4-1

 常夜灯が弱々しく照らす、細く複雑に入り組み、鬱屈とした或る路地の一角にて、ゾンビたちの好奇の視線に晒されながらキキョウがワルサーP38に弾丸を込め、壁に手をついた僕のこめかみにそれを押し当てる。夏の蒸し暑い夜の只中にいて、これほどひんやりとした感触を得られる機会など他にないんだろうと思う。

 キキョウが、いざ僕を撃たんと引き金に手をかける、その刹那、

「待ちたまえ!」

という声がして、僕は振り返り固く閉ざしていた目をゆっくり開ける。すると、その路地に一見似つかわしくないジェントルマンがいつのまにか傍らに立っていて、そこに目の焦点が合う。黒いスラックスはサスペンダーで止めており、薄い青地の半袖シャツに汗染みは一切浮き出ていない。彼は山高帽を目深に被り、隙間から覗く眼光は、笑ってこそいるが鋭い。

「君たち勇者ご一向だろ?」

「はい、一応、そうですが」

 キキョウの物言いはあからさまにぶっきらぼうであったけど、ジェントルマンは態度を硬化させることなく「ああ、やはりそうだったか」などと言ってあくまで品良く笑ってみせた。その顔に幾らか刻まれている皺は笑うとよく目立つようになり、そろそろぼんやりながら死を意識し出してもおかしくない年齢であろうことが予想されたが、しかしそのピッシリと伸びた背筋や整えられた口髭などから、見る人にそうした不吉な想像をすることさえ許してくれないような風格が一方では漂っている。

「なぜ分かったのですか」

 僕がそう尋ねると、

「まあ、雰囲気で分かるよ。それにしても、さっきはこっ酷く負けていたね」

「見ていたんですね」

 既に目の周りは大分赤く腫れてしまっているが、キキョウの瞳からはまた大粒の悔し涙がポロポロと溢れて頬を伝う。

「見ていたよ。でも別に、からかおうって訳では決してないんだ」

 彼はそう言うなり、ステッキをついて此方に歩み寄り、みっちりと中身の詰まった巾着袋を僕に渡してきた。持ってみるとそれはずっしりと重たくて、中を覗いてみると黄金に輝くナッシジル=ティーバの大群と目が合う。

「……こんなに貰ってもいいんですか?」

「いいんだ、お金には困っていないし、それに今日は沢山勝ったからね。ただし、勿論誰にでもあげるわけじゃない。つまり、……魔王討伐期待しているよ」

 僕はそのご好意をありがたく受け取りお礼を言おうとしたが、零コンマ何秒の差で、キキョウが叫び出すのが早かった。

「そうやって恵まれない人間にお金を恵んで、良い気になって、家に帰って飲む酒はさぞかし美味しいんでしょうね!」

 僕が述べるはずだった言葉はキキョウがワルサーでこじ開けた次元の狭間に飲み込まれて別の宇宙のデブリとなってしまった。そのくらいの、銃声でも鳴ったかのような突拍子のなさが、彼女の発した言葉にはあった。でもそれを向けられたジェントルマンに全く動じている気配はなかった。

「酒は、いつ飲んでも美味しいさ」

「金持ちの、そういう下々の者から何を言われても動じない態度が腹立つんです」

「それは申し訳なかったね」

「貴方たちが金持ちなのは、色んな人から搾取してきた結果に過ぎないのに」

 彼女の大きく開かれた眼は血走っていて、それは自分の感情をうまく制御出来ていないことを端的に表している。いま、彼女が比喩ではなくその引き金に手をかけて、対峙している見ず知らずの老人を射殺してしまったら、やはり僕たちの冒険は終わるのだろうかと考えつつ、その時僕は成り行きに身を任せるしかなかった。

 ジェントルマンはしかし、伊達に歳を重ねてはいない。その長かったはずの人生の中で数多の死線を潜り抜けてきているのだ。

「弱肉強食はこの世の摂理だ。搾取されたくなかったら、残念ながら搾取するしかない」

「大人たちがそんなだから、世界はいつまで経っても良くならないんです」

「世界を変えたいのなら、やはり君にはいま、この金を受け取るしか選択肢はないように思うが」

 キキョウは多分、葛藤していたのだと思うが、彼女が何も言わないのを見て、ジェントルマンはステッキをつきながら颯爽と僕たちの元を去っていった。

「とりあえず、そんな物騒なものしまったら」

 そうして暫しの沈黙のあと、僕がそう声をかけると漸く彼女は銃をカバンにしまってくれた。

 それでも彼女の癇癪は、中々治ってはくれなかった。まず、路地を出た後、何処かで夕飯を食べようと提案すると、

「私は、お腹空いていないのでいらないです」

「そんなわけないだろう」

「いま、何かを食べたい気分じゃないんです。食べたいなら一人で食べてきて下さい」

 そう意地を張る彼女を置いて一人で店に入るのは気が引けたので、結局僕も屋台で軽く済ませてしまった。チキンレッグ一つ。それなりに濃い味付けが施されていそうだったが、食べている間、殆ど砂とかゴムを噛んでいるようだった。そうして、中途半端に食べると却って余計に空腹が気になってくるものであるが、今日はさっさともう眠ってしまおうと、そう思い、

「今夜はどこのホテルに泊まる?」

とキキョウに尋ねてみるが、返事がない。返事がないことで、制服の少女にそんな質問をぶつける自分の気持ち悪さに思い至って慌てふためく。

 しかしながら彼女は別に、そんなことを気にしている訳ではなかった。

「ホテルには、一人で泊まって下さい。私は野宿します」

「え、何で?」

「お金が勿体無いからです」

 夕食の時は下手に触れずに流してしまったが、そこまで来て、彼女のあまりの融通の効かなさに僕は呆れ返る。

「さっきから何言ってるんだ。こんなところで、女の子一人で野宿なんて危ないよ」

「危なくないです。慣れてますから」

「意地張るなって」

「張ってないです!」と彼女は大声を上げ、道行く何人かが僕たちの方を一瞥する。彼女は獣のように鼻と口の両方からフゥーッと荒く息を吐いている。しかもこの獣は、少なくとも昨日の夜から何も胃に入れておらず、とてもお腹を空かせているのだ。僕はため息をつき、覚悟を決める。

「じゃあ分かった。キキョウが野宿するというなら僕も一緒に野宿するよ」

 しかし、それはそれで納得がいかないみたいで、

「こちらの事情でこの世界まで来てもらって、それは申し訳ないです。エンドウさんはちゃんとホテルに泊まって下さい」

などと言い出すから話が進まない。

 結局三十分はそこで不毛なやり取りを続けた末にようやく、今夜はとりあえずホテルに泊まるということで話がまとまった。ロビーに入り、フロントに向かうなり、キキョウが、

「二人で泊まれる一番安い部屋を案内してもらえますか」

と尋ねて、

「セミダブルの部屋になりますがよろしいですか」

「はい」と彼女が言うのを即座に訂正する。

「多少高くなってもいいのでツインルームを案内して下さい」

 そうして僕たちは十階の夜景が綺麗に見える部屋を案内されるが、とてもそんなものを堪能する雰囲気には生憎なくて、一人ずつシャワーを浴びてしまうと、特に会話もなく電気を落としてそれぞれのベッドに入った。しかし、やっと眠れるとホッとしたのも束の間、すぐに隣のベッドから啜り泣く声が聞こえ始める。

「贅沢してごめんなさい。ごめんなさい。私はなんてダメな人間なんでしょう。……」

 結局、僕は未明の頃まで眠りにつくことが許されなかった。ウトウトと眠り始めてもそんな時間からでは畢竟浅くなって、奇妙な夢を見る。

 あなたは現状に不満を持っていて、またそれを変えたいと強く思っていますね、と、そんな風に僕は白衣を着た男に診断されている。僕は、天から垂らされた、たった一本の蜘蛛の糸にすがるような必死さで、その男の言葉に耳を傾けている。

「どうすれば、現状を変えることはできるのでしょうか」

 医師が威厳に満ちた顔で言う。

「外見を着飾っている限り現状が変わることはないでしょう」

 僕はまず羽織っていたジャケットを脱いで傍らに置き、次いでネクタイを解き、それでも医師の顔は依然険しい。僕は困惑しながらベルトを緩めズボンを下ろし、シャツのボタンも全て外してゆき、遂に下着のみとなる。

「これで良いんですか?」

「さあ行きましょう。付いてきてください」

 診察室を抜けて裏口から病院を後にし、医師の運転するレクサスに乗せられる。そのまま高速に乗って、県境の川を渡って、連れてこられたのはとある遊園地、更にその地下にある控室であった。そこで僕は怪獣の着ぐるみを着せられて、昼下がりのヒーローショーに放り込まれる。開幕ヒーローは僕に飛び膝蹴りを食らわせ、思わずよろけるのだが、彼は一切の手加減をしない。そうしてやっと思い至る。先程の男はただ白衣を着ていただけで、医師なんかでは全くなかったのだということに。またヒーローは僕のことを怪獣だと思い込んでいるが、本当の悪を見抜けない時点で、彼も実際はヒーローなんかではないのだろう。そこまで考えて、でもそもそも本当の悪なんて存在するのだろうかとも思い始めるが、執拗に攻撃され続けているからか、思考はまとまらない。

 三度目の空手チョップで着ぐるみに身を包んだ僕は気を失い、代わりにベッドの上の僕が目を覚ますが、しかしながら起きて数秒後にはもう、さっきまでどんな夢の中にいたか殆ど忘れかけている。何か大事な問いがその夢の中にあったことも。

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