第4話 おじさんのマイホーム


 冒険者ギルドから少し離れたところへ、ひっそりと佇む一軒家がある。


 それなりに意匠の凝った造りだが、いかんせん古すぎた。

 アンティークとも言えない風化具合に、買い手もつかない小ささである。


 由来としては、小金を持っていた商人の愛人宅らしいが、今となってはその風聞の悪さしか残されていない。


 だからこそ、ギルドの臨時職員の給料には不釣り合いなこの屋敷を、彼でもなんとか借り入れ出来ている。


 古臭い玄関扉を開けると、黒い艶やかな毛並みをした大型犬が頭を上げた。

 籐で編まれた犬用のベッドから前脚を出し、二人を見つめている。


 毛足の長い品種であり、ここまで整った犬は貴族の邸宅でも珍しい。

 その黒犬が、スタスタと玄関に出てくる。


「うわぁ、可愛いわんちゃんですね!」


 オウジの背後にいたルイナが、黒犬を見つけて腰を曲げた。


 黒犬が、彼女を一瞥し、それからオウジを見た。


 見つめられた彼は、ばつが悪そうに顔を背ける。


「すまない」

「――――」


 涼やかに息を漏らした黒犬が、興味を失ったように犬用のベッドへ戻り、目を閉じる。

 それをルイナが近づいて行って撫でようとするので、彼は止めた。


「あ、悪いけど、触らない方が良いよ。人見知りなんだ。俺以外の人間が触ると、本気で噛むからね」


「そうなんですね。御飯もあげられませんか?」

「うん。水も、俺からしか飲まないんだ」


 彼の呆れた溜息に反応して、黒犬が片目を開けた。

 抗議の視線を送ると、耳を数回動かして、また眠り始める。


 彼は仕方なく笑った。


「頑固だろう?」

「でも、可愛いじゃないですか。名前は何て言うんですか?」


 人好きのする笑顔を見せて、ルイナも笑った。


「セファルだよ。ちょっと待ってて、お風呂の準備してくるから」


 オウジはそう言って、屋敷の中に入っていく。


 この辺りでは、自宅風呂など超高級品で、汗を流したければ行水か銭湯へ行くのが普通だ。

 しかし、流石は愛人の別宅として造られているので、小さくてもバスルームが存在した。


 流石にペルムの体液まみれなルイナだと、銭湯では断られるだろう。

 見知らぬ土地で、若い娘に行水させるのも気が引けた。


 それもあって、彼の家が選ばれたのだ。


「久々に、俺も入るかなぁ」


 風呂好きのオウジとしては、バスルームの存在が、この屋敷を借りた理由の一つでもある。


 湯を沸かす薪代だって安くはないし、流れ落ちたペルムの体液を掃除しなくてはならないだろう。


 貴族でもないのに、そうそう湯など沸かしていられないのが実情だ。


 どうせ湯を沸かすなら、彼女の後に入浴するのも悪くないと思い、ちょっとした鼻歌を漏らしながら湯の準備をした。


 湯が沸くまでに時間があるので、玄関に戻った。

 すると、彼女は草で荒れまくった庭の草むしりを行っていた。


「あ、いいよいいよ、そんなことしなくても」

「いえ、お世話になるので、このくらいのことはさせてください」


 ルイナが額に流れるペルムの体液を拭いながら、笑顔で草を抜いていた。

 庭石まで取り除こうとしたときは、流石に止めた。


「良い子なんだけどねぇ」


 湯の準備を確認するため戻る際に、振り返って呟く。


 彼の足元を、黒犬が通り過ぎて行った。

 ルイナを一瞥した黒犬が、勝手気ままに歩き去る。


「……何を考えてんだか」


 嘆息したオウジは、黒犬の背中を見送ってからバスルームへ向かった。




 翌朝、目覚めてみると、屋敷の中にルイナの気配がなかった。


 廊下を歩いている途中で、黒犬に出会う。


「どこ行ったか知らないか?」

「――――」


 少しだけ彼の目を見つめた後で、黒犬が窓の外を見た。

 そこでは、箒を持って素振りする彼女の姿がある。


「ありがとう、セファ」


 彼は何気なくそう言って、歩き出す。


 だから、目を丸くして驚く黒犬の表情を見逃してしまった。


「仕事に行くまでは、まだ時間があるなぁ」


 オウジは庭に向かい、素振りするルイナに声を掛けた。


「や、朝早くから元気だね」

「おはようございます! あ、すみません、箒を勝手につかっちゃって」

「別に気にしないでいいよ。続けてていいから」


 感心感心、と頷いて、テラスのガーデンチェアに座った。


 これは昨日、ルイナの草むしりによって発掘された代物だ。

 腰が痛い彼にとって、まさに掘り出し物である。


 彼は、ぼぅ、と彼女の素振りを眺めた。


 別に悪い所はない。

 真面目に練習する気概と、それを続ける体力さえあれば、後はどうにでもなる。


 まだ若いんだし、という感想は飲み込んだ。


「あ、あの……」


 ルイナから、気恥ずかしそうに声を掛けられる。


 汗を流す少女の姿をただ見つめるだけのおっさんなど、傍から見ればただの変態だ。


「あ、ごめんね」

「いえ、ちょっと聞きたいんですけど、私の悪い所を教えてくれませんか? たくさん冒険者を見てきたオウジさんから、感想を聞きたいです!」


「……そう? うーん。まあ、仮にもメンターだしねぇ」


 浮かせた腰を椅子に納め、オウジは口を結んだ。


 彼女が首を傾げる。


「メンター?」

「簡単に言えば相談員だよ。冒険者と依頼者の間を取り持つのがギルドの仕事だからね。それには冒険者の育成も含まれてるんだ。だから、アドバイスくらいはするよ」


 冒険者の中には、腕が良くても文字の読み書きができない者もいる。

 そんな冒険者の代わりに、有料で書類仕事を請け負うのもギルドだ。


 ピンハネ組織と揶揄されることもあるが、れっきとした互助組織なのである。

 だから、冒険者になりたての見習いには、個別にメンターがつくことも稀ではない。


「で、では、どうでしょう?」


 ルイナが、両手を揃えて身を乗り出す。

 オウジは腕を組んだ。


「うーん。悪くないけど、目的がわからないかな。冒険者の中には剣なんて使わない人もいるしね。そもそも、冒険者が剣術家である必要はないんだ。もっと得意なところを伸ばした方が良いんじゃない?」

「そう、ですね」


 彼女が表情を曇らせる。

 言い淀むのは理由があっての事だろうから、深追いしない。


 冒険者として命にかかわるのであれば、別の話だが。


 オウジは視線を巡らせてから、言った。


「ところで、どうしてお金が欲しいの?」


 切実な問題ではあるが、普通の生活を送る分には冒険者を選ぶ理由がない。

 冒険者とは、自分の命と大金を天秤にかけた博打と変わらない。


 その上で選ぶのであれば、それは本懐と言えるだろう。


 オウジは、口の中に浮かぶ苦いものを飲み込んだ。


「冒険者は危険な仕事だよ。割に合わないこともある。だから辞めろとは言わないけど、理由は言葉にしてみてね。自分が迷った時の道しるべにもなるから」


 どの口でほざくか、と自分で自分の首を絞めたい気分だが、目前の少女の糧になるなら言っておかねばなるまい。


「それじゃあ、どうぞ」

「えっと、ですね。そもそも私、人よりちょっと力が強いみたいなんです」


「素晴らしい特技だと思うよ」


 彼は頷いた。

 魔蟲のペルムを大量虐殺できる時点で、ちょっとどころではない。


 彼女が続けて、恥ずかしそうに顔を俯かせた。


「この前、村が大事にしていた聖剣を折っちゃいまして。弁償するお金と、今までの迷惑料を稼げたらなー、って」


「あー、うん。そっか」


 彼は深く息を吸う。

 村に保管されている時点で、それほど大した聖剣ではないだろう。


 しかし、それはそれで村の拠り所ではあるし、立派な観光資源だ。


 相当な後悔があって当然だ。

 それでも、冒険者を選ぶ理由にはまだ遠い。


 ルイナが不意に、顔を上げた。


「それに、私の叔母さんは剣士で、とても力が強いんです」

「ふ、ふぅん? 名前は聞いても良い?」


 ルイナが首を横に振る。


「言うな、って言われてます。余計な面倒に巻き込まれるらしいです」

「そっかー。そうだね。じゃあもう聞かない」


「でも、オウジさんになら――――」

「やめとこう」


 彼はきっぱりと言い放った。

 心当たりにクリーンヒットした気がして、彼女の言葉を遮ることにする。


 エッセホンの名を持つ力が強い女剣士――――『英雄』と出会った記憶を、どうしても思い出してしまうのだ。


 若かりし頃の恥も、ついでに記憶から掘り起こされる羽目になる。


 彼女が少し言い淀みながらも、口を開いた。


「そうですね。私は、叔母さんみたいな剣士になりたいです」

「うんうん。いいね。でもそれは、剣でなくてはいけないかな?」


 意地の悪い質問のようだが、強くなるための方法は一つではない。

 特に冒険者たちは、仕事柄もあって修羅に落ちる者が多い。


 幸せの形は様々あるものだ。

 引き返せるなら、引き返した方が世のためである。


 ルイナが顔を上げた。


「はい、剣が良いです。叔母さんの、理不尽なくらい強い剣が好きです。お金もいっぱい稼いでるそうですし」


「……うん。それが、今の君の答えなんだね。なら次は、どうしたら理想に近づけるか、考えていこうか」

「わかりましたっ!」


 元気のよい返事だった。


 『英雄』を目指す冒険者が、どれほど夢破れて散っていっただろう。


 偉業に与えられる功績としては、掛け値なしに最上の栄誉――――それが『英雄』である。


 その栄誉に参列する女剣士と肩を並べることが、いかに困難か。

 今の彼女に語って見せたところで、英雄譚にしか聞こえないだろう。


「それじゃあ今後の方針が決まったところで、朝御飯を食べよう」

「はい!」


 二人で屋敷に向かう。


 玄関を潜った先で、恨めしそうにオウジを見つめる黒犬を見つけ、朝御飯の用意を忘れていたことに気付いたのだった。




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