7-2

「なあ、キキョウ」

 今度は僕の半笑いにキキョウが訝しげな表情をする。

「どうしたんですか? 嬉しそうにして」

「勇者サトウ、ちょっと山田孝之に似てないか」

と、僕が言うと、

「あー、確かに」

と、彼女は言ったけど、そこで僕は、自分から振っておいて急遽おかしな事態であることに気がつく。

「……いや、ちょっと待って」

「はい、今度は何ですか」

「何で山田孝之なんて知ってるんだ」

 僕にそう指摘されて、漸く彼女も事態のおかしさに気がついたようで、

「あれ、言われてみればその人誰ですか?」

なんてことを言い出す。

「僕の元いた世界の有名人だよ」

「へえ」

「反応薄いな」

「さっきは凄いピンときたんですけどね。何でしょう、前世の記憶というやつかもしれないですね」

「久しぶりに不思議ちゃんを出してきたな」

「あの、何ですか不思議ちゃんって。初耳なのですが聞き捨てなりませんね」

 宴もたけなわになると、キキョウを先に宿に戻らせて、僕はサトウとの約束通り執務室へと向かった。村役場の職員に二階の部屋まで案内してもらい、彼がウォルナット製のシックな色合いのドアを二回、丁寧にノックするとドアの向こうからサトウの「入れ」という声がして、中へ入ると部屋は仄暗い。それは天井に設置されているシャンデリアを消して、光源をデスク備え付けのランプに頼っているからである。その中央のデスクには、書類が山積みにされており、その奥に、村一面を見渡せる大きな窓を背にサトウが革製のソファに鎮座している。何となく僕は数ヶ月前魔物を討伐したときのことを思い出す。気づけば僕はじんわりと手に汗をかいている。

 サトウは書類の一つに目を通していたが、僕が入ってくるとその数秒後に顔を上げて言った。

「ようこそ執務室へ」

「豪華な部屋だ」

 僕はとりあえず思ったままを口にする。

「そんなことないよ。それより、今日の会は気に入ってくれたかい?」

「……世間話をするために呼んだんじゃないんだろう」

「まあまあ、私も皆同様、君に興味があるんだ」

そう言いながらも彼は僕に背を向けると、窓から町を見下ろした。手持ち無沙汰になって、僕もそちらへ目を向ける。外ではこの日にあわせて祭りが催されていて、喧騒こそ、この部屋からでは遠いけど、辺りに熱気が満ちているのが眺めているだけでも伝わってくる。それは夜通し行われるのだとさっきの夕食会で誰がしかが言っていた。具体的に誰がどんな口調で語っていたまではもう思い出せない。何だか、すごい昔のことのような気がして。暫くの間、お互い無言でその光景を見ていたが、ある時彼はまたこちらに向き直り、そして、癖であるのか、整えられたあご髭を慈しむように撫でながら、僕に語りかける。

「ここまで村を大きくするのに十五年かかった。最早オオアミは北部のまちにも匹敵するほどであると自負しているのだが」

 僕は答える。

「確かに、ゴイとは比べものにならない程豊かだとは思う。お世辞ではなく」

「では、何が此処を豊かたらしめていると思うか」

 何となく嫌な予感がした。僕は確かこの質問を以前にもされたことがある。僕が無言を貫いていると、サトウは出来の悪い生徒を前にしているかのように、ふうと一回深く息を吐く。

「その答えは、魔法だ」

 短くそうサトウは答えた。僕は、《魔法は最早、この国にとって無くてはならないものとなっている》という、もう名前を思い出せない勇者の言葉を脳裏で反芻する。

 今僕の目の前にいる勇者サトウの言葉は次のように続く。

「私のもとには、いつの日か村長になることを夢見て弟子入りをしてきた勇者が十二人。その何れもがギルドのヘボとは違い、強力な魔力を有している」

「それは、さぞ頼もしい話だけれど--」

「だが君はその誰よりも、いや恐らく私よりも魔力が強大だ」

 僕は言葉を詰まらせる。窓の外の喧騒は遠い。

「……褒めても何も出ない」

 そして、サトウのことを警戒しながら慎重にそう返したが、もしかすると虚勢を張っているように聞こえたかもしれない。

 サトウはそこで、何かを確信したかのように笑った。

「単刀直入に言おう。魔王を討伐をしないで貰いたい」

 その時、外では花火が打ち上がり、地響きのような轟きと共に極彩色の光が部屋に降り注ぐ。僕は軽く立ちくらむけど、それに背を向けている格好のサトウは一切表情を変えない。ただ逆光となって彼の顔には刹那不吉な影が落ちた。この男はまだ僕が物心つくかつかないかの頃には既に、この世界で勇者として名を馳せていたというのだ。と、思ったところで、いや果たして本当にそうなのだろうかと僕は考え込んだ。『不思議の国のアリス』において、少女アリスが体験したあの長い冒険の旅路の正体が、実は単に束の間姉の膝の上で見ていた夢であったことが最後判明したように、或いは『夢十夜』の第一夜にて、百年はいつのまにか過ぎていたように、夢とは得てしてそういうものなのではなかっただろうか。

 ただ、そこで更に、先程の勇者シマントの言葉を僕は鮮やかに思い出す。

 それは一見、笑える事態だけれど、でもどちらかの世界が間違いというわけでもないと思うんだよな、と、彼は言っていた。

 常識的に考えて、夢は泡沫のものであって、そこに何らかの重さが付与されることはない。でも、現に僕は、数ヶ月もの月日をこの世界で途切れることなく過ごしてきて、今の日々では殆ど元いた世界のことを思い出す瞬間などなかった。そして、それはそれで、間違いではないという考え方がある。少なくとも、今の僕は、それを否定する強い言葉を持っていない。

 だから、

「……何を言ってるんだ」

という僕の発した言葉は、先ほどから一定間隔で打ち上げられている花火と比べて、それこそ夢のように儚げに響いた。

「考えたことくらいはあるだろう」

「答えに、なってない」

「魔王が消えた後の世界についてだ」

 サトウは言った。僕はすっかりもう彼のペースに呑まれてしまっている。

「……この国にはあらゆる問題が溢れ返っていて、それらは現状魔王のせいにされている。しかし実際は違う。誰かが魔王を討伐して初めて、それらの原因の殆どが実は自分たち自身にあったのだと人々は気付き、魔王が消えても改善されない国の歪さを人々は反省し出すだろう」

「そんな話がしたいのではない。勇者エンドウよ、もっと想像力を膨らませろ」

 だからサトウは、僕の言葉−−それはキキョウから借りたものであったが−−を聞いても眉一つ動かさない。

「なぜ私たちはこの地に呼ばれた? それは魔王を倒すためだろう。つまりだ、魔王を倒してしまうと、私たちはもとの世界に戻ると考えられているんだよ。そうなると、どうなる?  魔法は今や、この国になくてはならぬ存在だろう。 お前が言うこともまあ分かるが、お前や私ほどの影響力を持ってすればわざわざ魔王を倒さなくともそんなことは市民に啓蒙出来るではないか」

「じゃあ、いま魔物の支配下におかれている人たちを見捨てるというのか」

「私たち勇者が消えてしまう方がより甚大な被害を生み出すだろう。それに何も見捨てるわけではない。魔王を倒さないだけで、準備が整い次第魔物は随時討伐してゆく所存だ。時間はかかるだろうし、それこそ私の生涯を通じた仕事になると思っているが」

「でも……」

 勝敗は最早決していた。僕の言葉は全て事前にサトウによって想定されている。でも、と言った後、僕は特に何も言葉を続けることが出来なかった。サトウは、横綱のように、僕の言葉が続かないことをたっぷりの時間待って確認したのちに、トドメを刺す。

 それは僕が聞きたくなかった言葉であると同時に本当は聞きたかった言葉でもあった。

「それに、お前自身果たして元の世界に戻りたいのか? 私は、あちらの世界には戻りたくない。あちらの世界で私が消えても誰も気にしないかもしれないが、こちらの世界では多くの民から英雄と崇められ、そして必要とされている。こちらの世界で結婚して子供もいるんだ。息子は魔法こそ使えないが将来は父の役に立ちたいと言ってくれている。私はいま漸く幸せを手に入れたんだ」

 本当は、今の日々で、元いた世界のことを思い出す瞬間が無かったのではない。本当は、意図的に思い出さないようにしていたのだ。いつしか僕は、心からあの世界に、ただの冴えない大学生になんて、戻りたくないと思うようになってしまっていた。

 サトウの言葉に、

「なんだよ、それ」

と僕は悪態をついたが、それは言った本人の耳にも酷く形式的に響いた。

「まあ、今日これ以上議論を重ねても何も得るものはないだろう」

 サトウが笑った。サトウの笑みが消えるより前に、僕は半ば逃げ出すように執務室を後にした。外に出たらまた花火が打ち上がって、見ず知らずの人々が各々幸せそうな顔をして空を見上げている。あれだって、きっとサトウの干支と同じ数いるらしい弟子のうちの誰かが、魔法で産み出したものだろう。僕は賑わいの中独り地面を見つめ、空虚な心を抱えたままとぼとぼと宿までの道を歩いた。

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