第5話 英雄と遭遇
毎朝の出勤時間に、オウジは冒険者ギルドへやってきた。
清掃から朝礼まで時間があるはずだが、ギルドの入り口は開いている。
「あれ、おかしいな」
オウジは首を捻った。
大抵は受付時間まで開けない規則なのだ。
「どうしたんですか?」
背後からルイナが顔を覗かせる。
そして、知り合いを見つけて表情を綻ばせた。
「あ、叔母さん」
「え」
彼はギルドを振り返り、その玄関から出てくる旅装姿の女剣士を捉えた。
目を引くのは、左頬にある刀傷と、背中に背負った長剣だった。
背は高いが細身であり、剣士と言えど身軽な雰囲気だ。
ギロリ、と視線が向けられる。
瞬間、オウジの指先が反応した。
既に女剣士――――ゲルダ・エッセホンの間合いに入っているのだ。
即座に対応しなければ対抗手段が潰される、と考えたところで、だからどうなのだ、とあっさり抵抗する考えを放棄した。
戦う理由がない。
殺されて失うものもまた、ない。
「……ん? 私の思い違いでしょうか」
ゲルダが油断のない足取りで、オウジに近づく。
無遠慮にも、彼の首元や肩辺りまで鼻を近づけて匂いを嗅いでいた。
最近、加齢臭が気になるオウジにとって、軽い羞恥を覚える。
そんなことなど気付かなかったように、ルイナが飛び出した。
「叔母さん、元気だった!」
「ええ、元気ですよ。ともあれ、私は怒っています」
ガチン、と目から火花が飛び散ってもおかしくない程の拳骨が、彼女の頭に突き刺さった。
「いたーい!」
「痛いじゃありません。ボルホン村の皆さんにご迷惑をかけたでしょう」
「うん、聖剣折っちゃった!」
「その件は、私の剣を寄贈することで落着しました。……はぁ、これでまた、別の預け先を考えなければなりませんね……ところで貴方」
「はい?」
そっと逃げ出そうとしていたオウジに、声が掛けられる。
未だに油断していない辺り、冒険者というよりは武人に近い性質のゲルダだった。
「事情は先程、ギルドの方から聞きました。お世話になったようですね」
「そうだよ!」
ルイナが元気いっぱいの声で話す。
「二人きりで洞窟に行ったんだけど、体液まみれになったからお風呂に入れて貰ったんだよ! オウジさんの家に泊まっちゃった! 将来の面倒も見てくれるって!」
「なん、ですって?」
明らかに感情を制御できていない女剣士だった。
彼は目を細めて、両手を上げる。
「おじさん、そんなこと言ってないよ?」
なけなしの世間体が、吹けば飛ぶ勢いで失われていく。
噂話だって広がるだろう。
そこにあるのは真贋ではなく、面白いかどうかでしかないのだ。
只でさえ少ない社会的信用が、地に落ちてしまう。
しかしここで、焦ってはいけない。
慌てて弁解しても、おじさんが醜態を晒して終わりなだけだ。
まだ、無表情で立っておいた方が被害が少なくて済む。
「縦がいいですか、横がいいですか?」
「え?」
ゲルダから妙なことを聞かれた。
彼女の長剣が、鞘から淀みなく抜き放たれる。
「貴方が分断される方向くらいは決めさせてあげます。お勧めは縦ですね。横だと、斬られてから暫くは生きていますから」
わあ物騒、と心の中で小便が漏れる。
おじさんになると心の膀胱まで緩くなるのだ。
漏らしついでに、愚痴も漏れる。
「……そんなに大事なら、自分で守ってればいいじゃないか」
「ほう? この状況で、口応えする度胸がおありですか」
長剣が振り上げられた。
太陽の光で刃が煌めき、振り下ろされるまで間もないだろう。
「…………?」
オウジは縮めていた首を戻し、片目を開けた。
するとそこには、女剣士の腕にぶら下がるレイナがいた。
「違うよ! オウジさんは私を助けてくれたの!」
殺されそうになるきっかけも君が作ったよね、とは言えない雰囲気だった。
短く息を吐いたゲルダが言う。
「ええ、わかりました。『英雄』の末席を汚しているとはいえ、まがりなりにも私の脅しに屈しないその度胸は認めましょう。ですが、結婚までは認めませんよ」
「えぇ?」
彼の嫌そうな声が響く。
それをどう勘違いしたのか、ゲルダの片眉が揺れた。
長剣を鞘に戻し、高圧的な視線となる。
「職業は何ですか?」
「いや、あの、冒険者ギルドの臨時職員ですけど」
「……正規ではないんですか。それは減点です。その歳で臨時職員では昇進の見込みもないでしょうが、せめて給料は上げて貰ってください」
『英雄』の女剣士が、失望した顔を見せた。
何だこの公開処刑は、と思わなくもないオウジだった。
「特技は?」
「え? えっと、釣りです」
「趣味を聞いた覚えはありませんよ。特技もないんですね。減点」
知らないうちに、点数がどんどん減っていく。
持ち点何点だろう、と少しだけ興味が沸いた。
それから幾つかの質問を受けたが、加点される項目は一つとして存在しなかった。
「駄目駄目じゃないですか、貴方。よく生きてこられましたね」
「はあ」
もうどうでもいいから早く解放してくれないかな、と視線を逸らした。
するとギルドの入り口から、年下上司のカルサスが顔を覗かせているのが見えた。
道端で話をしていて遅刻でもしたら、また嫌味を言われてしまう。
「あの、ちょっといいですか。クビになりなくないので、出勤させてください」
「話の途中です。少し待ちなさい」
ゲルダがそう言い切ると、カルサスの前まで歩いて行った。
言葉を交わす度に、カルサスが頭を下げている。
礼だけ言い残した彼女が戻って来た。
「事情は分かりました」
再び、ルイナの頭に拳骨が落ちる。
「いったーい!」
「もう十五になったのでしょう。少しは言い方を考えなさい」
鋭い眼で彼女を睨みつけた後、呆れた顔で振り向く。
「ところでオウジさんでしたか。私の姪のメンターになったそうですね。お話をさせてください。貴方の上司の許可は取ってあります」
「なら、ギルドの応接室で伺いましょうか」
お仕事であるならば、オウジにとって何ら問題はない。
寂れた冒険者ギルドだが、それなりに施設は整えられている。
テーブルを拭くくらいの手間は必要だが、話し合いは出来るだろう。
しかし、ゲルダがそれに同意しなかった。
「私の選んだ宿屋にしましょう。出来れば王都まで出たいのですが、日が暮れますからね。ちなみに、これはオウジさんのメンター業務として私が依頼しています。残業代と食事くらいは私が持ちますので、安心してついてきてください」
「それって、夜遅くまでかかります?」
オウジは嫌そうな顔をした。
残業までして働きたくない、というのが彼の本心だ。
面倒事は放り投げて、自宅の居間で無駄な時間を過ごすことが至福だった。
ルイナが顔を出す。
「あ、わんちゃん飼ってますもんね。オウジさんからしかご飯を食べない、とっても可愛い黒犬なんだよ!」
「はあ、ペットがいるのですか」
よくそんな甲斐性があるのですね、とゲルダの顔に書いているような言い方だった。
彼女が肩を竦めた。
「わかりました。早めに終わらせましょう……ところで、その黒犬は誰でも撫でられますか?」
「無理ですねぇ。気難しいので」
彼は、近づくと逃げ出すセファルの姿を想像して、苦笑いを浮かべた。
ゲルダが大きく息を吐いて、見るからにやる気を失う。
「そう、ですか。では行きましょう」
三人が揃って歩き出した。
ふと気になってギルドを振り返ったオウジは、不安そうにこちらを見ているカルサスが目に入った。
そんなに心配なら代わりに行ってくれればいいのに、と考えたのだった。
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