第1話 古着屋の女主人

 結局俺は、ほとんど眠れなかった。隣りの部屋の外国人がうるさかったからではなく、目を閉じるとあの呆然と立ち尽くしていた女性が目に浮かんでくるからだ。朝になり俺は歯を磨いてアパートを出る。燃えていたあの家を見にいくついでに、コンビニで朝食を買ってこようと思ったのだ。


 丁字路を曲がると燃えた家が見えてくる。その建物の前に立ってみると、被害はそれほど大きくは無いようだった。隣りの家にも延焼しておらず、焼けたのは店内だけ。消防でかけられた水がぽたぽたと落ちて、店としては当分使い物にならなそうだ。


なんの店なんだろう? 俺はふと思う。恐らくは開店前だったのだろうと思うが、引っ越して来たばかりの田舎出身の俺としては、何故か他人事のようには感じられなかった。


「あの…」


 唐突に声をかけられた。静かな女の人の声だ。


「あ、はい!」


「何か御用ですか?」


 振り向くと女性が俺に話しかけていた。俺は野次馬根性を見透かされたようで恥ずかしくなる。


「いえ。何の店だったのかなって見に来たんです」


「そうですか…。今日が開店予定日だったんですけどね。火が出ちゃって」


「そうなんですね…気になってたんです。家の近所に何か店が出来たなって、でもいきなり火事とかびっくりしちゃって」


「はい。オーナーの私もびっくりです。火の元になるようなものは何も無かったはずなのに」


 よく見れば細面の綺麗な人だった。俺は少し興味を持って聞いてみた。


「それで、何のお店なんです?」


「古着や鞄を売る店です。雑貨なんかもあって…でもほとんど焼けちゃいました」


「それは、残念です。見たかったです」


「焼け残ったのが少しありますが見てみます?」


 女の人の後を見れば軽自動車が置いてあり、焼け跡から商品を回収しにきたようだ。


「いいんですか?」


「いいんです。ずぶぬれだけど、まだ売れそうなものが無いかを見に来ていたんです」


「お店は続けるんですか?」


「まずは大家さんとお話をして継続できるか聞いて、あとは建物の修繕費と弁償代もあるんですけどね。続けられるならやってみようかと思います」


 彼女は俺を連れ軽自動車の後部ハッチを開けてくれた。そこにはずぶ濡れの雑貨と、段ボールに放り込んだ服やバックなどがあった。余りにも悲惨な状況に、俺は何とかしてやりたくなり真剣に選んだ。古着のジーパンとバッグ、そしてマフラーを手に取る。


「あの! これ下さい!」


「売り物としては最悪だし、びちゃびちゃの状態なので…よかったら差し上げますよ」


「いえ、正規の値段を教えてください!」


「本当に差し上げます」


「ダメです」


 彼女は俺の剣幕に押されて、商品についている値札を見て言う。それでも気が引けているのか申し訳なさそうだった。


「割り引きます」


「ダメです! 正規の値段で」


「でも」


「お願いします」


 すると女の人はひとつひとつ見て計算した。


「ズボンが千六百円、マフラーは五百円…。あれ?」


 最後のバッグを見て女の人が考え込む。俺が訊ねた。


「どうしました?」


「いえ。こんなバッグがあったかなって」


 手に持ったバッグはアンティークっぽい、皮で出来た渋い物だった。肩にかけるベルトもついていて、ちょっとした物やスマホなんかを入れるのにちょうど良さそうだった。だがびちゃびちゃになっていて、水が滴っている。


「売り物ですか?」


「今、焼け跡から取り出したばかりですが…値札も無いし…。売ろうとはしてたはずなんですが」


「じゃあ適当に値段をつけてほしいです」


「え、えっと。じゃあ五百円でいいですか? 全部で二千六百円になります」


 そして俺は財布を開ける。財布には細かいお金も入っていたが、俺は一万円を取り出して彼女に渡した。


「えっと。じゃあおつりを」


 そう言って彼女は自分の財布を取り出す。


「いえ! おつりはいりません。足しになるか分かりませんが、店の復旧を期待してます!」


「いけません。そんな…」


 二人で話合っているところに、知らないお婆さんがやって来た。そして彼女に声をかける。


「あらら、災難だったねえ。でも無事で何よりだよ!」


「すみません。大家さん、火のつくようなものは無かったのですが…」


「放火かもしれないと、警察は言っていたけどねえ…。証拠になる物がないんだと」


「そうですか…」


 大家さんと二人が話し出したので、俺はそっとその場からフェードアウトした。コンビニに向かうのを止めて、俺は足早にアパートに戻るのだった。部屋に入り風呂場に行って、買って来たジーパンとマフラーの水気を絞る。皮のバッグを開けても水が出て来たので、水気を良く切った。部屋の床に新聞紙を敷いて、部屋の物干しざおに吊るした。


「よし。とりあえず一日放っておけば乾くだろ」


 ふと時計を見ると、既に八時五十分だった。


「うお! ヤベエ!」


 出社時間は九時なので、もう間に合わなかった。俺は急いでスマホを取り会社に電話をした。


「す、すみません。今から家を出ますので、遅れます。申し訳ありません」


 俺は急いでスーツに着替え家を飛び出すのだった。丁字路を曲がって店の前を通るが、既に彼女も大家さんも居なかった。恐らくどこかで話し合いをしているのだろう。俺は走って駅に向かうのだった。

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