第2話 勇気を出す
今日も午前零時半。最終電車に乗ってようやく家に帰れる事に俺は安堵していた。遅刻した為、会社の上司には怒られたが自分のせいなので仕方がない。そもそも仕事納めの日に遅刻したのは本当にアホだ。
それよりも今日は一日中、火事になったあの店が気になっていた。仕事をしながらもどこか上の空で、ミスってないとは思うが後から何か出てきたらという不安もある。年越しにあたってそんな懸念は払拭したい所だったが、今朝の状況から考えても仕方のない事だった。
昨日ほとんど寝れなかった為ウトウトし始めるが、若い男達の声が俺の眠りを邪魔した。
「飲みに行こうぜ!」
不快なその声に、俺は閉じかけた目を開ける。するとガラの悪そうな若い男三人組に、座っている女性が声をかけられているようだった。女はそれを無視して下を向いており、わざと髪の毛で顔を隠して男達を見ないようにしていた。下手に絡まれても嫌なので、俺は窓の外を見るふりをしてやり過ごす事にした。とにかく荒事には慣れていない。
「シカトすんじゃねえよ!」
「きゃあ」
その声に俺は再びそっちを向いた。すると男の一人が女の腕を掴んでいる。女も流石に無視するわけにもいかなかったらしく、顔を上げて男達の顔を睨んでいた。だが、上を向いた女の顔を見て俺は愕然とする。その女はあの店の女主人だったからだ。そしてよく見ると男達のうち二人は、昨日この電車で酔っぱらって大声で話していたガラの悪い学生風の男達だった。
「ほら。飲みに行くだけだからよ」
「やめてください」
「あんまり大きな声を出すと、周りの皆さんに迷惑だぜ」
男が周りを見ると、電車に乗った人達が関係したくないと言わんばかりに目を逸らした。年末の忙しい時に絡まれるのはごめんなのだろう。まあ年末出なくてもか…
だが気がついたら俺は席を立って、男達の側に歩み寄っていた。そして俺は女主人に声をかける。
「どうも。今朝は大変でしたね」
ただならぬ雰囲気のその場面には、似つかわしくない能天気な声を出してしまう。だが実際のところ俺の膝は震えており、それを悟られないようにするので必死だ。あっけにとられたのか、男達も周りも静かになった。どうかこのまま諦めてくれますように! そう願う。
そして女主人が返事をした。
「あ、今朝はありがとうございました」
するとようやく男の一人が、威圧するように俺に言って来た。
「なんだおまえ?」
「あ、彼女とは知り合いで」
「知り合い? へえ…どんな関係だ?」
「どんなって…知り合いだけど…」
「なら俺達がこの女をナンパしてもいいよなあ?」
「それは…」
俺はつい声が小さくなってしまう。そもそも今朝初めて話をしただけの間柄だし、彼女にとってはたまたま通りかかったお客さん。彼女がナンパされていたとしても、俺がとやかく言いえる筋合いはない。
「なんだ。随分声が小さくなったな、とにかく関係ないって事だな?」
「いや。い、一緒に帰るんで! 彼女嫌がってるし!」
それが俺の精一杯だった。流石に体が震えているのが抑えられない。
「おいおい! ブルブル震えて何言ってんだ!」
するともう一人の男が言う。
「おいおい。あんまりビビらせんなよ」
「そうそう。お持ち帰りできればいいだけ―」
酔っぱらった男達は、周りの事など気にならないかのように大声で言う。だが、俺は諦めないだけのギリギリの勇気を振り絞る。とにかくどうにかして彼女を無事に帰らせなければいけない。それでなくても大変な事があったばかりで、それ以上の不幸は彼女が可哀想だ。
「だめだ。彼女は俺と帰るから…」
すると一番オラついている男が、俺の肩を掴んだ。
「なんだとぉ?」
その時。
「あの、やめていただけます? 私はこの人と帰るんです」
女主人が男に言った。
「はあ? おまえ一体こいつと何の関係があんだよ」
「大ありです。この人は私の命の恩人、とても大切な人なんです」
「なんだと?」
すると唐突に車内アナウンスがなった。
「大声を出してお騒ぎになっているお客様、恐れ入りますが次の停車駅で降りてください。他のお客様のご迷惑になっております」
女性乗務員の注意だった。世田谷線には運転士以外にも女性乗務員が乗っているのだが、この騒ぎに気が付いてアナウンスを流したようだ。
すると男が俺に言う。
「ほら、騒いでるやつ降りろってさ」
いや…絶対俺じゃないだろ。
そう思っていたら女性乗務員が俺達の側まで歩いて来た。
「恐れ入ります。お客様、これ以上お騒ぎになるようでしたら、緊急停車しなければなりません。緊急通報の必要性もありますので、恐れ入りますが次の停車駅で下車をお願いします」
明らかに酔っ払い男に言ってくれている。そして間もなく、次の停車駅のアナウンスが流れて電車が停車した。すると女性乗務員が毅然とした態度で男に言う。
「下車をお願いいたします」
既に周りの乗客も男達を睨みつけている。どうやら乗務員が参戦して来た事によって、周りの人達も加勢する機運が高まってきたらしい。それに気が付いた後ろの男が言った。
「降りた方が良さそうだ」
「けっ、くだらねえ」
「お前! 覚えてろよ!」
そう言い捨てて男達は電車を降りて行った。電車のドアが閉まり出発する。
「少々遅延してしまい申し訳ございませんでした。皆様、お酒は飲んでも飲まれないようにお願いいたします」
女性乗務員のアナウンスに車内に笑いが生まれる。俺はホッとしてそこにしゃがみ込んでしまった。
「大丈夫ですか?」
「すみません。慣れてなくて」
「いえ、助かりました」
電車は俺達の下車する駅をアナウンスするのだった。
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