第9話 おじさんの秘密


 砂浜が一望できるテラスには、散らばった死体を啄む烏が集まっていた。


 オウジが足を踏み入れた途端に、一斉に飛び上がる。

 恨めしそうに、鳥が鳴いた。


 その向こう側に、異形の鎧を身に着けた大男が座っていた。

 男が振り返り、大剣を背負って立ち上がる。


 オウジと男が歩み寄り、間合いの外で対峙する。


「ゴルホス・ベルベノンと申す。貴殿に出会えて光栄だ」


 大男――――ゴルホスが一礼して言った。


 西方の鎧を無理やり東方風へ改造した、歪な鎧を着こんでいる。

 大剣も、両手剣にしては細身で良く研がれていた。


 妙に親し気な雰囲気を醸し出すゴルホスに、オウジは首を傾げる。


「俺を知っておるのか」


「応とも。とある筋に頼み込んで、素性を調べさせてもらった。するとどうだ、貴殿の逸話は枚挙に暇がなく、羨ましい限りである」


「……ふむ」


 オウジは過去のことを振り返ってみるが、羨ましがられる程の逸話は見当たらない。


 というか、あまり覚えていなかった。


 刀を振るうときは大体が怒っていて、忘れっぽいのだ。

 幾ばくかの功名心が疼き、話の先を促す。


「俺が何をしでかしたかなど、自分では分からん。元より『英雄』にもなれぬ半端者よ」


「おおっ、貴殿でも『英雄』に興味があるとは思わなかったぞ。貴殿であればどこの国のギルドでも受け入れるだろう。何せ、凄まじい経歴だ!」


 ゴルホスが英雄譚でも謳うように、諳んじて見せた。


「まず貴殿が名を上げたのは、人類と魔族の衝突した戦争で多大な被害を出した、アゴウゲル城殲滅戦だな。気に入らないからと自軍の大将を斬り殺して出奔した極悪人だ」


「……それは、まあ、嘘ではない」


 彼は不機嫌な声になっていた。

 別に他人の評価で己の行動を変えたりはしないが、極悪人と蔑まれるのも腹が立つ。


 しかし、ゴルホスの饒舌が止まらない。


「悪名結構ではないか! それに留まらず、海の魔族を引き連れて周辺海域を恐怖のどん底に陥れた地獄の海賊団も有名だな!」


「……戦士以外は襲っておらんぞ」


 追いかけてきた人類軍を蹴散らすために、敗走した魔族を再編成して迎撃し、隙があれば陸戦隊を引き連れて軍事施設を荒らしまわっただけだ。


 ゴルホスが身を乗り出して言う。


「だが、やはり取っておきは、妖精郷襲撃事件だろうな!」

「ぶふっ」


 オウジは驚き過ぎてむせた。

 どうにかしてゴルホスの口を塞ごうと考えるが、彼の口の滑りが勝る。


「単独でエルフの里である妖精郷に殴り込み、人類で初めて妖精王に拝謁し、尚且つ殺しかけたそうだな。まさに戦いの申し子よ!」


「貴様、何処でそれを聞いた!」


 オウジは叫ぶ。


 確かに妖精郷へ突撃したのは事実だが、妖精王が秘密にすると言っていたはずだ。


 何せ、人間一人にいいように妖精郷の防衛を突破された話なので、恥になりこそすれ武勇になることはない。


 対して、ゴルホスが首を傾げる。


「うん? 当の妖精王自身が、栄誉に値すると喧伝しておるが? 出来れば妖精郷の王になって欲しかったとまで――――」


「黙れ」


 オウジの顔は面頬で隠れているが、顔を真っ赤にして大太刀をゴルホスへ向けた。


 彼は、妖精王に呪いを受けている。


 一対一の決闘を行い、一昼夜の激戦の末に勝利を奪い取った。

 そのとき、妖精王から『次代の王になれ』と誘いを受けたが、完全に断っている。


 すると、決闘に勝った褒美を無理やり受け取らされて、追い出された。


 最後の瞬間、祝福だよ、などとほざいていたエルフの親玉の顔が思い浮かぶ。


「あの男ぉ、この俺を馬鹿にしおって……」


「何か事情があるようだが、争いが嫌になって消息が消えたのではないのだな。まだ戦うのであれば『反英雄』になってみる気は無いか?」


「何だと」


 オウジの視線がゴルホスに戻される。

 刀を向けられているのも関わらず、彼の態度に変化がない。


「噂ぐらいは聞いたことがあるだろう。『反英雄』が集まって出来た、『グラゲノン』という集団だ。貴殿であれば、喜んで紹介するぞ。ちなみに、貴殿の事を調べ上げたのもこいつらだ」


 オウジの目が細まる。

 溢れ出ていた殺気が収斂され、『断鎧のゴルホス』を射抜いた。


「気に入らんな。それに、死人に紹介ができると思うてか?」


「残念だ。この手で生ける伝説を終わらせねばいかんとは――――」


 唐突に殺し合いが始まった。

 大太刀と大剣が交錯する。


 ゴルホスの、空気を裂く鋭い直剣の突きが出されたかと思うと、その刺突を下から潜る湾刀の姿があった。


 いわゆる、巻き落としの形だ。

 突き出されたゴルホスの籠手に、大太刀の切っ先が迫る。


「ぬうんっ」


 偉丈夫が歯を食いしばり、膂力のみで大太刀の鎬を弾いた。

 馬鹿のような筋力が無ければ成り立たないが、彼の鍛えられた背筋がそれを可能にする。


 大太刀を止められたオウジは背後に間合いを取り、構えなおした。


「俺の技を知っているのか」


「尊敬していると、言っただろう」


 研ぎ澄まされた刃が、常に必殺を狙っている。

 殺し合いでは当然のことだ。


 互いに鎧具足を身に着けて急所を守っているため、更に難易度は増す。

 だからこそ、必殺に至るまでの理詰めは必須だ。


 完璧な勝利の道程こそが、必殺と呼ばれる。


「面白い、では死合うぞ」


 オウジは右肩に大太刀を担いで右半身に構え、左手は腰元の短刀に添えた。


 そこから読み取れるのは、初太刀で相手の剣を切り払い、組打ちに入って短刀で止めをさすという定石だろう。


 虚を突くのであれば、短刀を投げ放って晦ましをかけ、大太刀による一閃が考えられる。


 武芸者であれば、その程度は察しが付く。


 ゴルホスとて、伊達に『英雄』の域まで達した訳ではない。

 既知の攻撃を対処することは、容易である。


「それも、知っているぞ。『グラゲノン』は良い密偵を飼っているな」


「ふん。ではお主、人には超えられぬ速さを見せてやる」


 砂浜に、海風が吹く。

 傾きかけた太陽の光が降り注いでいた。


 打ち寄せる波音の中、オウジは短刀を半分抜いて傾けた。


「ぬっ!」


 その刹那、太陽の反射光がゴルホスの目を射抜く。


 この世で人外の居抜きは数あれど、いずれも光を超えて飛びはすまい。

 鏡の如く磨き上げられた刀身が為せる業だ。


 戦況が傾く。


「ふん!」


 蛮族の右半身の構えから、大上段の大太刀が振り下ろされた。

 幾ら兜があるとはいえ、まともに受けては頭が潰れる。


「なんのっ!」


 ゴルホスが頭の上に剣を掲げた。


 片手で振り下ろす大太刀に対し、両手持ちの剣で受けられぬ道理はない。

 大太刀を受けさえすれば、目が見えぬとも敵の位置は判明する。


 剣戟の火花が散った。


「そこだ!」


 ゴルホスが受けた大太刀の先へ向けて、横薙ぎを放つ。


 大剣が通り過ぎた場所に、東方の鎧武者は居ない。

 彼の声は下から聞こえてきた。


「先に涅槃へ行っておれ」


 屈んでいたオウジは、短刀を上に構えて伸びあがる。

 鋭い刃がゴルホスの喉に突き刺さり、兜の裏まで突き抜けた。


「ぐぶっ」


 致命傷を受けてなお、鎧武者に掴みかかろうとするが、オウジの蹴りによって倒される。


 うつ伏せになったゴルホスの手が、砂浜を掴んで動かなくなった。


 オウジは引き抜いた短刀を握ったままだったが、そこでようやく短刀を血拭きして腰に納めた。

 深く息を吐くと、腰に鈍痛が走る。


「……ちっ」


 若い頃のような戦い方では、肉体に負担が大き過ぎた。

 我武者羅な技についてこれない体を、恨めしく思う。


 痛みを堪え、砂地に突き刺さった大太刀を拾おうとして、影が動いたことに気付く。


「喉を突いた程度で、油断が過ぎはしないか?」


 魔導杖を構えたゴルホスがいた。

 口元には、魔族謹製の回復薬が垂れている。


 そんな希少なものを手に入れていることにも感嘆するが、それよりも戦士の矜持を投げ捨ててまで勝とうとする執念があった。


 『断鎧のゴルホス』の異名は、その自慢の大剣で鎧ごと戦士を幾人も斬り捨てたことに由来していた。


 戦士が魔法に頼るなど、笑止千万。

 これが果し合いであれば、即刻に立会人から横槍が入り、卑怯者と蔑まれることだろう。


 だがしかし、死合いにおいては、道具も魔法も卑怯とは言えない。

 死力を尽くして相手の命を奪うまでが、合意されている。


 だから、これは油断したオウジの手落ちだ。


「くらえっ」


 ゴルホスが叫んだ。


 短い魔導杖の先端には、赤い宝珠が埋め込まれている。

 それは炎弾を射出するもので、懐に仕舞える大きさであるならば、威力は対人程度だろう。


 オウジは歯噛みした。


 万全な状態であれば、相手が魔導杖を出しても、魔術を起動する前に突き殺せる。

 間合いが離れていたとて、印字打ちで石でも当てられた。


 しかし、既にもう遅い。

 手毬ほどの火球が生まれ、飛び込んで来た。


「ぐ、うううぅぅあぁぁぁぁっ」


 胸元に当たった炎が燃え盛り、人間が火達磨になる。

 オウジは、ごうごうと魔術の炎に包まれて、膝を着いた。


 彼の鎧が燃え墜ちる。

 胴丸が剥がれて砂浜へ突き刺さった。


「……な、なんだそれは」


 ゴルホスの驚愕した声が、波音に掻き消された。

 彼がオウジの背中で目にしたものは、人間のそれではない。


「妖精の、羽か?」


「…………」


 オウジは返答しなかった。


 いい歳をしたおじさんの背中に、可愛らしい妖精の羽があったとして、どういう返答をすれば良いのか。


 これこそ妖精王から授けられた呪いであり、押し付けられた祝福である。


 大好きな風呂屋にも温泉にも行けず、上着も気軽に脱げなくなった。

 この妖精の羽は、全ての魔術を打ち消す効果があるにはある。


 だが、それは逆に、回復魔術も効かないということで、腰痛も治せないのだ。


 折りたたんで隠せることだけが、不幸中の幸いだった。

 オウジが表舞台から姿を消した原因が、今、白日の下に晒されている。


「貴様ぁ、見おったな!」


「あ、いや、その前に、魔術が効いていないだとっ」


「遅いわ! 大人しく涅槃に行っておれ!」


 燃え墜ちた鎧を掴んで振りかぶり、ゴルホスに投げつけた。

 切り札を失ったゴルホスの頭へ、一直線に突き刺さる。


「――――ぐはっ」


 まともに衝撃を受けて倒れたゴルホスだったが、今度こそ止めを刺さねばなるまい。

 そのとき、背後から声がした。


「わあ、おじさん可愛いっ!」

「え? え? ん? え?」


 可愛いものを見て飛び跳ねるルイナと、必死に目を擦って現実かどうか確かめるゲルダの姿がある。


「うがあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 オウジは、走って逃げた。


 東方の兜と面頬を被り、上半身裸で妖精の羽を生やした壮年の男性が、夕日を背にして走り抜けていく。


 それを見ていたノルトが、腹を押さえて笑い転げているのだった。




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