第8話 海が見える宿屋、再び


 富裕者層向けの宿屋が、今ではならず者の冒険者に占拠されていた。


 ケッセルでは数少ない憲兵が投入されていたが、今では物言わぬ骸となって地面に転がっている。


 法の秩序が及ばなければ、人は簡単に獣に変わる。

 酒と肉を食い荒らし、無抵抗の職員を戯れに殺した。


 この宿屋の中で、命を保証されているのは二人だけだ。

 大広間で投げナイフの的にされた『英雄』と、その姪である。


 胴の鎧だけ残され、屋敷の石柱に鎖で縛りつけられた姿は、無残なものと成り果てていた。


 ――――ただの暇つぶし。


 何をやっているのかと問われれば、ならず者たちはそう答えるだろう。


 酒を一杯飲み干し、ナイフを投げ、『英雄』が動かなければ、姪に危害は加えられない。

 ただし、少しでも動けば、姪の一部が切り取られる。


 最早、気力しか残されていないゲルダだった。


 死に難い所へナイフが刺さっているとはいえ、刺さったナイフの数が多く、血が流れ過ぎている。


 それでも肉親のためにナイフを避けもしないのは、流石としか評せない。


「おう、今、動いたな」


 次第に飽いてきた来たならず者は、難癖をつけて、ルイナの耳を切り落とそうとした。


「……やめなさい!」


 朦朧とする意識の中で、必死に叫ぶ。

 決して『餓狼殺しのゲルダ』が弱かった訳ではない。


 単に、彼女の連れてきた護衛が裏切って、ルイナを人質に取られた結果がこれだ。

 その裏切った護衛もまた、投げナイフの的になって殺された。


 全く以って、度し難い。

 怒りで気が違えそうになり、涙が出る。


 その涙が一筋だけ、左頬の傷に沿って流れた。


 刹那、宿屋の玄関ドアが開かれた。

 蝶番が音を立てて軋む。


 そこには、異形の鎧を身に着けた男が立っていた。


「てめぇは?」


 門番らしき冒険者が、無遠慮に近づいた。


 既に殺傷圏内に入り込んでいる。

 死地も分からぬ粗忽者が、はらわたを垂れ流しても仕方あるまい。


 じわりと熱くなって小便でも漏らしたのかと、己の腹を見た冒険者が、垂れ下がる腸を見つめて叫ぶ。


「あ、ああああ、あががあああああぁぁぁ」


 うるさい半死人の首が、斬り飛んだ。


 東方の蛮族の顔は、面頬に隠れている。

 だが、素顔はその面頬と同じく、ひどく笑っていた。


「今では名乗る名も無いが、別に貴様らも俺の名前など知らんでもよかろう」

「何だこの野郎ぉぉぉ!」


 剣を振りかぶって突進してくる冒険者がいた。


 構わず歩を進めて、剣の間合いを潰す。

 この距離では、剣も振るに振れない。


「貴様は技量不足である」


 東方の蛮族は、反りが入った大太刀の根元を冒険者の首元に押し付けた。

 上から下に、ゆっくりと擦る様に切り落とす。


「いぎゃぁぁぁぁ、いてえぇぇぇぇぇぇ」


 鋭い刃がずぶずぶと入り込み、皮を裂き肉を切り骨を断つ。

 鎖骨から腰元まで押し込まれた大太刀が、血に濡れて煌めいた。


「うるおおおおあああああ!」


 絶叫を上げて、大柄なならず者が斧を振り上げていた。

 背に石柱を背負い、大太刀が振り抜かれることを防いでいる。


「たわけ。小賢しい」


 大太刀の柄を両手で握りしめ、袈裟懸けに振り下ろした。


 剛の刃が石を断つ。

 石柱が切断される斬撃で、生身が無事であるはずもなく、ならず者が内容物を撒き散らして地面に倒れた。


 東方の蛮族は、一瞥してから視線を横へ向ける。

 彼の背後から、ルイナを人質に取った冒険者が叫んだ。


「お、おいっ! こいつを殺すぞ!」


「ああ?」


 不機嫌な声で、得物を肩に担ぎながら振り返った。


 泣いて震えるルイナの首元に、ナイフが突きつけられている。

 東方の蛮族は、怒気を露にした。


「貴様っ! それでも冒険者か!」


「な、はあ?」


 今更言われるまでもなく、このナイフを持った男は、ならず者で冒険者である。


 冒険者が悪事を働くことで、異形の戦士が怒って叫ぶとは、意味があるとは思えない行為だ。

 そうであるならば、その怒りが届く先が違う。


 涙の浮かんだ瞳は、誰のものか。


 冒険者になろうと思った少女の心に――――僅かでも火が灯ればよい。

 いずれは越えねばならぬ場所だ。


「冒険者ならば、踏み越えよ! 踏破しろ! 斃れるならば前に征け! それが本懐であろう――――やり遂げよ」


「うん」


 ルイナが、ならず者の腕に噛みついた。


「いだぁ、は、離せぇ!」


 ナイフの柄で頭を殴られる不格好さだが、これは反撃の狼煙だ。


 お前に屈せぬと、心の火が燃えた結果だ。

 此処で死ぬことになろうとも、お前だけは許せぬと、己の意志を通したのだ。


 勝つか負けるかは、この際どうでもよろしい。

 まっすぐな意地を通してこそ、人は美しい。


「その意気や良し!」


 東方の蛮族は、間合いの外から大太刀を振った。


 普通に考えれば、届かない距離だ。

 踏み込んで、腕を伸ばして、なお足りない。


 それはそうだ。


 その大太刀は斬ることが目的でなく、意地を燃やす『英雄』に貸し与えただけなのだから。


「やめろと言いましたよ、私は」


 斬られた石柱の影から踊り出て、大太刀を受け取ったゲルダが振りかぶる。

 その剣技は出鱈目だったが、ならず者を斬るには余りあった。


 斬撃が横に薙がれ、冒険者の頭部上半分が回転して飛んで行った。


 ゲルダが安堵した表情でルイナの無事を確かめ、大太刀の柄を差し出しながら振り向く。


「助力、感謝いたします。……助けられるのは、これで二度目です」

「知らん。感謝を受ける理由もなし」


 大太刀を受け取った東方の蛮族は、にべなく吐き捨てて得物を肩に担ぐ。


 ゲルダが何かを口にしかけた。

 それを遮るように、彼は叫ぶ。


「『何でも屋』っ! どうせついてきておるのだろう! こやつらの面倒を見てやれ!」


「ったく、俺にばっかり何でも押し付けやがって」


 禍々しい擦り切れた外套を頭から被り、東方の踊りで使われる老人の仮面を被った男が、柱の陰から姿を現した。


 特徴的な黒革の手袋に覆われた義手が、外套から二つのガラス瓶を取り出した。

 それを、ゲルダに差し向ける。


「……まずはこれを飲め。その後で回復魔術を受けろ。あと、そこのガキ。手を出せ。指を繋げてやる。その方が奇麗に治るからな」


 ゲルダが信用できない目で、翁の仮面を見つめた。

 翁の仮面が、苛立った声を出す。


「おい、こっちは助けたくもねぇ人間の面倒を見てやってるんだ。必要ねぇならさっさと失せろ」


「その口ぶりからすると、貴方は魔族ですね?」


 ゲルダの警戒が露になる。

 人類が魔族と争った歴史は、根深いものがあった。


 それを考えると、素直に治療を受けてよいものか判断がつかない。

 彼女の葛藤を余所に、ルイナが手を出した。


「お願いします!」


「……おう。だが、勘違いするんじゃねぇぞ。大将の頼みだからやってやるだけだからな」


 翁の仮面が、外套の中から小指を取り出した。

 いつのまにか義手に握られていた針が、すいすいと神経と筋肉を繋げていく。


「待ちなさい、ルイナ!」


「大丈夫だよ。だって、冒険者は冒険しろって、オウジさんが言ってたから」


 彼女が縫われる痛みを堪えて、強がった笑顔を浮かべる。

 ルイナの目は、縫合される小指を見つめ続けていた。


 彼女のメンターが言っていたように、ルイナの素振りは『悪くない』。


 石柱を斬り落とす腕前の戦士が、そう太鼓判を押したのだ。

 身近で『英雄』の剣技を見続けて、それを完璧に再現させる目が、彼女の持ち味である。


 よく転ぶのも、力加減をも違えるのも、全て自慢の叔母である『英雄』を模倣しすぎていたからだった。


 己の冒険を始めた彼女の才能が、開花した瞬間だ。

 そんな彼女の目が、異形の鎧を着て態度が変わっただけで、人違いを起こす道理はない。


「――――なっ、んですって」


 ルイナの言葉に驚愕したのが、ゲルダだった。


 恐る恐る、恩人の大太刀を握った己の匂いを確かめる。

 記憶の中で、匂いが合わさった。


「あ、あわわわわわわ」


 途端に震えだすゲルダであった。


 彼女が慌てて東方の蛮族を見ると、彼は開け放たれた扉から、砂浜へ出て行くところだった。




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