Mayday

月見 夕

機械になりきれない男

 人のままでは生きられなかった。

 両親もきょうだいも友も、すべて瓦礫の下に置いてきた。

 全ては武器を持つ力さえあれば……そして鋼鉄の身体さえあれば、みな死なずに済んだのに。俺は皆を守れたのに。乾いた空を征く敵国の戦闘機を、幼い俺は強く強く睨む。

 もう後悔したくないんだ。俺の弱さ故に誰かが割を食うのはもう嫌なんだ。

 だから13歳の夏――政府から支給された薬を、俺は奪い取るようにして自分に打ったんだ。

 投与した人間の皮膚や筋組織を硬化させ脳神経に作用し神経伝達の超速化を図る、他人が人でなくなる禁忌の薬――機械化薬を。



 上官の苛立つ思考を乗せた人差し指がトン、トン、と机を叩くのを、俺は黙って見ていた。そういう人間らしい仕草は今どき珍しい。もしかしたら彼は生身のまま軍でのし上がった、稀有な人間なのかもしれなかった。

 戦時中にも関わらず高そうな調度品に溢れた司令室の真ん中で、軍服の男は革張りの椅子にどっかりと腰を下ろして俺に冷たい目を向ける。

「第21部隊所属、レイン・オルト」

「は」

の兵士がこの部屋に足を踏み入れたのは貴様が初めてだ。光栄に思え」

「は」

 上官は下らない挑発をもってそう吐き捨てた。背に握るチタンの拳に少しだけ力が籠ったが、表情は1ミクロンも動かさなかった。人間が俺のような半人半機アンドロイドをそう侮蔑するのは今に始まったことではないからだ。

 しかし続く言葉に俺は耳を疑った。

「貴様を呼んだのは他でもない、戦線離脱の勧告だ」

「俺に……この陛下の殊勲も賜った俺に! 一線から退けと仰るのですか!!」

「ああそうだ。貴様には一時的に戦線を離れてもらう」

 俺に何の非が、と取り乱しそうになるのを、上官の男は嘲るように笑う。腕や脚は機械でも肝心なところは人間じゃないか、とそのが云っていた。

「貴様がを打ったのはいつだったかね」

「……13の頃です」

「そうだ、もう20年近くも昔の試験薬だ……骨董品と呼んでも差し支えない。身体の一部を重機械化することで身体能力の大幅な増強を期待できる反面、今より生身への負担が大きく改良を余儀なくされた古型プロトタイプだ。現行薬と違い、火力は見込めるものの脳の機械化にはさほど作用しない」

「索敵や殲滅能力に関しては機械ロボットと遜色なかったはずです。戦績だって」

 上官の淡々とした語りにぐうの音も出ない。それでも何とか絞り出した俺の反論は、彼の問いかけに遮られた。

「貴様は引き金を引くのが怖いか」

「御冗談を」

「他のアンドロイドよりコンマ数秒遅いのだ、人間を相手に引き金を引くのが。それが貴様を除隊させる理由だ。人間らしい躊躇を残した兵など最前線に要らん」

 今度こそ俺は黙った。最前線では一瞬遅れただけで自分だけでなく味方を危険に晒す可能性もあるし、それが拮抗している敵国との戦況を左右しかねない。たとえそれが、20年もの間戦果を積み重ねてきた功労者だったとしても。

 どうして薬は俺を完璧な機械にしてくれなかったのだろう、と頭を掻き毟りたくなる衝動にすら腹が立つ。逡巡も焦燥も、すべては人間らしさに他ならない。

 思わず目を伏せた俺に、上官は最初の不機嫌とは一転、気分良さそうに席を立った。

「とはいえ、我が軍も人手が足りない。貴様には一旦予備役に退き、他の任務に当たってもらう」

 上官が半ば放るように渡してきた令状を広げる。

 予備役、と聞いて俺は暗澹たる心持がした。その大抵の行先は最前線のロボットやアンドロイドたちの不足部品を補うための廃品スクラップ置き場だったからだ。

 しかし上官から受け取った令状に記載された赴任地は、そんな場所とは無縁の市街地だった。ここからそう遠くない。

 ますます事情が分からず顔を上げると、上官は扉に手を掛けていた。

「最近では生身の人間の動員・兵器化には世論も煩くてな……将来の最前線を担う兵役の確保には苦心しているのだよ」

 扉の陰に立っていたのは入室の際にもいた見張りの機械と――その機械に連れて来られたらしい、膝丈ほどの背の高さの子供だった。

「これは……」

「珍しいか、人間の幼児だ。培養品クローンだがな。頭は弄っていないから見た目通りの2歳児だ」

 おむつ1枚で指令室の硬い床をおずおずと踏むそいつは、しょんべんでもしたのかぶるっと一震えした。

 医療の進歩によって人類の平均寿命が大幅に伸びた今、上官の言う通り人間の赤子を目にする機会は少ない。兵力としての数を増やしたいのなら、殲滅力こそアンドロイドには劣るがロボットで充分だ。子を母親が産み育てることの非効率性を考えると、出産から育児までのプロセスはもはやこの国では上流階級のみに許される娯楽だとも言える。

 恐らくこいつは、将来的にアンドロイドにするために世間的には秘密裏に生み出された量産品なのだろう。

「あう?」

 物珍しさが勝りその柔肌をジロジロと見つめていると、黒目がちな瞳と目が合った。大人の顔を見慣れているせいか、全ての顔のパーツが丸く大きく見える。

 男児と思しきそいつは俺を指差した。

「とーたん?」

「やめろ、俺は父親じゃない」

 怪訝な顔で断ると、男児はショックを受けるでもなくキョトンとした顔で俺を見上げた。何を考えているのかが全く分からない。一体こいつが何だというのだろう。

 状況が読めずにいると、上官は足元の幼児を顎で指した。

「貴様にはを育て、立派な兵器に仕立て上げてもらう。殊勲賞モノの戦士のお前のことだ、簡単だろう?」

「それは幼稚舎の仕事では……」

「ガキの育ち方次第では、お前の再動員に関し上に口を利いてやらんこともない」

「断れば」

「貴様を軍法会議にかける」

 上官は勝ち誇ったようにそう言い放った。八方塞がりじゃないか。この部屋に足を踏み入れた時から、俺がこいつの世話をすることはもう決まっていたということか。結構な厄介払いに、俺は合金の面の下で表情を渋くする。

「精々、その胸の勲章に恥じぬようにな――”すべては帝国の栄光のために”」

 俺の胸の内を見透かすように上官は笑い、さっさと踵を返して部屋を後にした。

 待ってくれ。子供なんて、ましてや幼児なんて触れたこともない俺にどうしろというんだ。銃しか握ったことのない俺に、哺乳瓶を握れと?

 しかし俺の困惑も虚しく、指令室には既に俺と辺りを自由に歩き回るそいつだけが残されていた。

「ちんちんなーい」

「あるよ……ちゃんと付いてるだろ」

「あったー」

 おむつを小さな両手で広げて中身を確認する3頭身の幼児に、俺は深い深い溜息を吐いた。

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