第6話 海が見える宿屋

 オウジが連れられて訪れたのは、ケッセルでも料金お高めの宿屋だった。


 砂浜が目の前にあって、見晴らしの良い景色が特徴だった。

 食事も拘っていて、夕食時には地元民でも滅多に食べられないような海鮮料理が並ぶ。


 そんなオーシャンビューのテラス席に座り、白いテーブルを挟んでゲルダが言った。


「好きなものを頼んでください」


「はあ、ではコーヒーをお願いします」

「私はトロピカルココナッツスペシャルが欲しいよ!」


 ルイナが身を乗り出して、当店のおすすめドリンクを迷わず頼んでいた。

 すると、ゲルダの後ろに立っていた鎧姿の男が頷いて、注文を伝えに行く。


 それを目で追ったオウジは、嫌な予感を覚えていた。


「誰ですか、あの人」

「護衛です。それも説明しますよ。まず、この子の事です」


「はい」

「私はこの子を冒険者にすることには反対です」


「えーっ!」


 ルイナが抗議の声を上げるが、視線で黙殺された。

 ゲルダの指が、テーブルを叩く。


「ではギルド職員として答えてください。この子が一人で冒険者としてやっていけると思いますか?」


「現時点では無理でしょう。でもそれは、時間と経験によって補えるものです。結局は、本人のやる気次第だと思います」


 そこで護衛がコーヒーを持ってきたので、受け取って一口飲んだ。

 飲み物を運ぶことさえウェイターを信用しない徹底ぶりに、嫌な予感がさらに増す。


 この様子では、金に物を言わせてキッチンの中まで監視を入れていることだろう。


 ゲルダが短い溜息を吐いた。


「そうですね。彼女が私の姪でなければ、きっとそうでしょう。でしたら、『英雄』の縁者としてならば、どうでしょうか」

「ああ――――」


 『英雄』。

 誰もが憧れる傑物の称号だ。


 各国の冒険者ギルド本部が威信をかけて認定し、その功績を最大限に讃えるためのもの。


 周辺国のパワーバランスさえも関係してくる栄誉で、現在はクラストン帝国のギルド本部で認定される『英雄』が、最も価値が高い。


 偉業達成の証として、これ以上のものは無いだろう。

 ゲルダと言えば、ハスマン王国出身の『英雄』だ。


 飢えた魔狼の集団が波打って襲撃を仕掛けてきた際に、たった一人で撃退した猛者なのだ。


 だからこその『餓狼殺しのゲルダ』である。

 その栄誉に少しでもあやかろうと、ルイナに近づく者がいないとは言えない。


「難しい、ですね。ですが、ゲルダさんが後見人になるという手もあると思います」


 後見人というのは、いわゆる青田買いだ。


 頭角を現した冒険者や新進気鋭のパトロンになって、ゆくゆくは自分の所属する集団に加入させることなど珍しくもない。


『英雄』が後見人になるのであれば、サポートだって充分に可能で、妙な手合いも怖気づいてちょっかいを出さないだろう。


 そんなことは分かっている、とでも言いたげに、ゲルダが手を振った。


「今は無理です。この状況を見れば、こちらが立て込んでいることぐらい気付いていますよね?」

「物々しいとは思いますが」


 武装した冒険者が幾人も護衛につくなど、異常事態の何物でもない。


 『英雄』になる者であれば、その大抵が戦闘力に自信があるものだ。

 それを超える者がいるとすれば――――。


「私は『反英雄』に狙われています」


 いわゆる、墜ちた英雄のことだ。

 猛者の誰もが品行方正で人格者なことは、あり得ないだろう。

 『英雄』の中でも、多大な功績を引っ繰り返して余りある大罪人への蔑称である。


「狙われているって、何をしたんですか?」


 オウジの質問も当然だ。

 余程の理由が無ければ、追い回されることはないだろう。


 そして彼女の答えは、彼の予想を超えていた。


「『反英雄』を二人ほど、ギルドの依頼で始末しました。どちらも残虐な殺しを行った罪で、懸賞金が掛けられている程でしたからね」


 ゲルダが面倒そうに言う。


「そのうちの一人が、どうやら『反英雄』が集まって出来た組織の一員だったのですよ」

「ああ……」


 お気の毒に、という言葉を寸でのところで飲み込んだ。

 そんなことは本人が一番よく分かっている。


「それで、この護衛ですか」


 オウジは乾いた笑いを浮かべるより他なかった。


 冒険者ギルド内で、『反英雄』が徒党を組んでいるという噂がたまに流れる。

 その噂自体は昔からあるものだが、我の強い英雄たちが素直に命令に従わない所為で笑い話とされていた。


 しかし、『英雄』から聞かされると情報の確度が違う。


 彼女が狙われていると言うのだから、確実に『それ』はある。

 彼の心の中を肯定するように、ゲルダが頷いた。


「ええ、そうです。私を狙うなど舐められたものですが、相手は手段を選びませんからね。私の肉親だって狙うでしょう。そう思って理由も知らせず、この子を遠くの村に預けていたのですが、こんなことになるとは」


「……なるほど」


 彼は横目で、トロピカルココナッツスペシャルに齧りつくルイナを眺めた。


 現状で、この少女が冒険者になることは危険すぎる。

 『英雄』の実力を持った犯罪者に、一般人と変わらない実力の少女が戦えるはずもない。


 オウジは、ふいに砂浜へ目をやった。


 宿泊客の姿は見えず、大きな人影がこちらへ歩いてきている。

 背中に身の丈ほどの剣を背負い、異形の鎧を身に着けた偉丈夫だった。


「ん? 誰かいますけど、護衛の人ですか?」

「――――なっ、そんな、まさか」


 ゲルダが腰を浮かせ、驚愕の表情を浮かべた。


 彼女すら意識していないのか、左頬の傷に手が触れている。


「いや、違う。違うはずです。私の知る『彼』であれば、こんなことに加担しないでしょう。とにかく、貴方達は退避を」


 そう言った途端に、冒険者らしき数人がテラス席に踏み込んで来た。

 血走った目をして武器を抜いているのだから、誰に雇われているかなど明白だろう。

 

 即座に護衛が剣を抜き、戦いが始まる。


 『反英雄』が雇ったであろう冒険者の白刃が振るわれ、数合で護衛の何人かが斃された。

 それなりに動けるものが護衛をやっているはずだった。


 相手は余程の手練れだと考えられる。


「オウジさん、ルイナを頼みます!」


 ここで最大戦力の『英雄』ゲルダが動いた。

 テラスの椅子を蹴り飛ばして、襲撃者にぶつけて牽制し、その椅子ごと長剣で斬りつけた。


 更に襲ってくる者を、横薙ぎに一閃する。


 確かに彼女の言っていた通り、上下に分かたれた襲撃者が、分断されてもしばらく這いずって動いていた。


「見ちゃ駄目だよ」


 オウジはすぐに動いてレイナの目を手で押さえ、テーブルの下へ逃げ込んだ。

 小さく震える彼女を背中に隠し、ただ砂浜から歩いてくる鎧武者を見つめる。


 その鎧武者が、距離のあるところで止まった。


 仮面の下から覗く双眸が、異様な輝きを示している。

 何も持たぬ手が、人差し指をオウジに向けた。


 明らかな挑発だった。


 オウジの心臓が、跳ねる。

 血潮が流れるのが理解できる。


 乾いていた大地に水がしみ込むように、只々、満たされていく。

 得難いものが、脳髄を駆け巡って、腹の底でぐらぐら煮え滾る。


 飢えた狼に死肉を与えるが如き蛮行だ。

 誰に向けて殺気を放ったか、思い知らせる義務がある。


 彼の笑った顔が、更に頬を吊り上げた。


 オウジと鎧武者の間に、非現実な意思疎通が出来上がった。

 距離も言葉も飛び越えて、互いに殺意を確かめ合えた。


 後は、行動あるのみ。


「貴様ぁっ」


 ゲルダが叫んだ。

 彼女が長剣を構え、オウジの前に飛び込んでくる。


 既に襲撃者が切り捨てられ、床に残骸が散らばっていた。

 石床の上を歩けば滑りそうなくらいの血が流れている。


 彼が前を向くと、ゲルダの尻しか見えなくなってしまった。

 ぷりん、として形の良い立派な尻だった。


「…………」


 何となく白けたオウジは、我に返った。

 握りしめた自身の掌を見て、汗ばんでいたことを知る。


「ま、いっか」


 彼がそう呟いた途端、鎧武者も手を下げた。


 名残惜しい視線だけを残して、踵を返す。

 鎧武者が背を向けて帰っていった。


 ゲルダが目を細めて言った。


「あれが、『断鎧のゴルホス』ですか」

「彼、何しに来たんでしょうねぇ」


 能天気なオウジの言葉に、彼女の長剣が僅かに揺れた。


「恐らく、私の力を試しに来たのでしょう。今回の襲撃者たちは全滅させましたが、これで全てとは考えられません。こちらの護衛も減らされましたから、補填するには時間が必要になります」


「なるほど、それは大変ですね」


 完全に他人事だった。

 鎧武者のことが気にならないと言えば嘘になるが、明日になれば忘れられる程度だ。


 流石に、ゲルダらが殺されれば寝覚めが悪いとは思う。

 しかし冒険者の生き死には、一般人と比べれば驚くほど軽い。


 冒険者に肩入れしすぎるとメンタルが壊れてしまうので、ギルドでも必要以上の深入りはしないように教育されている。


 ゲルダも、冒険者ギルドがそういう組織であることを知っていた。

 ギルドの職員は、戦闘職では無いのだ。


 だからこそ、各々の役割を全うしなければならない。


「さて、今回の事で貴方も『反英雄』たちに目を付けられたかもしれませんが、私が守ってあげることは出来ません。よろしいですか」


「承知しています。こちらの事はお気になされず、ご健勝をお祈り申し上げます。ただ、まあ、可能であれば情報共有はお願いしたいですねぇ」


 へらり、と笑う。

 儀礼的なやり取りの後で、現場の意見を擦り合わせるのはよくある話だ。


 ちょっとくらい情報を融通し合って両者が得をするのであれば、互いの親切ということで丸く収まる。


 要するに、問題が解決したら教えてね、ということだ。

 ある意味で、貴方の勝利を疑っていませんというメッセージにもなる。


 ゲルダが小さく噴き出した。


「ぶっ……ふふふ、あははは。ええ、良いでしょう。貴方のことを気に入りました。隣の家に住む人間程度には融通しましょう。お元気で」


「え、オウジさん、行っちゃうの?」


 ルイナが哀しそうに、両手を胸に抱いていた。

 腰の悪いおじさんに期待するもんじゃないよ、と言いたかった。


「ええ、さようなら。ご縁があったら、また」


 彼は営業用の笑顔で、そう答えた。


 恐らく、『英雄』ゲルダと『反英雄』の激突は避けられない。

 勝負は時の運だろうが、組織力という意味で、ゲルダに分が悪い。


 いかに早く彼女の護衛と再合流するかが勝負の分かれ目だろう。

 残った護衛だけで戦い続けることは不可能だ。


 邪魔をしてはいけない。

 オウジは振り向かず、砂地を歩いて帰路についた。




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