都市に命からがら集まっていた。



 こんなにあっけなく蹂躙されたのは、ウルドの唯一の特性にある。

 それは、いかなる魔法も武器も通じない。——つまり殺せないのだ。

 そのため、人々は逃げるしか手段がなかった。

 

 それでも生き残りがいるのは、一つの魔法が有効であったからだ。

 光魔法である。

 光魔法は、この国の皇帝とその幹部たちにしか担い手はいない。

 希少かつ習得法がわからない得体の知れない魔法だ。

 その光魔法が、ウルドにダメージを与えられる。

 そう、倒せるのだ。



 さらに、ウルドは光魔法を嫌う習性もあった。

 それを知った幹部の1人が、城壁に光魔法をかけた都市を思い出してそこに人を集めて、生存を測ろうとして人類滅亡に歯止めをかける結果となっていた。


 ウルドを薙ぎ倒す様は、国民にとって救世主に見えただろう。

 また、その光があまねくを照らし包み込む様から——聖女と呼ばれるようになった。




 小高い山に築き上げられた城塞都市テラフは、2層の城壁で構成されている。

 外壁から次の城壁が住民区、その内側は中心が、ジエン村の3倍は大きいまるで城のような教会が聳え立ち、その周りを貴族層が住んでいる。


 大教会にて。

 光魔法による治癒を求めて、幾人の民が教会に足を運び、その最後の患者が教会を去っていった。


 大教会内部、祈りの間。

 等間隔に柱が起立し、上から見たら十字架を模したような、間取りとなっている。

 天井全体には、皇帝の祝福を表すかのように神々しい絵が描かれている。

 十字架の頂点部分の空間には、祭壇と皇帝を模した像があり、その像の前に2人の男女が居座っていた。

 男性は女性の少し後ろに控え護衛し、目の前で行われている治療を静かに見守る。

 

 その女性は、長い絹のような白髪に、眉目秀麗な顔立ち、僅かに切長のルビー色に輝く目を持ち、女性的特徴を十分に要する魅惑の容姿を携えていた。

 白長髪の女性は、最後の患者を治療し終え手を振り見送る。



「聖女様、本日の治療は終了です。お疲れ様でした」

「ありがとう、ローレンス。今日も円滑にことを進めることができたわ」

「いえ、私めはこれくらいしか出来ませんので」

「それでもよ。あなたのおかげで光魔法の治癒に集中できたんだもの」

「勿体なきお言葉です」


 仰々しく頭を下げる屈強な鎧と赤い髪が印象的な硬い表情の男——ローレンス。

 そんな堅苦しい雰囲気に若干眉根をひそめる、白長髪の女性。


「でも、その聖女というのやめて欲しいわ。私はそんな器ではないわ。

 …皇帝や仲間も1人すら守れなかった軟弱者だもの」

「滅相もありません。

 今、こうしてエルナ様の機転が我々人類を生かしているのです。

 その恩は、何物にも変え難いと、皇帝陛下もおっしゃるはずです」

「そうだと…いいわね」


 端正な顔に影が差す。

 己の罪悪感を思い出す様に、ふっと天井に顔をあげ表情を固める白長髪の女性——エルナ。

 急かすような落ち着きのない口調で問いかける。


「ローレンス、皇帝陛下の捜索の進捗はどう?

私が覚えている結界の残り香の先を調べてるはずよね?」

「仰る通りです。

 エルナ様が、意識を失うまで張られていたという結界から南方面を中心に捜索を続けてますが…

 なにぶん、ウルドが南方まで侵攻しているせいか、思うように進まないです。

 加えて、南方に行くにつれ河の流れが枝分かれしており、どこに流されたかの候補が多すぎるため時間が多大にかかっております」

「そうよね…南方は河が入り組んでいて、それに森が深いから迷いやすいもの。…よく、お忍びで皇帝が出ていく時は決まって南方に行くのも納得だわ」


 深いため息を吐きながら、無事かどうかもわからない人に思いを馳せる。

 足を両手で抱え、そこに頭を埋める。


「…アデム。あなたは今どこにいるの?

 私はここよ?お願いだから念話でもなんでもして欲しいわ、あなたの声が聞きたい…」

「エルナ様…」


 エルナの悲痛な姿に言葉が出なかった。


 全てが崩壊したあの日、敵の刃によって潰えそうになっていたところ、仲間の助力もあり逃げることができた。

 だが、攻撃の余波でできた波が皇帝——アデムとエルナを分断してしまう。


 エルナは、帝国からまだウルドの脅威が届いてないところの岸辺で、奇跡的に遠征途中だった帝国騎士長ローレンスに保護される。

 近くの町で傷を癒してすぐに、帝国から逃げてきた人々の情報により、ウルドの脅威を知ることとなった。

 そこからは、エルナしかウルドに対して攻撃手段がないのを知り、文字通り死物狂いで避難民を守りながらここまできたのだ。


 身体的、精神的疲労は、察して余りある。


 せめて、エルナ様が気が落ち着けるまで待とうと直立不動を貫こうとした時だった。

 突然、がばっと顔をあげ驚きの表情で周囲を見渡す。


「——見つけた」

「エルナ様?」

「見つけた…見つけた!間違いない、あの声…!生きていた…良かった、本当に良かった」


 堰を切ったように泣き出すエルナ。

 突然の変わりようにもしや、気が狂ってしまったのかと悪い考えがよぎる。

 はっと、気づくと涙を拭いてローレンスに視線を向ける。


「…ごめんなさい、取り乱したわ。ローレンス、単刀直入に言うわ。——皇帝の居場所がわかったわ」

「誠ですか?今の間に何が起こったのです?」

「ええと、私の、いえ私たちの光魔法に、念話ってものがあるのだけれど、これは相手の声と場所が伝わる魔法なの。それが一瞬だけど繋がったの。この光の波動、私が間違えるはずがない」

「なるほど…私めには視座が高い領域の話ですな。して、どこに?」


 先程の落ち込みようが嘘のように、すくっと立ち上がり、スタスタと歩き始めるエルナ。

 目でついて来いと言っている。


「帝国の広い領土の中でももっとも遠い、村。最果ての海の近く、ジエン村よ。皇帝は…アデムはそこにいる」

「そんなところまで流されたのですか…。皇帝陛下はご無事なのですか?」

「念話は意識がないとできないの。あるのは確実。つまり、無事ってことよ」

「それは…!なんとも嬉しいお知らせです…!ところでエルナ様?今どこに向かわれるのですか?」

「どこって決まってるわ。自室に戻って準備を整えて、迎えにいくのよ皇帝陛下を」

「はい?」


 すでに大教会の外に出て、大教会を囲む高い壁に一つだけある門に差し掛かっていた。

 聞き間違いだったろうか


「もう、夕方です。なんなら、日も落ち始めておりますが…?」

「そうね」

「夜は奴らの独壇場です!危険です」

「関係ないわ。全部薙ぎ倒せばいいもの」

「……」


 猪突猛進さはエルナの部下になってからというもの知ってはいたが、今はことさらに磨きがかかっており、絶句してしまう。

 だが、彼女から漲る赤白い魔力光が本当に薙ぎ倒して進みそうな気がしてならない。

 どうにか留めなくては…


「お気を確かにエルナ様!今、あなたが離れられては、この都市を守れる者がいなくなります。

 その他にも、城壁の管理や兵士の武器の光魔法付与と。

 大変心苦しいのですが、あなたにしか出来ないことばかりです。どうかご再考を!」


 ぴたっと足を止めて、しばし考えを深めるエルナ。

 だが、再度歩き始めてしまう。…すごい足早に。


「…じゃあ今日中に全部やるわ。1週間くらいは保てるようにする」

「えぇ!?今から!?数日かかる作業をですよ!?」

「やるったらやる…。こんなところで立ち止まれないわ。大丈夫、やれば出来るわ!」

「あなたが倒れてしまいます!あ、お待ちを、エルナ様!?エルナ様ぁ!!?」


 足早が、駆け足に、そして全力疾走に変わる。

 ローレンスがやがて追いつけなくなり、声も聞こえなくなる。


「待っててね、アデム。こんなものさっさと終わらせてやるわ!!」


 一つの想いを胸に、都市をかける一つの閃光。


 その日の夕方から夜中にかけて、その光は都市中に強く煌めき続けたという。

 空が白み始める頃、それは淡く収まり静寂が辺りを覆う。




 大仕事を終え、帰路についたエルナ。

 そこには、立ち塞がるようにローレンスが仁王立ちしていた。


「魔力の波動を頼りに見てましたが…

 まさか、本当に片付けてしまうとは…、これも忠義の成せる技でしょうかね…。

 さて、エルナ様のことです。

 このまま、南方に行くつもりなのはわかってます。行かせませんよ」


 じっとローレンスの目を爛々とした目で見ながら、しばし黙るエルナ。

 やがて、ふっと吐息を漏らすように冷静さを取り戻す。


「そうしたいのはやまやまですが…流石に疲れてしまいましたから、明日は…ってもう今日でしたっけ…一日中休もうと思います」


 流石の大仕事ゆえに、顔に疲労が溜まってるのを見てとれる。なぜか言葉が丁寧なのが引っかかるローレンス。

 口調もだいぶ落ち着いている。


「…わかりました。

 しっかりと弁えてそうなので、今日の事は何も言いません。明日のことは、我が騎士団で充分ですのでどうかお休みください」

「ありがとう。…恩にきるわ」

「いえ、お安い御用です。では、ごゆっくりなさってくださいね」

「ええ…ローレンスも、この時間までありがとう」

「それはこちらの台詞です。おやすみなさいませ」

「おやすみなさい」


 淡く微笑みながら、見送られるローレンス。

 彼の姿が、見えなくなるまでしっかりと、疲労に塗れた顔をスッとおさめる。

 そこには再び目を爛々と怪しく輝かせる獣…いや、美少女がいた。


「よし…。行ったわね。

 あんなので疲れるわけないじゃない、アデムのためなら、いくらでも力が湧くってものよ」


 諦めるわけがなかった。虎視眈々と機会を狙っていたのである。

 勝利の美酒にひたる気分で部屋に入りつつ、迅速に遠出の準備を進めていく。


「…ようやく掴めた手がかり、待ってる時間が惜しい。なんとしてでも会って、ここに、連れ帰る…!」


 決意を新たに、屋根伝いに都市から出ていく。

 日が地平線から顔を出し始め、その光がエルナを祝福してるように思える。


「今行くわ、アデム。——風よ」


 太陽を背に受けながら、風魔法と光魔法を合わせて、南方へ舵を取るのであった。

 

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