第五夜
こんな物語がある。
私の父が治めていた村が魔人の軍勢に襲われた。父や兄は魔物との闘いで命を落としてしまったようだが、私は臆病なので建物の陰で息を潜めていたところを生捕りにされた。身につけていた装備が高価なものであったことから魔人の長の前へ引き据えられた。
私が連れて来られたのは父が生前使っていた執務室であった。彼は父が生前着ていた服を着て、父が愛用していた執務椅子に腰掛けている。人間の真似事をして楽しいかとぽつり漏らすと、申し訳ないけど奪うしかないんだと彼は答えた。
「残念ながら、私たちにこういうものを作る能力は与えられなかったからね」
私は人外が人間の言葉を操っていることに驚き、心の底から気味が悪いと思った。そのことを素直に吐露すると、
「そりゃあ、私たちは人間を捕食するのだから、人間の言葉くらい操るさ」
と返ってくる。そういうものだろうかと思う。魔人たちは私たちを捕食する際、生きたまま頭からバリバリと齧るとどこかで聞いたことがあった。これから命を奪うものの言葉なんて分からない方が良いような気もしたが、しかし人間同士だって時に殺し合うこともあるかと思い直す。言葉が通じることは別に愛情が通うことの必要条件でも十分条件でもない。
「お前たちが捕食する前、私の父や兄は命乞いをしたか」
「お前の父というのはこの部屋の主のことだな」
「ああ」
魔人の長は一瞬目を細めた。よく父も食事の際などにふいにそうした目をすることがあった。父は真面目で、四六時中村の運営などの難しい問題について考えを巡らせていたのである。そうした目をしている時の父には話しかけてはいけないと、在りし日よく母から注意されたことを思い出した。
ただ、眼前の彼の場合、単に私の発言を不快に思っただけに過ぎなかったようである。
「極限に飢えている時を別にして、私たちは成人した人間のことは食わない。不味いからね」
「じゃあ父たちは?」
「お前の父は殺してこの屋敷の庭に埋めた。村に統治者は二人もいらないだろう。お前の兄については、もしお前の父を護衛していた者がそうであるならついでに殺してしまったよ。まあ、不可抗力みたいなものさ」
私はそれを聞いて、服の袖を目頭に充てて涙を拭うふりをした。それから彼のことを睨みつけて、これから私はどうなると恐る恐る尋ねた。
「お前、年は?」
私は二つサバを読んだ年齢を答えた。それを聞いて魔人の長は、私の目に狂いがなければまだ成人しているようには見えないがと言って笑った。私は黙りこくるしかなかった。笑い声が止むと凍てつくような静寂が場を支配した。その中で私だけが場違いに汗をダラダラと流している。汗を流せば流すほど、私の身体は美味しそうに火照ってゆく。
しかし次に彼が発した言葉は彼が言葉を発することよりも想定外のものであった。
「幸い、いま私たちは満腹だから、お前のことを逃しても良いと思っている。明日になれば気が変わっているだろうから、発つならこの夜のうちがいいだろう」
「そんなことをして一体何の便益がある?」
「この屋敷の息子ということはきっとそれなりに外部との交流もあっただろうから、逃しても犬死はしない筈だ」
私は口を噤んだまま小さく頷いた。
「保護された先で、お前は私たちの恐ろしさを喧伝する良い材料となる。そうすれば人間たちが下手に私たちの村へと近づくことはできなくなる」
ただ、無傷のままだと少し具合が悪いなと彼がぽつりと溢した。それから、嫌な予感なんてものが脳裏を走るよりも早く、私は着ていた甲冑ごと胸の辺りを切り裂かれる。ドバドバと血が流れて私は上手く呼吸もできなくなる。
彼の部下の魔人に抱えられて私は執務室を後にする。そうして、そのまま村の外の街道に尊厳もなく打ち捨てられた。当初このまま此処で死んでしまうのだろうと思ったが、暫くすると彼の言葉の通り致命傷は負っていないことに気がついた。
一晩かけて私は命からがら隣の村まで辿り着くと、そこの村長が父と旧知の間柄であったことから私は丁重に保護された。この日ほど父の息子で良かったと思ったことはない。
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