第四夜

 もう夜も更けた頃合いに私は馬車を走らせている。用事を済ませた帰りであるし、それに今夜は満月で一晩中明るいから、特に急ぎもせず。私が行くのは大海の如く広がる草原に一本引かれた未舗装の道である。まだ街までは大分ある。とても静かな夜である。

 私の用事とは行商である。荷台に山程積んであった医薬品を今夜も無事全て売り捌くことができた。報酬は十歳かそこらの子供三人で支払われた。これがこんな夜更けに取引が行われる理由である。

 無論、この子供たちをどうこうする趣味を私自身は持ち合わせていなかった。つまり報酬で貰ったこの子らを私はまた転売しなければならないのである。ただし、大っぴらに人に言えないような嗜好に絡むほど、金額も弾むというものだ。実際、この仕事を始めるようになってから、普通に働くことが馬鹿らしくなるくらいの財産を築くことができた。

 生きるために働く。実に馬鹿らしいことだ。もっと馬鹿らしいのは労働に時間を過大に割くあまり肝心の生きることが疎かになることである。こんなもの、せいぜい生活の二、三割を充てれば良い。私はふと同意を求めたくなって荷台の方を振り返る。そこには世の中の全てを冷笑するような虚ろな双眸が三対並んでいる。まあ彼らが虚ろなのは、暴れ出さないよう私が投与した薬が効いているだけなのであるが。

 こんな生業に手を染めていても、一応私にも人の心というものはあって、彼らに対して罪悪感を全く抱かないわけではない。私はきっと地獄に落ちるのだろうと覚悟している。それでも私が辞めないのは、私が辞めたところで結局代わりの誰かがやるだけだということが分かっているからである。そうした需要があり、それを供給できる用意がある。あとは安直な比喩を用いれば水が高いところから低い方へ流れ落ちてゆくだけである。この世界そのものがそもそも地獄なのかもしれない。我々の営みの全ては地獄の中に多少の起伏があるのみである。

 遠くの方で鶏の鳴く声がした。その声にびっくりして馬が歩みを止めてしまう。もうそんな時間かと時計を見遣るがまだ二時前とかである。

 視線を前方に戻すと見慣れない翁が道を塞いでいる。道幅が馬車一台分しかないため避けて先に進むことは出来ない。何よりこんな時間にこんなところを徘徊している人間など尋常ではない。私は彼を幽鬼の類だと直感的に思った。

 翁は懐から笛を取り出すと、器用に旋律を奏でながら道ではなく草原の方へ歩き出した。すると背後からガタリと音がして、薬も投与していないのに固まる私の脇を投与している筈の子供たちが悠然とすり抜けていく。

 最後の一人が草原に足を踏み入れたところでようやく私は我に返った。そうしてご一向の向かう先まで尾行することに決めた。草原は私の腰ほどの高さまで伸びているが、前を行く彼らが薙ぎ倒していってくれるためそれほど難儀しなかった。これなら帰り道に迷うこともないだろう。……草原は地の果てまでも続いているようで、いつしか振り返っても馬車は見えなくなってしまった。

 そろそろ空も白みだし、辺りに翁ではなく朝が訪れ始める頃、我々は鏡面のように水の澄んだ湖へと行き着いた。かと思えば翁は立ち止まることなくそのままジャブジャブと湖へ侵入した。翁に続いて一人、二人と侵入していく。私は、咄嗟に三人目の両肩を掴んでいた。力一杯の抵抗にあったが、所詮は子供である。私たちは湖畔にて彼らが沈んでゆくのを見送った。彼らがすっかり見えなくなって、そうして湖面がまた何事もなかったかのように凪ぐと、途端私が捕まえていた子から一切の力が抜けて、ヘナヘナとその場にしゃがみ込んだ。上から覗き込むと静かに涙を流していた。とても子供の涙の流し方とは思えなかった。その涙は湖と同じくらい透き通っていた。

 私はその時、心の底からこの子を引き留めたことを後悔した。そうしてせめてもの贖罪としてこの子が成人するまでの責任を負うことに決めた。これから十年は先になるだろうか。戸籍のないこの子が成人して、のうのうと生きている私のことをきっと殺めるだろうその日まで。

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