人でなしの薬

「とーたん」

「だから俺は父親じゃないって言ってるだろ」


「父さん」

「何度言えば――」


「親父」

「まだ子供の癖に、いつからお前はそんな口を利くようになったんだ」

「うるせえクソ親父」

 すっかり背丈の伸びたアレクがそう生意気に言い放ち、朝食もそこそこにさっさと出て行こうとする。

 俺はまたか、とその背に声をかけた。

「またあの怪しい集会に行くのか」

「怪しくねーよ。ただの炊き出しボランティアだよ」

「この時勢で、大した後ろ盾もなく大々的に慈善活動をやる奴らなんて胡散臭いにも程があるだろうが」

「飢えてる人だってその辺にいるのに、それで助かってる人もいるんだ。国は弱者のことなんか助けてくれない。俺達が平和に向けて立ち上がらなきゃいけねえんだ。親父は飢えることなんてないから分からねえんだよ」

 捨て台詞とともに乱暴に扉を閉めて出ていったアレクに、俺はもう何度目か溜息を吐いた。

 任務と称してアレクを預かってから12年と少し。このところああ言えばこう言う年頃になってきた。

 何でもかんでも俺の言うことを否定したいのだろうが、背丈こそそれなりに伸びはしたものの所詮中身は子供。思慮はまだ浅く、語る理想はでしかない。

 100年経っても終わりが見えない戦況と悪化する国内経済に、世間も嫌気がさしているのもあるのだろう。上辺だけの耳障りのいい理想論なんて、路地裏なんかを歩けばそこらに溢れている。

 ただ俺はそこにあの子アレクを巻き込まれたくない。

「帰ってきたらまた言い聞かせるか……」

 これが思春期と言うやつか、まったく、反抗できるだけ贅沢だと思え。

 苛立ち混じりにふと目を遣った窓の外に、軍からの通達が浮かび上がる。脳内の通信機能が受け取り視界に表示されたそれは、あの憎たらしい上官からの召集命令だった。



「こうして司令室に足を踏み入れるのは久々かね。貴様は寸分の狂いなくあの頃のままだな、流石はロボットと言うべきか」

「は」

 人間らしく10年分年をとった上官は、革張りの椅子に凭れ少し増えた白髪を撫で付けて嘲った。正確には俺はロボットなどではなく生体部分を残したアンドロイドなのだが、やはり分かりやすい挑発は無視するに限る。

は――アレクと言ったか。そろそろ良い年頃だろう」

「……徴兵まであと3年あるかと」

「貴様が薬を投与し人でなくなったのは13歳だったろう。あれはもう14歳だ」

14歳です。身体も貧弱ですし、前線での過酷な任務に当たるには難しいかと」

「それは貴様の育て方の問題だろう。元より、戦場で使えるアンドロイドとなるよう育てよと命じたはずだが――どうした、一丁前に人間らしく情でも移ったか」

「……いえ」

 肘掛に頬杖をつく上官に、思わず一瞬目を伏せる。ついこの間までおむつで走り回っていたあの子に銃を握らせるなど、まだとても考えられない。

 しかしこちらの胸の内を見透かしたように、目の前の男は畳み掛ける。

「その気になればあれを捕らえてこちらで強制投与することも可能なのだ。いいか、一介の兵士である貴様の私見など、上にとっては紙切れ以下であると心得よ。これは帝国の意志、そして陛下のご意向でもある」

 そうして言葉と共に胸ポケットから細い箱を取り出し、俺に投げて寄越した。

 それは脳内の演算装置が描く落下の軌跡を辿って俺の掌に収まった。箱の中身は開けなくても察しがつく。

「期待を裏切ってくれるなよ」

 上官が後ろ手で扉を閉めて出て行っても、俺は手中の箱から目を逸らせないでいた。



 帰宅して箱から出した注射器は、ランプの明かりに照らされ薄青い液体を湛えて机に転がった。もう一度まみえることになろうとは思わなかった。

 これを投与すれば生身の人間の肌はたちまち硬質化し、脳は電算装置を備えて眠らない身体となることができる。それも最新版の薬だ、俺のように人間らしさを残した欠陥品ではなく、躊躇も情緒も捨てた完璧な生体兵器となれるだろう。

 ただ戦況はこのところ疲弊ムードで、散発的な小競り合いはあるものの軍事境界線はほぼ動かず拮抗している。決して楽観視できる状況ではないことは確かだが、しかし政治的に平和路線をとる選択肢も見え始めている昨今、年端も行かない子供に薬を打ってまでわざわざ動員する必要が果たして本当にあるのか――

 そこまで考えて、はたと気づく。俺は今、保身に走っているのか? 上官のニヤつく顔が頭を過ぎる。

「中途半端に惜しがるな……」

 苛立たしく踏んだ床板は割れて捲れ上がった。いや、この感情の高ぶりすら今は腹立たしい。不完全な己が疎ましい。なぜ俺は完全な機械になれなかったんだ。重金属製の肉体を持ちながら、どうして良心の呵責に苛まれなければならないんだ。

 鎮静物質が徐々に脳を冷ますのを感じていると、戸の数メートル向こうからあの子の足音がした。思わずそばに転がる注射器をポケットに仕舞う。

「遅いぞ、今何時だと――」

 しかし帰るなり、アレクは俺の説教を遮り一も二もなく宣言した。

「俺、出てくから」

「は、何を」

「出てくって言ってんだよ。しばらく帰らねえから」

 一方的にそう言い放ち、乱雑に荷物を纏めるその腕を掴む。まだ細い柔肌が、チタンの掌に収まった。

「どこへ行く気だ。まさかまたあの集会か」

いってぇ……放せ! 何だよ! 大人の言うことは守れってか!? 実の親でもない癖に!」

 暴れてもなおびくともしない俺に、アレクはそう叫ぶ。

 どこまでも聞きわけがない14歳の子供に、ポケットの中身が脳裏を掠め――思考を振り払うように、俺の左手がアレクの頬を打った。

「……っ!」

「アレク……」

 軽く払った程度のつもりだったが、口の端を切って血を垂らしたアレクは一瞬だけ泣きそうになり、そして怒りと憎しみに染まった顔で激高した。

「こんなとこ……二度と帰らねえからな!!」

 荒々しく閉まった扉の向こうへ、追いかけることはしなかった。

 さっき自分が何を迷ったのか、何を想像したのか、考えるのはもう嫌だった。

 いやに静けさを取り戻した部屋で、青く光る注射器を己の左腕に力いっぱい突き立てる。が、銀灰色の素肌はいとも容易くその針先を折り、シリンジを割ってぶちまけた中身が床に散らばった。

「何やってんだ……俺は」

 禁忌の薬は足元に染みをつくり、何物も映さず薄明りに揺れた。

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