第三夜

 こんな物語がある。

 十七のとき、揃って両親が死んだ。死因は自殺であった。それから半年ほど経ったのち、今度は兄が死んだ。これも死因は自殺であった。

 こうも立て続けに亡くなると、そのことに慣れてしまって良くないのだと思う。両親が亡くなった時、私たちは暫くの間涙に暮れて過ごしていた。悲しみもそうだし、自分たちの人生が暗礁に乗り上げたような感じがあった。今回兄が亡くなって、その際もう姉も私も泣かなかった。粛々と諸々の手続きを執り行っていき、全てが滞りなく終わると、はじめから兄なんてこの世界に存在していなかったような気すらした。きっととっくのとうに心は壊れてしまっていたのである。私は兄との大切な筈の記憶の数々をもう上手く思い出すことが出来なかった。

 兄の告別式があった日の夜、久しぶりに駅前のレストランに姉と二人で行った。それは姉の提案であった。兄のそれほど多くない遺品をあらかた段ボールに詰め終えて、すると外ではもう日が暮れ始めていた。薄暗い室内で姉は、今日くらい少し贅沢しよっかと言って私に微笑みかけた。その顔は酷く疲れ切っていた。薄暗闇に紛れないぐらいに目の下にクマがくっきりと表れていた。まだ二十歳とかなのに、最後に見た母の顔と重なって、だから姉もきっと近々どこかに行ってしまうような、そんな予感がした。

 レストランは両親が生きていた頃、何度か家族五人で来たことのある店であった。そこで私たちはステーキを頼んだ。200グラムのものを頼んで、しかし二人とも全然箸が進まなかった。かと言って会話が弾んだ訳でもなかった。黙々と、一時間ほどかけてようやく半分ほどを食べて、すっかり肉も冷えてしまった頃合い、姉が「思い出は思い出のままに留めておいた方が良かったね」とぽつり溢した。私はそうかもねと一応気のない相槌を打った。しかし彼女に会話を楽しもうという素振りはなく、強張った顔をして黙りこくっているだけであった。それは明らかに何か大事な話が続く兆候であった。私は素知らぬ振りをして沈黙をやり過ごした。数秒の間を置いて、近々家を出て行こうと考えていることを姉は私に告げた。

「どうして?」

「もうわたしたち二人だけだし、無理に住み続ける必要もないかなと思って」

 そう言った時、姉は全く私の方を見ず、もう食べる気配のないステーキに視線を落としていた。私は深いため息をついた。

「姉貴、俺のこと怖い?」

 すると彼女は顔を上げて、

「どうしてそんなこと聞くの?」

と尋ね返し、そして微笑んだ。わたしはあなたのオムツだって変えてあげたことあるのに、と。

「だって実質的に兄貴を殺したの俺のようなものだし」

 先ほどと同様数秒の間が生じた。その間、姉は寂しげに微笑んだままであった。微笑んでいるのだけれど、ほとんど苦悶の表情といって差し支えなかった。見る角度によって全く違う表情に移ろう能面のような器用さに見入っていたら、きっと私も姉と同じ表情をしていたのだろう、姉はそんなことないよと言って私にハンカチをよこした。私はそれを自分の目頭の辺りに当てがってみるが、やはり涙は流れていなかった。私たちの顔にはきっと本当に能面が張り付いているのだ。

 姉はそれから一週間後に宣言通り家を出て行き、爾来二度と会うこともなかった。余談であるが数年後に私が罪人になった際、弁護士を通じて縁を切られたのである。話を戻すと兎も角、広い家には私と兄の骨だけが残された。私は兄の骨を家族の墓に納めず庭に埋めることにした。丁度、紫陽花が植っているあたりの土を掘り起こし、骨壺の中身を全てぶち撒けた。傍に退けていた土をもう一度上からかけていき、最後踏み締めて兄がこの世にいた痕跡を隠蔽した。全てが終わった時、春だというのに私は雨に打たれたかのように汗をかいていた。頭上に目を向けると満月の綺麗な夜であった。それは過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実も洩もらさない鏡のように光っていた。いつか私が実際に人を殺すことになる日も、私の刑が執行される朝もきっと同じ光に包まれているのだろうと思った。

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