機械になりたかった男

 結局夜が明けてもアレクは帰ってこなかった。本人は望み通りの家出を果たしたらしいが、俺は仕方なくこうして朝から街を探し歩く羽目になっていた。

 そもそも任務で育てている子をどこかへ遣ってしまうのは、俺にとっては監督不行き届きにもなりうるだろう。それがあからさまな反抗期だとしても、だ。

「こうなることならGPSでも付けておくんだったな……」

 昨夜打った頬の感触を思い出しながら乾いた街を見回すと、いつかのように石造りの建物の陰から上官が姿を現した。

「探し物は見つかったかね」

 いつから見ていたのだろうか、やはり逐一監視されているのか。胸の内で溜息を吐き、背筋を正して敬礼する。

 監督責任を咎めに来たのだろうと身構えた俺に掛けられたのは、思いもよらない言葉だった。

「貴様の息子は、明け方に洋上で国境を越えた」

「え」

 何を言っているのか分からなかった。洋上で、国境を越えたと、今そう言ったのか。あの子が、何のために。それが何を意味するのか、アレクは分かっているのだろうか。

 上官が取り出した薄い金属板のような通信装置の画面いっぱいに、黒い海に浮かぶ一艘の船が大写しになっていた。民間の漁船を転用したらしいその船体には「対話による平和的解決を求む」と大層な文言の横断幕が掛かっていた。不安定な国境地帯を、無許可の船は無謀にも進んでいく。

「こうして無人偵察機に追わせているが、あれはどうもこれに乗船しているらしい」

 やがて船の動きを察知したように、敵国の警備艇が数艇集まってくるのが見えた。

 それを待っていたように、船の中から乗組員と思しき人間がわらわらと出てくる。手に手に拡声器を持った彼らの大半はまだ10代の子供で、後ろについてきている少数の大人に促されて声を上げた。

「我々は敵ではない! ともに平和的解決に向けて話し合おうではないか!!」

 幼さの残る顔ぶれの中にアレクの顔も見つけて、背筋がぞっとした。

 こうなるよう焚きつけたのは、きっとあの子がよく顔を出していたあの怪しい集会の連中だ、とすぐに見当がついた。大方、奴らは路地裏で活動する政治活動家か何かで、この子達は口車に乗せられ連れてこられたのだろう。コントロールしやすい子供を使って平和活動とは、反吐が出るやり方だ。

 上官は尤もらしくやれやれと頭を振る。

「無論渡航許可などあろうはずもない、国外逃亡だ。敵国への亡命とみなされ到底許されるものではない。よってあれを機械化し兵器とする貴様の任務は先程破棄された――が、無駄なことが嫌いな私はこれを利用することにした」

 それまで野次馬を決め込んでいた視界の端に短い砲身が現れ、突如火を噴いた。それが偵察機に搭載された小型ミサイルだと認識した頃には、最前に寄ってきていた敵国の警備艇が轟沈していた。

 胸に嫌な予感が湧いて、頭の演算装置が他の警備艇から差し出された砲身の角度を自動計算し始める。

 お願いだ、頼むからどうか……やめてくれ。

「貴様の育て上げた愛息子には、貴様のたがを外す鍵となってもらう」


 あの子の名前を呼ぶより先に、民間船は敵国のミサイル攻撃によって爆散した。



 白く瞬いているのは画面か、俺の視界かは分からなかった。目の前で沈みゆく船だった残骸を眉ひとつ動かさず注視する俺に、上官は手を打って感心した。

「……素晴らしい。人間ならば耐えられないほどの辛苦であろう「子との死別」に動じない、となったのだな。貴様こそ、人間らしさを捨てた機械兵器と呼ぶに相応しい。今の貴様になら最前線を任せられる。どうだ嬉しいか。いや今の貴様に感慨などなかろうな。それか子を失くした怒りと称し興奮物質を意図的に焚きつけて敵兵を捻じ伏せるか? さあ行け、敵は洋上の軍事境界線付近だ。貴様の真価を見せつけるがいい」

 嬉々として語る男のおぞましい言葉の羅列に、しかし胸の内は不思議と波立たず、ただ「こいつは人間なのか」とだけ思った。この世界はこれを人間と呼ぶのか。

 何かを通知するアラートが頭の中でひたすら鳴っている。だがもう何であろうと良かった。何か言おうと乾いた口を開いたその時、地面が轟音を立てて揺れ、視界に収まる街並みが轟音を立てて爆発炎上した。

 目の前の上官は爆炎に薙ぎ払われ、事態を理解するより前に肉片となって建物と一緒に吹き飛ばされていく。

 報復攻撃、と気づいた時にはもう遅く、俺も為す術なく爆撃に巻き込まれていた。


 砂煙が落ち着いた空に、今しがた空襲を行った戦闘機群が轟々と音を立てて飛び去って行くのが見えた。敵国の無人機の機影を、上体しか残らなかった俺は黙って見ていることしかできなかった。

 石造りの建物は人々が認識するより早く完膚なきまでに粉々に吹き飛ばされ、もはや地獄のように燃え盛る炎に逃げ惑えるだけ幸運だった。それとも早々に死ねる方が幸せなのだろうか。もはや俺には判然としなかった。

 きっと俺が戦地でやってきたことと同じことが、俺の住む街で行われただけなのだろう。争いに巻き込まれたのがたまたまここだった、というだけで、世界中のどこでも自動的にこんな悲劇の再生産が行われている。悪魔のような人間達の意志に従って。

 悲しみと不条理を生産し続ける戦争に浸かった世界こそ――余程機械じみているんじゃないのか。


 ふと拙い歩きで俺の隣を歩く3頭身のアレクが脳裏を掠めて、柔らかい掌の感触が蘇る。小さな歩幅に合わせてゆっくり帰り道を行く、何でもないあの日を思い出してしまうのは何故だろう。

 まだ俺が人間であるという証なのか、俺は人間でいたかったのだろうか。

 もしこの世界に、この間違った世界に神がいるのなら。

「どうして俺を脳髄まで完璧な……機械にしてくれなかったんだ……」


 微かな俺の呟きは、新たに降る焼夷弾と戦闘機の羽音に掻き消され砂塵に埋もれていった。

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