4-2

 窓の方に目をやると、眩い朝日がスポットライトのようにそこから部屋に差し込んでいる。そうして隣のベッドからは、くうくうと控えめないびきが。近づくとベッドの主は口を開けて、少し涎も垂れている。

 僕は彼女を揺り起こすことにする。

「そろそろ起きて。朝ごはん食べに行こう」

 僕の呼びかけに、彼女は眠そうに目を擦ってあくびで応答したが、案外素直についてくる。ホテルの朝食はバイキングで、キキョウを椅子に座らせて僕は二人分の食事を適当に見繕って持ってくる。

「はいどうぞ。好き嫌いとかあったら僕の皿によけていいから」

「ありがとうございます」

 そう呟いて、彼女は皿の一番手前に位置していた玉子焼きを食べ始めた。もぐもぐと咀嚼して、飲み込んで、オレンジジュースを飲んで一息つく。そうして漸く頭がはっきりしてきたのかそこで僕に謝罪する。

「ごめんなさい。昨日の私、ちょっと冷静じゃなかったですよね」

「まあ、そうかもね。でも別に気にしてないよ」

 トーストにバターを塗りながら僕はそう軽く言った。

「昨日は張ってないって言いましたけど、やっぱり意地張ってたと思います。そうしても世界は何も変わらなくて、ただ目の前のあなたが困惑するだけだということは、意地を張っていながらも薄々分かってはいましたけど、でも、突如湧いて出た大金を使って、贅沢している私を、かつての自分が見たらどう思うか、考えたら頭に血が上ってしまって。……」

 ホテルを出た後、ウラヤスから首都へは馬車で向かった。車なんて気の利いたものは無くて、魔力を燃料に動くビハイクルも有るには有るらしいけど残念ながら一般には普及しておらず、そうして馬車の速度は人間がジョギングするのとあまり変わらないくらい遅かった。昼過ぎになって僕たちを乗せた馬車は漸く目的地へと至り、慣れない旅路に僕の身体の節々は立ち上がった途端にバキボキと悲痛な叫びを上げていたが、休む間もなくまずは宮殿へと向かった。そこで僕たちは実物のナッシジル=ティーバからありがたいお言葉と、それから、付けていると体内の魔力を放出しやすくなるという、何だか通販で買える健康器具のような謳い文句の銀のブレスレットを頂いた。

 そのあとに向かった先は酒場併設のギルドであった。キキョウによると、カジノで纏まったお金を作ったあとはそこの掲示板に貼ってある依頼をこなしてゆきスキルアップを図るのが定石らしいのだが、それだけでなく、新米ベテラン問わず様々な勇者たちが集うため、ギルドは国中の人々の情報交換所としても機能していた。日中にも関わらず既に景気の良い顔つきをした大人たちが至る所で酒を酌み交わしていたが、僕たちは未成年であるため買うことが許されていない。

「ところで勇者ってどれくらい居るんだ?」

「正確な数は分かりかねますが、多いときは一月に一人新たな勇者様が誕生しているらしいですよ」

「ちょっと多すぎじゃないか」

「魔王が討伐されない以上、多すぎるなんてことはないのです」

 そんなものだろうかと少し思うが、実は首都のすぐ南はもう魔王の占領下であり、掲示板に貼られている依頼の中にはそうした魔物たちを倒して欲しいというものもあった。成し遂げた勇者には報酬として魔物の支配していた村の長となる権利が与えられるのだが、非常に長い年月貼られたままであるらしいその紙はすっかり劣化してきつね色をしている。

 僕とキキョウが雑談しながら掲示板を眺めていると、早速ある中年の男が話しかけてきた。

「おまえら新入りの勇者だろ」

「そうだけど、あなたは?」

 僕がそう尋ねると彼はタナカと名乗った。来店したばかりのようでまだ酒気を帯びてはいなかったけど、勇者タナカは服の上からでも分かるくらいにだらしの無いビール腹をしている。しかしながら彼は勇者歴がそれなりに長いようで、

「今どき本気で魔王討伐しようとする奴なんていないぜ」

などと訳知り顔で僕たちに語ってくる。多分、彼は新米勇者が来るたびにこのように先輩風を吹かしているのだろうと悟った。悪い人ではないのかもしれないが、決して尊敬を集めるタイプでもない。ただ、……嘘をついているようにも見えなかった。

「そうなのか?」

と僕が尋ねると、

「そんなはずありません」

とキキョウが間髪入れずに答える。それを勇者タナカは鼻で笑って、

「おまえの付き人は少し世間知らずみたいだが、まあいい。それより、おまえは一体どんな魔法が使えるんだ?」

「それが今のところ全く魔法が使えそうな気配が無いんだ」

 僕が切実にそう答えると「ほう」と男は意味深な笑みを浮かべた。

「まあ魔力が開花したらいつでもオススメの仕事を紹介するから言ってくれ。それじゃあな」

 立ち去る中年勇者のでっぷりとしているのにどこか哀愁漂う背中に、

「ああなってしまってはもうダメなのです」

と、キキョウがゾッとするほど低い声で呟いた。

ギルドを出ると、キキョウが「私は少しあちらで支度がありますので」と言って閑散としている方角を指差した。

「その間どうか観光でもしていて下さい。夜八時になったらまたここで落ち合いましょう」

 とは言え、夜八時まで、ざっと六時間はあった。その間この場に突っ立っていても仕方がないから、とりあえずメインストリートをあてもなくぶらぶらとさまよい歩くが、暑さに耐えかねて、数分ほどで感じの良い蕎麦屋を通り沿いに見つけると、さして吟味もせずそこで昼食をとることに決めた。入るとまず側面の壁に掛け軸が飾ってあるのが目につき、そこには達者な字で一句、

"路問エバ、( )唖ナリ、枯野原"

とある。よくわからない。路問エバと啞ナリの間には意図的と思われる余白が存在していて、頼んだざるそばが提供されるまでの幾ばくか、そこに入る文字は果たして何が適当かと頭を働かせてみたけれどさっぱりである。

「すみません。あの余白には何が入るんですか」

 耐えかねてそう尋ねると、

「それがそのまま答えだよ」

と、ざるそばを持ってきた店員は言った。

「あそこには本来、魔人が入るんだけど、魔人なんてもんは、言葉に出すだけでも不吉だろ。だから余白にしてある。つまり、魔人とマージンがかかっているのさ」

 食後、斜向かいにある喫茶店へ移動し、そこで外が暗くなり始めるまで小説を読んで時間を潰した。そうして幾分過ごしやすい気温になると屋台に足を運んで軽く夕食を済ませ、それから、約束にはまだ少し早かったけど僕はあえてギルドへと引き返した。中に入ると案の定タナカは居て、あれからずっと入り浸っているのかは分からないけど、カウンターでコーラを注文していると向こうの方から近づいて来る。相貌は昼間見た時よりも明らかに赤く変色しているし、そしてしっかりと酒臭い。その様子に、会話になるか少し心配になるが、呂律が回らなくなる程に酔いが回っている訳ではないようで、

「おうさっきの生意気そうな女の方はどうしたんだ」

などと率先して会話を切り出した。

「あの後一旦別れることになって、僕も詳しい事情は知らないんだけど、何やら準備があるみたいで八時にまた此処で待ち合わせているんだ」

「準備ねえ……」

「それで、あなたに訊きたいことがあるんだけど」

「遠慮せずなんでも言ってくれ」

 そう言われたから、

「さっきあなたに声をかけられるまで、僕ら勇者は魔王を討伐するために呼ばれたんだと思っていた」

と、返すと、

「おまえ本当にあの付き人から何も聞かされてないんだな」

「一体どういうことなんだ」

 タナカはわざとらしく大きな溜め息をついた。生ぬるい風がこちらに押し寄せてくる気がして、僕は表には出さず、心の内でうんざりする。

「いまは抑止力となる勇者の数が増えて、魔王軍が迂闊に領土侵攻してくることは無くなってな、だから、王国側としても下手に刺激なんかせず現状を保っていた方が得策ってわけ」

「だけど、南部ではいまも魔王軍による略奪が行われているんだろう」

「戦争が勃発したらそれよりもっと大きな犠牲が生まれる」

「じゃあ、なぜ僕たちはこの国に連れてこられた?」

 タナカが、自身のグラスを持っていない方の手のロックンローラーの人生のように太く短い人差し指と中指の二本を突き立て僕の目の前十五センチのところへ持ってくる。

 そうして言う。

「理由は、二つある。一つは体裁のためだ。建前でも魔王討伐の意思を国民にアピールしておかないと反感を買ってしまうからな」

「だから一応の資金の支給や国王への謁見があったのか」

 僕は左腕に嵌められている銀のブレスレットに目をやる。そこには、日没前の影のようにいびつに引き伸ばされた己の顔が反射している。タナカの顔を映してみれば丁度良いアスペクト比になるだろうか。

「まあこれはそんなに重要じゃない。未だに勇者が連れてこられるのはやはりもう一つの実益によるところが大きい」

「……魔法か」

 そう言った僕の目を真っ直ぐ見つめてタナカはニヤリと笑った。

「ああ、そうだ。魔法はもはやこの国にとって無くてはならないものとなっているからな」

 この国において、魔法は軍事利用だけに留まらず、実にあらゆる面から人々の暮らしを支えているらしい。タナカの教えてくれたものでは、例えば、農村地帯であった南部の殆どを失った王国では当初深刻な食料問題に悩まされたが、現在では高度に洗練された、農作物の成長を促す魔法などがこれを解決していた。

「あなたは現在何の仕事に就いているんだ」

「ビハイクルの運転手さ。地味だけどその分楽だし、それに必要な仕事には変わりない。俺のビハイクルを使えばウラヤスまで二十分で至るんだぜ」

「元いた世界では?」

「……ニートだよ。つまらないことを訊くなよ」

 僕はそう言う彼の黒い瞳を見つめながら、つまらないのは質問内容ではなく貴方自身なのではと思うが、口には出さない。別にあえて指摘するような事柄ではないからだ。きっと、本人もそのことを重々承知だろう。

 会話が切れて、少しの間の沈黙の後、タナカが、まあ上手くやろうぜお互いにと締めて、それぞれ手に持っていたグラスを意味もなく乾杯させる。そうして、タナカは自分が元々いたテーブルへと戻っていく。そこにはタナカと同じような腹をした数人が集まっていて、それなりに盛り上がっている。

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