7-1

 魔物討伐から数ヶ月の月日が流れていった。その間、幸い他の魔物やらが村に攻めてくることはなく、僕は安定的に魔法を発動出来るようにするための鍛錬に没頭する日々を過ごした。朝六時に起きて、朝ごはんとして昨日の夜の残りを食べると魔物たちの根城であったあの地下洞窟へと、まだぐっすりと眠るキキョウを残して一人で向かう。魔人の先導なしで無秩序に伸びる隧道を辿って最奥部まで至り、その突き当たり正面の壁に取り付けられた鋼鉄の扉を開くと、其処には当たり前に風が吹かないから、あの時のまま、かつて魔物であった砂の山が堆積している。僕は魔物が残していったハーマンミラー社のアーロンチェアの上で胡座をかいて、目を瞑る。視界が暗闇に覆われる。

 最初のひと月程は只管、あの時あの瞬間の感覚を頭の中に鮮明にイメージすることに費やした。風も生き物の気配もない広間には静寂が張り詰めており、聞こえるのは自身の呼吸音くらいである。身体が発するその一定のリズムに耳をすませている内、自分がいまどこにいるのか定かでなくなってくる。トランス状態に陥り、天地の感覚すらなくなっていき、夢の中の現実と夢の中の夢が混ざり合わさる。

 寝ている時に己の呼吸音に耳をすませるなんてことは有り得ない。つまり、僕がいま、僕の呼吸音だと思って聞いているものは、実はそうではないのだ。

 そうして瞼を開けると眼前には魔物が在りし日の姿をして蘇っている。彼は、僕と目が合うと、奪われた王座を取り戻そうとして、こちらへと迫り来る。僕はそれを宥めるようにその方へ自身の右の手のひらを向けてみるけど、魔物は自身が死んだことをすっかり忘れているらしいから、それを見ても立ち止まろうとはしない。僕は差し出した右手の掌底から放たれた閃光が魔物の心臓を貫くイメージを脳裏に浮かべる。あわいにおいて、強固なイメージは現実へとすり替わる。自らの発する光の眩しさに脊髄反射で僕は目を閉じる。

 次に開くと其処は来た時と全く変わらず、ただ砂山が堆積しているのみである。

 そんな、夢とも現実とも言い難い領域でかれこれ千回は魔物を殺し続け、己の中で最早信念は確固たるものになったと思う。季節はいつの間にか夏から秋、そして冬へと移り変わっており、地上の村も、漸く文明らしい体裁が整ってきた。そんな頃合いに、僕たちは義勇連合の全体会議に招集された。会議は《はじまりの村》オオアミにて半年に一度、定期的に開催されていて、連合の、僕たちを含めて九つある村の各代表がお互いの近況を報告し合うのである。

 その日、僕は初めて、自分以外の、魔物の討伐を成功させた勇者との邂逅を果たした。剣豪イシカリ、罪人シマント、笛使いアブクマ、天探女ワタラセ、彫刻家バンジョウ、水夫テンリュウ、篤信家アガノ、そしてはじまりの勇者サトウ。連合に所属する村同士は、有事の際を除き、原則としてお互いあまり干渉することはなくて、故にその統治方法も、自ら積極的に治世に関わる者も居れば、殆どを村民に委ねている者も居たりと千差万別であった。

 十六時に村役場の二階会議室で始まった会議は、特筆すべき問題事項もなく定刻通り十七時半に終了した。その後は夕食会がそのまま一階大広間で用意されており、向かうと正装に身を包んだ見知らぬ人々の中にポツンとキキョウがいる。そちらへ近付くと、彼女は僕の姿を認めるなり半笑いで、

「どうでした会議は?」

と、尋ねてきた。

「緊張はしたけど、会議自体は平和だったと思うよ」

 そう僕が答えても、

「そうですか。それは良かったです」

と、言って、半笑いをやめない。しまいには口元を手で隠し、フフッと声を出して笑い始める。

「なんだよ」

「いえ、部屋に入って来られた勇者様の中で一人だけヒョロヒョロしていらっしゃったから……」

 僕はスーツの襟を正そうと試みるが、丈が微妙にあっていないためか、何度直してもすぐにヨレッとしてしまう。

「……頼りない勇者様で悪かったね」

「そんなこと言ってないですよ。ヒョロヒョロって言っただけで」

 そう言って最早隠そうともせず笑うと、持っていた皿を近くのテーブルに置き、彼女は僕の襟を微調整しようとする。

 彼女の釈明がちゃんとフォローになっていたかいまいち釈然としなかったが、キキョウの顔に笑みが宿ったので、僕は彼女に襟を直させながら、内心ホッとしてもいた。彼女は明らかにこういう華やかな場を苦手としており、さっき部屋に入った時に目に飛び込んできたのも、誰とも喋ろうとせず、一人空の皿を手に持ちその平べったい底に視線を沈めている姿であったからだ。

「はい、直りました」

「ありがとう」

「挨拶が十八時にあるそうなので、先に食事を取りに行きませんか」

 会はビュッフェ形式で、広間の中央の長テーブルにはティーバ王国版満漢全席が所狭しと並んでいる。部屋全体にエスニックな香りが立ち籠めており、嗅いでいると自ずと多幸感に包まれてくる。

「いい匂いがしているけれど果たしてどんな料理があるんだろう」

「エンドウさんが来る前に少し眺めてみましたが、品数が多過ぎて却って選ぶのが難しかったですね」

「ああ、だからお皿が空っぽなんだ」

 僕がそう指摘するとキキョウは大袈裟に顔を顰めた。

「何言ってるんですか。違いますよ。これはエンドウさんが来てから一緒に選ぼうと思って待っていたんです」

 そうして、キキョウと一緒に料理を物色していると、僕たちに話しかける声があった。

「新進気鋭の勇者様御一行がそれしきの量で果たして満腹になるものかな」

 声の方を振り返ると、そこに立っていたのは勇者シマントであった。

「やあやあ、先程の会議はどうだったかな。退屈だったかな。いつも思うが、ほとんどただ、定期報告するだけの会だというのにこんなに豪勢な夕食会を用意して、張り切りすぎだよな、全く」

 そう言って鼻で笑う彼のスーツからは、積年の喫煙行為によってすっかり染み付いてしまっているタバコの強烈な香りが迸っており、それが料理の匂いと悪夢的に混ざり始めている。

 僕はキキョウに彼のことを紹介する。

「この人は勇者シマントで、罪人という二つ名で呼ばれている」

 キキョウがお辞儀する。

「キキョウと言います。よろしくお願いします」

「よろしく」

「ところで、どうして罪人って呼ばれているんですか」

 そうキキョウが尋ねると、

「逆に訊くけどお嬢ちゃんはどうしてだと思う」

と、シマントは来た球をそのまま打ち返すような速さで尋ね返した。キキョウは困惑しながら五秒程ウーンと唸り声をあげて考えていたが、そこで、

「いや、全然わからないですね」

と思考を放棄した。

 シマントはそれを見て、満足そうに声をあげて笑った。

「此方ではなく、彼方の世界でだけど、まあ色々やったよ。でもその中でも一番重たいのは、やっぱり人を殺してしまったことだろうな」

 僕たちは彼がそのようなことをあっさりと告白してきた意図がいまいち読めず、質問しておいて揃って黙りこくっている。

「そんな俺が、此方の世界では勇者だなんて崇められて、あまつさえ、魔物なんてものを運良く討伐出来たものだから、英雄のようにすら扱われている。それは一見、笑える事態だけれど、でもどちらかの世界が間違いというわけでもないと思うんだよな」

「どうして彼方の世界では人を殺してしまったんですか」

 その問いに、彼は、

「それは、結局はそうせざるを得なかったからだ。魔物を殺したのも、人を殺したのも」

と答えた。

「ああ、そろそろ挨拶が始まってしまうね。ではまた」

 十八時きっかりに、勇者サトウによる簡単な挨拶によって始められた夕食会は、先程の会議とは打って変わって全体的にフランクな雰囲気に包まれていた。また、僕たちはやはり初参加ということもあってか、沢山の方々から話しかけられ、最初の頃は満足に食事を取る隙もないほど忙しかった。その中には今日の集まりを統括している勇者サトウの姿もあった。オオアミの村長である彼は、表向き平等とされている連合の実質的なトップである。

「夕食会のあとで私のところに君一人で来てくれないか? 話したいことがある」

「構わないけど、話とは?」

「ここでは言えない」

 それだけ言うとサトウはあっさりと風のように僕たちの元を去ってゆき、そのまま部屋を出て行った。彼を初めて見たときから、何かずっと、歯の奥に何かが引っかかっているかのような、それが気になって何もかもが手につかないと言う程ではないくらいの得も言われぬ気持ちが僕の中にあったけれど、その小柄ながら貫禄のある後ろ姿を眺めていたら、ふと彼が誰に似ているのか思い至ってスッキリする。

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