第七夜
何でも大きな船に乗っているような心地がする。実際のところは船に乗っているわけではないのだが、それでもそのような心地がするのはこのまちが元々港町として発展してきたことに由来するのだろうか。もしくは私の当て所もない現状がそのような心地を誘発しているのかもしれない。
私はいまこのまちで一番背の高いホテルの二人用の部屋に一人で逗留している。窓の外を見ると、空ではそろそろ日が暮れ始めており、代わりに地上の光が勢いを増しつつある。私の逗留するホテルはカジノを併設しており、このまちにはそのようなホテルが他に何軒もある。このまちはいまでは漁業ではなく眠らない観光業の集積地として栄華を極めている。
眼下の喧騒も部屋の中にいると遠い国の出来事のように見えてくる。室内は至って静かであり、空調も適切に管理されている。ルームサービスもあり呼べばいつでも食事などを持ってきて貰える。全てが揃っているこの部屋の中で私は虚しさを抱えている。
本当に、このまちはいまも戦争が継続中であることを人々が忘れてしまうくらいに豊かである。
ある時、下のレストランで食事をしていると男に話しかけられた。
「お兄さん。冬の休暇の際にもここにいましたよね」
私は正直に答えることにする。
「ええ。というよりもずっとこのホテルに滞在しているんです」
「ずっと、というといつ頃から?」
「三、四年は前からです」
「いつまでいる予定で?」
「貯金が尽きるまで」
すると男はそれは凄いと漏らした後、あけすけに、
「普段どのような仕事をされているのですか?」
と尋ねてきた。
「ここに来てからは働いてはいないです。ここに来る前は勇者として戦場にいたのですが、怪我をしてしまいまして」
男は黒の上等なスーツを身に纏っている。その衣服に似つかわしくない苦虫を噛み潰したような顔を見せると、それは災難でしたねとあっさり会話を切り上げてさっさと私の元を離れていった。
彼に言った通り、私は此処に来る前戦場に立っていた。もっと前、私はこの世界の住人ではなかった。使者と名乗る女に連れられて、私は魔王を倒すべくこの世界にやって来た。彼女はその道中死んでしまった。彼女が死んでしまった以上、私は最早勇者でも何でもない。しかし、私は彼女に元の世界への帰り方を訊きそびれていた。
また或る時、暇つぶしに入ったカジノにて見覚えのある背中を見つけた。私は彼女だと思い、気がつくと声をかけていた。しかし振り返ったその顔は当たり前に全く彼女とは異なっていた。赤いドレスを身に纏ったその女は私に怪訝な顔を向けると、何も言わずにまた背中を見せて去って行った。興を削がれた私は結局何のゲームもせずに部屋へと戻った。
そのように来る日も来る日も殆ど変わり映えのないつまらない生活を送った。そうして私の眼前には同じく変わり映えのない明日や明後日やそのまた先の日々が山積みされている。かと言って戦場に戻ろうという気はさらさら起きない。
一度、死のうと思ったことがある。真夜中に部屋を出て、非常階段へ向かうとそこには先客がいた。私に気付くと彼は「貴方も星を見に来たんですか?」と尋ねてきた。私はうんともすんとも言わなかった。ネオンが眩し過ぎるこの場所では無論大して星は見えない。すると彼はひとりでに話し始めた。
「私も星を見に来たのですが、この場所は明るくていけませんね。私の故郷であれば満点の星空が拝めるのですが」
それから数秒の間を置いて、実は死のうと思っていると彼は私に打ち明けた。私が故郷に戻らないのかと尋ねると、故郷はもうありませんと彼は遠い目をして言った。彼の故郷は魔物に襲われて消滅していたのである。
「実は私も大切な人を戦争で亡くしました。だから貴方の悲しみを痛いほど理解できます」
「そうですか。それはさぞ辛かったことでしょう」
私たちは良き理解者になれるとその夜確かに思った。しかし彼は結局数日後に自ら命を絶ってしまった。その場面を実際に見たわけではない。他の客たちがそう噂話しているのを盗み聞いただけである。だから実際には死んでおらずただこのまちを去っただけなのかもしれないが、爾来一度も見かけていないのもまた事実である。
上等なスーツの男は長期休暇のシーズンのたびに訪れているのを見かける。ドレスの女も時折カジノに出没している。
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