5-2

 魔物の占領下にある村において、人間はさながら家畜のように管理されているらしい。女は妙齢になると子を産む機械と見做され、男は農作業に従事する者と種雄に分けられる。そうして両者とも生産量の期待値が最大になるよう効率的に使用され、三十前後には使い物にならなくなって、処分される。彼らは食料にすらならない。魔物の食料となるのは大体五から十二歳ぐらいまでの子供で、生まれてくる内大人になれるのは半数程度であった。

「私には一般的な感覚でいう父母がいなく、私含む幼児の基本的な世話は殆ど年長の兄や姉たちが行なっていました。彼らと私の間に血のつながりがあったかは分かりませんが、少なくとも当時の私はそんなことを気にしていませんでした。たまに何の前触れもなく居なくなり、それから二度と会えなくなる人もあったけれど、……当時の私にはそれが何を意味するのかいまいち分かっていなかったし、案外そこで辛かった思い出というものはなかったりします。でも子供の頃の思い出って、誰だってそんなものでしょう」

 彼女はまるで大人のような顔をしてそんなことを言う。僕は頷くことしか出来ない。

 彼女が五歳のときに彼女の村を解放したのは義勇連合であった。義勇連合とは王国やギルドの態度に不信感を持った勇者たちからなるグループであり、彼らによって解放された村はその当時既に他にもいくつかあったらしい。そうして、彼女の村の子供たちは次々に社会インフラが整備されていている連合内の他の村々へ、或いは村の体制を整えるために他の村々から移住してきた人たちの元へ里親に出された。しかし、そこでの生活は決して幸せなものではなかった。

「私の引き取られた家は南部の感覚でいうと裕福でしたが、望んで里親になったわけではありませんでした」

「じゃあなぜ?」

「義勇連合では、一定以上の所得のある家には有事の際里親として孤児を引き取る義務が課せられているのです」

 そこで虐待めいた扱いを受けて育った彼女は、十歳のとき身一つで遂に家を飛び出すことに決めた。

「そうして私はとりあえず、別の村で暮らす、一番仲の良かった姉に会いに行くことに決めました」

「……会えたの?」

 無神経な僕の質問に対し、

「はい。彼女は彼女の里親と幸せそうに暮らしていました。その雰囲気に居た堪れなくなった私は直ぐにその場を立ち去ってしまいました」

 あ、ここ、笑うところですから、と言って、彼女は笑う。

「どこにも居場所のなくなった私は、とりあえず首都を目指すことにしました。ぼんやりながら、首都はとても豊かな場所だと聞いていたので、行けば何とかなるだろうと思ってのことでした」

 しかしながら、南部から来た素性の知れない少女を養ってくれる人など居るはずもなく、同様にちゃんとした働き口なんてものも無くて、彼女はスラムに流れ着く。そんな自分のことを、

「私はだから、薄汚れた人間なんですよ。こんな私が付き人でがっかりしましたか」

と評して、キキョウは微笑む。けれど、その顔は反対に、いまにも泣きそうに見えてきて、何だか僕は自分が無性に情けなくなってくる。思えばウラヤスの賭博場でも、結果はどうあれ、ああいった場所に彼女は全く臆していなかった。野宿に対し、慣れているとも言っていた。気づける場面はいくらでもあったと言うのに、僕はいま、彼女にこんな顔をさせてしまっている。

「でも、勇者様の付き人に志願するのは大抵スラムの娘なんですよ。どうしてか分かりますか」

「申し訳ないけど分からないよ」

「謝らないで下さい。……答えは、勇者を見つけられないで死ぬ確率が非常に高いからです」

「どういうこと?」

と、僕が問うと、

「実は私たちは貴方たちの暮らす世界で三十日しか生きられません。しかし勇者を連れて来ないでこちらに帰ってくることは出来ないのです」

「つまり、付き人はスラムの娘から強引に選ばれるということ?」

「いえ、志願すると言ったじゃありませんか」

 彼女はまた笑う。努めて明るい口調で喋っている。きっと、それは彼女がこれまでの人生で身に付けざるを得なかった処世術なのだ。そういう風にするよう強いてきたものの末席に、いま僕も連なっている。しかし、それを自覚してなお、僕はどうすることも出来ずにいる。壮絶な人生を歩んできた彼女を前にして、僕のような人間がそれを捨てろということの滑稽さもまた同時に自覚しているからだ。

「勇者様をもし見つけて来ることが出来たら、彼女たちはその勇者様の付き人として、第二の人生を歩むことが出来るでしょう? スラムでは明日の命の保証すらありませんから」

 彼女はまだ笑っている。

「最初十七になって付き人を志願したとき、私も多くの彼女たちと同じように人生に絶望しきっていました。どうせこのまま生きていても何も良いことなんてないって。そうして、……どうせ死ぬしかないのなら、せめてこんな汚いところではない、何処か別の場所で死にたいと、私の中にはそのくらいの思いしかありませんでした」

 じゃあ、あの時−−僕らがはじめて出会った時、やっぱり君は本気で死ぬつもりだったんだな、と思う。けれど、思うだけで口には出せない。口内はカラカラで、思い付いた言葉はそこで悉く枯葉になってボロボロに崩れてゆく。代わりに脇には汗をかき、耳朶が熱を帯び始めており、僕は、キキョウに見惚れてしまっている。

 その時僕は、多分初めて彼女のことをはっきりと見つめ、そして美しいと思ってしまったのだ。

 でも僕は、そんなものには気が付かないままでいた方がきっと良かったのだ。僕は、さっき、あのタイミングで自らの滑稽さを存分に提供して、やはり彼女に笑われるべきだったのだ。そうすることでしか、呪いは解けなかったのだ。しかしながらそのタイミングは、僕が気づいてしまったことで永久に失われる。馬鹿みたいだけれど、僕はもう、彼女に己の恥ずかしい姿を曝け出したくないと思うようになってしまった。

 だから僕は、もっと追い詰められることになる。

「しかし、向こうの世界を目の当たりにして、その文明の円熟具合に私はただひたすら驚かされました。本当に、この国の優れた人間なら私たちの国を救うくらいわけないのだろうとぼんやりながら思いました」

「そうか」

としか、僕は言えない。僕は未だに、自分が魔王を倒すということについて、漠然とした想像さえ出来ていないと言うのに。

「貴方と出逢えたのは丁度三十日めのことでした。あんまり安易にこんなこと言いたくありませんけど、でも奇跡としか思えません」

 彼女はありがとうございますと深々お辞儀をする。きっと込み上げてくるものがあったのだろう。彼女は下げた頭を中々上げず、鼻水を啜る音や吃逆を堪える声が隠しようもなく聞こえてきたが、僕には文字通り、どうすることも出来なくて、ただ下唇を噛んでそれを見ていた。

 次にキキョウが顔を上げた時、やはりその目元は赤く腫れ上がっていた。けれど、涙に濡れたその瞳は却って力強く輝いていて、僕の方をまっすぐ見つめ、彼女はこんなことを言うのだ。

「一度捨てた命を貴方に救って頂いた瞬間に、私は魔王を討伐しなくてはならないと決意しました」

 それは呪いの言葉で、僕はその言葉をはっきりと耳にしてしまった。魔王を討伐しない限り解くことの出来ない呪いである。それに、囚われてしまったのだ。僕もキキョウも。

「はっきり言ってこの国は歪です。でも、魔王が倒されない限りその全ては魔王のせいにされ、絶対に人々は自分たちの非を認めようとはしないでしょう」

「そう、かもしれない」

「でも、よく考えてみれば勝手ですよね。実際に魔王を討伐するのは貴方なのに」

 彼女はどこまで本気で自分のことを勝手だと思っているのだろう。確かに彼女は勝手だけど、勝手なのは彼女だけではなくて、そう言わせる役目を彼女に押し付けたここには居ない数多大勢もそうだし、ここで特に彼女のことを許したり、非難したりもせず、黙っている僕も勝手だ。つまり、みんな勝手なんであり、もしそうだとすると取り立てて自分のことを勝手だと言う必要もなくなる。でも、彼女は、

「すみませんでした」

とまるで、自分だけが悪いみたいに言って、笑って、会話を終了させた。これだけの話をした後で、最早世間話をする気力もお互いなくて、黙って外を見ていたら、それほど経たずに彼女はこてんと僕に寄りかかってすうすう寝息を立て始めた。勝手な奴だと思うけど、意識のない奴に文句を言っても仕方がない。どちらかが起きていた方が良い気がしたから、僕は右の肩に熱を感じながら、読みかけの小説をカバンから取り出し読み進めようとする。でも、小説のような彼女の話を聞いた後で、文字を目で追ってもその描かれた物語の世界に耽溺することは難しく、気付けば小説とは関係のないことを考え始めている。

《本当に、この国の優れた人間なら私たちの国を救うくらいわけないのだろうとぼんやりながら思いました》

 そう言った彼女に対して、僕は更なる本当のこと、残酷な真実を教えるべきだっただろうか。つまり、この世界における北部と南部のような格差は僕が来た世界においてもそっくりそのまま同じようにあるということを。僕たちの世界の住人が眠る際に見る夢の世界が此処らしいから、考えてみればそれは当たり前なのかもしれないけれど、裏を返せばこのような夢の世界に出てくるくらい、当たり前にあるものとして、もう諦めてしまっているのだ。どうしようもない。僕たちの世界にはこの世界における魔王のように分かりやすい悪人がいる訳ではなくて、キキョウがひとまず実現したい世界に近いけれど、それは理想なんて代物では決してなく、そこにあるのはただ、どうしようもないという感情なのである。世界は、個人が頭を働かせるにはあまりに巨大で、また、僕たち一人一人はどうしようもないことを考えるにはあまりに忙しい。日々の生活に精一杯で、会ったことのない途上国の子供たちのことは勿論、アパートの隣の住人の顔すらうろ覚えである。

 でも、それを彼女に伝えることもまたどうしようもないことなのだ。この細い肩に、これ以上重い荷物を背負わせてどうすると言うのだ。この後ろめたさはひとまず僕が持っていれば良い。僕は、彼女がいま、その瞼の裏でどんな夢を見ているのだろうかと考え始める。せめて夢の中では幸せな夢を見ていれば良いと思う。無責任に。

 ある時遠くに環濠集落が見えはじめて、それに十分近づいた地点で馬が鳴き声をあげる。すると、キキョウはパチリと目を覚まし、まるでずっと起きていたかのように、

「あれがアマアリキですね」

と明瞭な声で喋る。

「起きてたの?」

「ええ、少し前から」

 あんまり馬車の上って寝心地良くないですねとキキョウは言って微笑む。それを僕がだから言っただろとなじると、そうでしたっけと彼女はとぼける。まるでくだらない日常の手触りを確かめるように。

「それにしても意外と大きいんだな」

 アマアリキは義勇連合の村である。僕たちは一旦そこへと立ち寄り、夜も遅いから中には入らず、堀にかかる橋の上でキキョウの旧友と落ち合った。彼は現在村の役場に勤めているらしい。

「まさかキキョウが付き人になっていたなんてなあ。ここ数年音信不通だったのに、今日の夕方になっていきなり連絡して来るんだから驚いたよ。それにしても、これが必要ってまさか本当にゴイの魔物を討伐しに行くのか?」

「ええ」

「そうか。無事に帰ってこいよ」

「……うん」

 僕たちがそのときそこで彼から受け取ったのは発煙筒であった。発煙筒は魔法で作られており、一度発火させるとするする虹色の煙が発生する仕組みとなっているらしい。雨が降らなければ一週間ほど煙は空に残り続け、つまりそれは、

「この村は義勇連合が解放した」

ということを辺りに伝える役目を果たすのである。

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