第2話 冒険者志望

 月日とは、誰にでも平等に訪れる、残酷な仕打ちだった。

 昔は力自慢だった青年も、歳を取れば衰える。


 滅せぬもののあるべきか。


 そう呟いても仕方なく、年齢を重ねて今に至る。

 頼みもしないのに毎日髭が生え、朝っぱらから腰が痛い。

 昨日の夜に飲んだ酒が残るようになり、常に胃がもたれる。


 食べたいものを選ぶときは、美味しいものより体調を優先するようなった。

 四十路手前とはいえ、心は晴れぬ。


「……はぁ」


 オウジ・タマフサは、冒険者ギルドの受付カウンターで溜息を吐いた。

 使い込まれて年季のはいったカウンターデスクに肘を置き、頬杖をついて建物の中を眺めた。


 依頼人など、誰も来ない。


 やることの無い人生の大先輩が、ベンチで日向ぼっこをしているくらいだ。

 そのお爺さんも、娘に連れられて帰って何処かへ行ってしまった。


「暇ですねぇ」


 仕切りを挟んだ隣のカウンターで、同僚のメリルが同じく暇そうにしている。

 冒険者ギルドの正規の制服を身に着けた、一年目の新人受付嬢だった。


 オウジは苦笑いを浮かべる。

 何年経っても臨時職員のままである自分と、既に給料は同じだ。


「楽でいいんだけどなぁ」


 貯蓄も無く、小さな借家で一人と一匹のその日暮らしだった。

 退屈な毎日と引き換えに、平穏な日々を垂れ流していく。


 立派に生きていると言えば聞こえは良いが、ただ生きるだけの人生の意味を考えてしまう。


「でもぉ、何かこう、刺激が欲しいですよねっ」


 冷静に考えれば娘の年頃であるメリルが、張りのある声で言った。


 面倒くさい冒険者が受付に来るよりいいんじゃない、という言葉を飲み込んだ。

 オウジは、曖昧な笑みを浮かべる。


「そうだねぇ」

「そうですよぅ」


 元気いっぱいのメリルが、どこそこの定食屋は美味しかったが元彼がやって来て修羅場になったとか、二股していた彼氏(?)を見かけてヤバかったなど、武勇伝がひたすらに語られる。


「大変だねぇ」


 若者は凄いなぁ、と感慨深く思うオウジだった。

 そんなこと喋って大丈夫なのかい、と心配になるくらいだ。


 メリルの雑談に相槌を打っていたら、背後から声を掛けられた。


「喋ってばかりいないで、仕事してくださいよ。仕事」


 この冒険者ギルドの職員のカルサスだった。

 オウジよりも後に就職した若者だが、もう副ギルド長の役職付きだ。


 彼とも色々と仕事の相談をしたり愚痴を話していた時期もあったが、カルサスが副ギルド長に任命されてからは彼の仕事量が増え、苦労しているようである。


 オウジは愛想笑いを浮かべた。


「ごめんね、お客さん、居なかったから」


「就業時間中ですよね。サボってないで、自分で仕事見つけて働いてくださいよ。お金貰ってるんでしょう?」

「うんうん、ギルドの前を掃除してくるよ」


 彼は腰を上げる。

 やや痛みもするが、動けなくはない。


 正規職員のメリルがカウンターを離れる訳にもいかないので、雑用は常にオウジの仕事だ。


 掃除道具を取りに行く彼の背中に、聞き逃してしまうような小言が聞こえた。


「はぁ、気楽でいいよな、妖精おじさんは」

「…………」


 聞こえなかったことにして、オウジは箒を持ってギルドの玄関から外へ出た。


 妖精というのは、往々にして、小さな人型の可愛らしいものだ。

 極稀に人前へ表れて、親切や悪戯をする希少な生物だった。


 その神出鬼没さで、働かずに姿を見せないおじさんを揶揄して、妖精おじさんという言葉が出来たらしい。


 違う意味で冷や汗の出る話だが、どうにか気にしないでいられた。


「さて、と」


 昼過ぎの太陽は、眩しかった。


 冒険者ギルド『始まりのケッセル』は、大通りに面していて、町の中では有名な建物だ。

 町の名前もケッセルで、冒険者ギルドは観光資源の一つとされている。


 それというのも、このナスパリア王国で最初に発足した、冒険者ギルド生誕の地なのだ。


 しかし、今では王都に移転した冒険者ギルドの方が有名で、ケッセルは支部以下の扱いだった。

 何度も取り壊しの話が出ているが、名物ギルド長の説得によって日々を凌いでいる。


「あ、こんにちは」

「こんにちは、いい天気ですね」


 オウジは、大通りを通りかかる顔見知りに挨拶され、会釈を返す。


 漁村から始まった小さな港町なので、自然に知り合いが多くなる。

 何も変わらない日常を、知った顔に囲まれて、過ごしていく。


 悪くない。


 そう、悪くないのだ。


 今日の晩酌のつまみを何にするか考えながら、箒で掃いていた。

 すると、足元に影が差す。


 彼は顔を上げた。


 そこには、腰元に手を当てた少女が立っていた。

 見るからに農村からそのまま出てきた格好の少女で、素朴な笑顔を見せている。


 少女と言っても嫁入り前くらいには成長しているが、言動と童顔故に、幼く見えた。


 オウジは首を傾げ、聞いた。


「どうしたのかな、お嬢さん」

「冒険者になりにきました!」


「……そうなのかい?」

「うん!」


 元気いっぱいに返事をされた。


 確かに冒険者ギルドは、冒険者の認定を行っている。

 依頼の成功率を上げるためと、冒険者の安全を守るためだ。


 ランク別に認定試験を設け、それによって冒険者の格付けとなる。

 見習い、下級、中級、上級、特級、の順に難易度が増し、国の冒険者ギルド本部から一定の功績を認められれば、英雄と呼ばれる。


 英雄を目指す若者も居ないではないが、この少女が英雄を目指すとなると、期待よりも心配が勝る。


「えっと……認定料はあるの?」


「冒険して返します!」

「ああ、持ってないんだね」


 オウジは苦笑いだ。


 同じことを言う粗暴な若者も来たことがあるが、現職の冒険者が認定官を務めたおかげで、尻を蹴り上げて追い返したことがある。


 流石に、彼女の尻を蹴り上げさせるのは、どうかと考えた。


「まあ、玄関前で話をするのも何だし、入ろうか」

「はいっ!」


「名前は何て言うのかな」

「ルイナ・エッセホンです!」


「…………まさかな」


 微妙な心当たりがないこともないが、あの『英雄』が子を成しているとは思えなかった。


 嫌な思い出を振り払い、冒険者ギルドの建物内へ案内する。

 受付カウンターで事務仕事をしていたメリルが、こちらを見て顔を綻ばせた。


「やー、かわいい子ですね。娘さんですかぁ?」

「違うねぇ。ルイナ・エッセホンさんです。冒険者志望みたい。お金ないけど、認定試験を受けたいんだってさ」


「はあー、そうなんですかぁ。飴ちゃんあげるからおいで?」


メリルが人好きのする笑顔になり、ルイナを手招きした。

奔放に見えて、面倒見の良いメリルだった。


「どうして冒険者になるのかなぁ」

「お金を稼いで、村に払います!」


 ふんす、と鼻息荒く、ルイナが両手を握りしめる。


 メリルが、背後にいるカンサスに目くばせしてから、表情を戻した。


「どこの村かな?」

「ボルホンです。私、不器用なので、村の色んなものを壊してきました。だから、恩返しがしたいんです! 十五になったら冒険者になって良いと言われてます!」


 あー、と額に手を当ててから、カンサスが事務机に帰って手紙を書き始めた。


 冒険者ギルドには、家出同然で故郷を後にした若者がやってくることもある。

 家柄によっては問題になることもあるので、きっちりと確認しなければならない。


 そして、冒険者ギルドに新しい来客があった。


「ちわー、ムシリマ峠の巡回が終わりましたんで、確認お願いしまーす」


 軽鎧を身に着けた冒険者が、契約書を持ってきた。

 草原を歩き回り土を食べて行商の邪魔をする、ペムルという魔蟲の排除依頼の事だ。


 見た目だけなら、成犬サイズの黒い甲虫である。

 動きは遅く攻撃的では無いが、駆除されそうなら齧りついてくるし、とにかく固い。


 ケッセル町と商業ギルドの合同依頼で、確認作業は迅速に行うべき案件だった。


「あぁ、急ぎですよねぇ」


 メリルが困った笑顔を浮かべる。

 軽鎧の冒険者も、苦笑いだ。


「そうっすねぇ。仕事なんで、すんません」


 そのとき、カンサスが呼びかけてきた。


「メリルさんは契約書の確認をお願いします。ルイナさんの件はこっちでやるんで、オウジさんは見習いの認定試験をやってください」


「ああ、はい。ではルイナさん。こちらへどうぞ」


 オウジは納得して頷いてから、少女へ笑いかけた。

 ルイナも笑う。


「はいっ! 頑張ります! ――――ぬわっ」


 そう言って歩き始めようとして、彼女は派手に転んだ。

 これからの事を考えて、不安になるオウジだった。



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