アンドロイドと2歳児

 ――生身の人間を銃弾飛び交う戦場に送るのは非人道的

 100年続く戦争で人道も何もないだろうと思うが、とにかくそんな尤も人間らしい理由で、我が国で動員された生身の兵士は半ば強制的に薬を打たれ、機械化させられた。そうした人間を人々は半人半機アンドロイドと呼んだ。大半は動員後にそうなった者が多く、俺のように望んで自ら投与した者は稀だろう。


 荒れた道の脇に開く露店に食糧を探しに来た俺は、よちよち歩きのアレク(名前がないと不便なのでそう名付けた)が車道に飛び出さないか注意を払いながら並べられた商品を物色する。

 アンドロイドの俺は食事を要しないが、こいつは別だ。ましてや人間の幼児、硬いもの苦いもの酸っぱいものは食べないと来た。毎度焼きすぎなくらい焼いた黒パンを溶かした粉乳に浸して食わせていたが、このところ飽きたらしく食事の度に駄々を捏ねるようになった。戦時中に好き嫌いするとは、さぞ培養元の人間は贅沢者だったに違いない。

「あっちー」

「分かった、これ買ったら行くからじっとしてろって」

「あっち、あっちー!」

 俺の手を引いて余所に行きたいと主張するアレクを宥めながら財布を開くと、店主と思しき太った女がくちゃくちゃと何かを噛みながら胡乱げな目で俺を見た。

「その身体……戦争帰りかい」

「……だったら何だ」

 袖から覗く俺の素肌は艶消しの銀色をしていて、一目で生身の人間ではないと分かる。戦場ならともかく、市街地でアンドロイドが歩いているのは珍しい。傷病兵だとしても復員することは稀で、多くは戦場で分解され再利用リサイクルされるのが主だからだ。

 彼女は汚い物を見る目で吐き捨てる。

「ああ恐ろしい。脳味噌まで機械油が詰まった連中はいつ暴れ出すか分からないよ。さっさと行っとくれ」

 女店主は犬でも追い立てるように手を払った。

 誰の国を、誰の生活を守ったと思っている。その小汚い店先に立つことができる日常は、一体誰が戦ったお陰だと。

 怒りは顔に出さずに、しかし叩きつけるように代金を払って露店を後にした。ああいう反応は予想済みだったろ。この身が半分機械になったあの日から、人として扱われるのは諦めたじゃないか――

「あっこ」

 アレクの声が昏い思考を遮った。足元を見れば、先程まで俺の手を引いていた癖に両手を広げてぴょんぴょん跳ねている。これは抱っこしろ、のアピールだ。

「自分で歩け、お前はいつもそう……」

「あっこ! あっこぉぉ!! あ゛あ゛ぁぁぁぁ」

「ああもう……分かった! 分かったって!」

 地団太を踏んで盛大に泣きじゃくるアレクに業を煮やし、要望通り抱き上げる。丸くて軽い身体はすんなりと俺の片手に収まった。重さは決して苦にならないが、縦横無尽に駆け回る子供を相手するにはまったく腕が何本あっても足りない。荷下ろし用の機械のようにクレーンが何本もついていればいいものを。

「今度ダメ元で軍に申請してみるか……」

 背からカニのように放射状の腕がわさわさと伸びる己の姿を想像しながら帰途につくと、建物の陰から上官が姿を現した。

「板に付いているじゃないか」

「……御冗談を」

 上官はチタンの腕でアレクを抱く俺をニヤニヤと見た。「お似合いだ」とでも言いたいのだろう。前線こそが居場所であり死に場所となると心に誓っていた俺に対するその目線は、婉曲的な侮蔑に他ならない。

「再動員の為だ。帝国の未来を担う人材を育むことはこの上ない栄誉である。心して励め」

 尤もらしい台詞を吐きやがる。曲がった口の端に皮肉が籠っていて、やはりあいつは人間らしい人間だ、と立ち去る背中を睨んだ。

 戦地ならともかく市街地の真ん中。職務に追われているはずの司令官だ、偶然通りかかったわけでもないだろう。育児任務の進捗確認、といった感じか。

 どこで見られているかも分からないな、と頭を振って溜息を吐くと、腕の中のアレクが俺の頭に手を伸ばした。

「うー、よちよち」

「やめろ……そういう慰めみたいなのは人間のすることだ」

 雑に撫でられたのをそう咎めたが、本人は気にすることなく地面を指差す。

「あうく」

「さっき抱っこって言ったのはどいつだ……」

 今度は歩きたいらしい。まだ数ヶ月程度しか一緒に暮らしていないが、秒で気分が変わるのは日常茶飯事だ。本当に勘弁してほしい。

 その後も「歩く」と「抱っこ」を何度も行き来して、俺達はゆっくりと住処へと帰った。



 ようやくアレクを寝かし付けた俺の元に飛び込んだのは、北の要衝のひとつが陥落した、という悪い知らせだった。まだ市民には知らされていない内部情報だが、俺の頭はまだ戦地仕様のため自動でそうした速報を受信する。

 陥落した要塞は前王朝の城跡を改修し築かれたもので敵国との北方の緩衝地帯を監視する拠点だった。が、敵に奪われたとすればそれは我が国にとって歴史的財産の一部を失うに等しく、恥ずべき事態だった。

 幸い首都からは遠く離れているため直ちに戦況が悪化することはないが、ここ10年ほどほぼ膠着状態だった戦線が僅かに後退することには変わりない。一兵士としても屈辱的にすら思った。

 俺が戦っていれば、前線にいさえすれば、決してそんな下手は打たなかった。拠点だって奪われずに済んだだろうに。

 忸怩たる思いで、ランプに照らされたアレクの顔を睨んだ。液体と固体の丁度あいだくらいの柔らかい頬が、いびきに合わせて収縮を繰り返している。

「ああクソ……」

 ここでこんなことをしている場合じゃないのに。

 だが俺にはその息の根を止めることも、置き去りにすることもできない。

 眠れぬ身体と儘ならない状況を疎ましく思いながら、ただ無垢な寝顔を見守り続けるしかなかった。



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