伝説の妖精おじさん

比呂

第1話 おじさんの過去


 遠方から響いていた剣戟と悲鳴が、疎らになっていった。


 東方の鎧具足が、小刻みに鳴る。

 鞘から抜いた大太刀は肩に担がれ、血濡れで傷も多い。


 異臭まみれで、苦い煙の残り香が鼻を麻痺させる。

 石造りの砦は魔族が建てたものでも、冷ややかで無機質だった。


 東方から見分を広めるために、武者修行として出国した年若い彼でも、木で出来た故郷の家を懐かしく思わされる。


 そこで、魔族の怒声を遠くで聞いた。


 ―――――無礼者がっ!


 戦場で何を言っているのだろう、という感情が湧く。


 人類も魔族も、鉄の刃で斬り裂かれ、はらわたを晒せば死に絶える。

 衣食足りて礼節を知るというのであれば、ここはまさに獣の住処だ。


 何もかもが、足りていない。


 中でも真っ先に捨てられるのが、礼節だろう。


 くだらん、と思いつつも、東方の武者は声の方へ足を向ける。

 砦の通路は広く、木板張りとなっていた。


 魔族にしては調度品が飾られ、文化的な面が見えてくる。

 彼の目に留まったのは、艶がある色彩で覆われた、大鷹を意匠にした像だった。


「ふん」


 換金のために抱えて持ち帰ろうとすれば、動きが鈍り、湧いて出る野盗に襲われるのが関の山だ。


 自身の叔父などに持ち帰ってやれば、満面の笑みを湛えて喜びそうだが、是非も無し。

 見事な造形の飾りも、刀で打てばガラクタと成り果てる。


 そして、彼にとっては無用の長物だ。


 特に、大鷹の隣にある、巨大で背の高い壺など意味が分からない。

 どうやって使うのか、と首を捻る。


 その奇怪な壺の奥にある通路から、槍を持った魔族兵が出てきた。

 大方、先ほどの怒声を聞いて駆けつけたのだろう。


 周囲を警戒する魔族兵が、彼を見逃すはずもなかった。


「うるあぁぁぁぁぁぁっ!」


 先手必勝とばかりに、槍を突き出して走って来る。

 気合は充分だった。


 装備も洗練され、体躯も筋骨隆々で申し分ないと言える。

 負け戦であることは理解しているだろうに、錬度も戦意も高く、流石は一兵卒と訳が違う。


 幾人も屠った自慢の槍であることが、わかった。


 しかし――――届かない。


 粗野で獣臭い蛮族と常々称される東方の鎧武者は、面頬の中で目を細めた。


 そして、只々、静かに大太刀を振り下ろす。


 音の無い世界で、ゆっくりと槍の穂先が斬り落とされる。


 切断された槍の根元から、まっさらな地金まで見て取れた。

 大太刀の切っ先が、するりと袈裟に薙がれる。


「があっ?」


 肩から腰まで両断された魔族兵が、二つに分かれて地面に転がる。

 上半身が片腕だけで這いずり、次第に動かなくなった。


 溢れた臓物に湯気が立つ。


 長く苦しませないための『止め』が要らないことを確認して、短い黙祷だけで終わらせた。


 これが大将であれば、片合掌の後に首級をあげるところだ。

 耳でも持って帰ろうかと思うが、魔族の耳は何処かと探す手間も惜しい。


 なぜなら、これから向かう先に大将がいるかもしれないのだ。


 声を上げたらこれほどの戦士が出てくるのだから、偉くないはずがない。

 幾たびの戦場を巡ってきたが、未だ大将首に恵まれていない身として、功名を期待しても仕方あるまい。


 身の丈三尺を超える魔族の大将と、死線を潜り抜けるような殺し合いの果て、見事に討ってみせるのが願いだ。


 気が逸ってしまう。


 どうかどうか、一心不乱に、暗闇で光明を見つけるが如き死合いがしたい。


 早足となって、先に向かう。


 半分開いた頑丈な扉を見つけた。

 意匠が凝った扉は将に類する者の部屋に違いなく、胸に期待を膨らませる。


 口元を緩めた東方の鎧武者は、それを蹴破った。


「やあやあ、我こそは――――お?」


 豪奢なベッドの上にいる、黒髪の少女と視線が合う。


 服を破られ、膨らみをさらけ出した少女が、舌を噛もうとしていた。

 魔族なのだろうから見た目通りの年齢ではないとしても、妖しい雰囲気さえ感じられる。


 美麗と称するに申し分なく、艶やかな長い黒髪が、望郷を感じさせた。

 その少女の気丈な瞳が、落胆に変わる。


 救いなど無いと、少女が視線を逸らした。


「あん?」


 鎧武者が目つきを鋭くした。

 苛立ちが沸き上がって来る。


 さっきまで美しく気高い生き物だったのに、どうしてそうすぐ手折れるのか、と。


「な、何だお前」


 少女に覆いかぶさろうとして白い尻を出した男が、少女の両膝に手をかけて止まっていた。


 彼らの足元では、両手を切り飛ばされて押さえつけられている魔族の青年が、馬乗りにされて顔を殴られている。


 戦にて、略奪姦淫は珍しくない。


 獣の住処では、力こそすべて。

 故に――――彼の怒りは、誰にも止められなかった。


 男たちなど無視して叫ぶ。


「貴様ぁっ、この俺を見て、落胆しおったなぁっ!」


 話しかけられると思っていなかった少女が、眼を剥く。

 ましてや怒られるとは、想像の範疇にも入らない。


 白い尻を出した男が、舌打ちをして配下の男に指示を出す。


 魔族の青年を殴っていた大男が、素早く近づいてきて大太刀を抑えた。


「蛮族の戦士か? 我々はクラストン皇帝に連なる縁者だ。お前も人類同盟軍の者だろう。黙って引け。でなければ殺す」

「殺す? そうか」


 鎧武者は、大太刀から手を離した。

 配下の大男が、見た目より重い大太刀顔を顰める。


「ちっ、礼儀知らずめ――――ぬがぁっ」


 いきなり、鎧武者が人差し指を大男の眼窩に突っ込んだ。

 そのまま頭蓋骨を指で引っかけて、横に投げる。


 喚いて倒れた大男の顔面を蹴り上げ、落ちている大太刀を拾い上げて肩に担いだ。


「殺すと言って剣を抜かんなら、転がっておれ」

「だから何だお前はっ、俺を誰だと思ってる!」


 白い尻を出したまま、男が叫ぶ。


 東方の鎧武者が、顔を覆う面頬を外した。

 いかにも子供っぽい、幼い顔立ちをした素顔が露になる。


「くそ、ガキかよ。何処の従士だ――――」

「いくら大将首でも、貴様のは要らぬ」


 大太刀が片腕で振るわれた。


 その行為は戦いですらなく、ただ無造作に命が飛び上がって地面に落ちる。

 尻を出した頭の無い肉体が、ゆらりと崩れ落ちた。


 それをむんずと掴んで片腕で放り投げ、鎧武者は少女を見下ろした。


「おい、小娘」

「な、何ですか無礼者め。お前も子供ではないですか」


 胸を隠し、震える身体を抑え込んで、気丈たらんとする。

 その意気は認めるところだ。


 厚く刺繍の入った服や、手先の奇麗さから見るに、身分の高い者なのだろう。


「貴様の、己が身を汚させんとする信念に感じ入った。しかし、俺を助けだと勘違いして油断したな? どれ、介錯仕る」


 鎧武者は腰元から短刀を取り出して、少女の手に握らせる。

 その際、横から魔族の青年が立ち上がって殴り掛かってきたが、逆に殴り返した。


「邪魔をするな、これは本懐である。黙って見ておれ」

「うぐぁ、人間め、馬鹿を言うな……げふっ。死にたいことが、あるものか!」

「ふむ。では問うが、貴様らこの負け戦で、生きて逃げられると思うのか?」


 魔族の青年が、視線で殺意を飛ばしながら、血を吐いて言う。


「やってみないとわからん!」

「貴様、面白いが馬鹿だな」


 これが魔族でなければ手下にするのだが、と思いながら、今度は強めに殴り倒した。


 黒髪の少女を見る。


「さて、本懐を遂げよ。この腕にかけて、苦しませないことを約束する」

「…………」


 黒髪の少女が、短刀を鞘から抜き出した。

 よく手入れがされていて、ぬらぬらと刃が濡れたように輝く。


 肌に突き立てれば、音もなく潜り込んでいくことだろう。

 刃物を見つめていた少女が、ようやく顔を上げた。


「どうして誰も助けてくれないのですかっ! 父様も! 母様も! 約束したではないですか!」


 大粒の涙をこぼし、わんわんと天を向いて泣き始めた。


 鎧武者は、黙って待った。

 ひとしきり泣いた黒髪の少女が、手元の短刀を握りしめて言う。


「なにゆえ、このようなことをするのです……」

「俺はこの世に問うている」

「え?」


 返事があると思っていなかった少女が、間の抜けた顔で東方の蛮族を見た。

 その男は、荒々しい長大な刀を担いだまま、真顔で口を開いた。


「何のために、この俺を世にひり出したのかと、生まれ持った拳を振り上げておるのだ」

「……その答えは、あるのですか」


 短刀を持っていることも忘れた黒髪の少女が、鬱々し気に言う。

 もう自分の答えは出ている、とばかりの言葉だ。


 しかし、鎧武者は、呵々と笑った。


「知らんから問うておるのだ。俺が悪行であれば、天が俺を殺すだろう。俺が善行であれば、天が俺を活かすだろう。この世とはそういうものだと教わったぞ」

「そう、ですか」


 蛮族の思想というものに、初めて触れた黒髪の少女だった。


 人類と魔族の殺し合いに、異国から参加してきた戦好きの変態であるこの東方の蛮族は、自己中心的な考え方の持ち主であることに違いない。


 しかし、その上で判断基準が己の外にあるという矛盾がある。


 黒髪の少女が、短刀を強く握りしめた。


「であるならば、本懐を遂げるとは、何なのですか。死なぬと分からないのですか。魔族にはわからぬものですか?」

「本懐とは、死ぬことではない。命を使った天との賭け事よ。勝っても負けても土へ還るのみ。ただ、勝てば笑えるわなぁ」


 頬を引いて、獣が笑う。


「それに、同じ天の元に活かされるもの同士、人も魔も関係あるまい。もうこの世にあるものだ」


 草木と一緒よ、と真面目腐って鎧武者が言った。


 この男は、決して人を貶めている訳では無い。魔を嫌っている訳でもない。

 価値観が蛮族なだけだ。


 黒髪の少女が、手も持った短刀を鞘に納めた。

 そして、鎧武者に柄を向けて差し出す。


「貴方様のお考え――――痛み入りました。その上で、申し上げたいことが御座います」

「申せ」


 短刀を受け取らず、殺気を込めた目で彼は言った。


 戦場を駆け抜けてきて、命がけの者の意気は察せる。

 魔族で黒髪の少女が命を賭けていることくらい、理解出来た。


 だから、彼女の誇りを汚さぬよう、意に添わなければ斬り捨てるまで。


 少女の紅を引かぬまでも紅く美しい小さな唇が震える。


「貴方様の本懐を、最後まで見届けとうございます。これを以って、私の本懐とさせて頂きます」

「――――ぬ?」


 東方の蛮族は、面食らってしまった。

 瞬きもしない黒髪の少女が、幼げな殺気を放つ。


「気に入らぬのであれば、いつでもその短刀で私めを殺してください。喜んで受け入れましょう」

「この俺に命を差し出すと?」


 大太刀を持つ手に力を込めた。


 簡単に命を捨てるなど、愚かに過ぎる。

 無駄に散る命など、受け取る価値もない。


 しかし、黒髪の少女が怯えることは無かった。

 ただ、慈愛の笑みを以って、答えるのみだ。


「はい、お望み通りに捨て去って頂いて構いません。その時は、天との賭けに負けたと諦めましょう」

「むぅ」


 鎧武者が、人間らしく悩んだ表情を見せた。


 別に小娘の命などいらん、と言ってしまえばいいのだが、彼女に本懐を遂げるように言ったのは己である。


 苦しませないと、約束もした。

 交わした約束を踏み躙るなど、彼の信念に反する。


 信念を捻じ曲げるくらいならば、脳天割られて死んだ方がマシだ。

 だが、ひたすらに面倒事を背負い込んでしまった、という後悔がある。


「どうぞ」


 ずいっ、と短刀が差し出された。


 東方の鎧武者は、視線を横に向けて、面頬を付け直す。

 口元から大きな息を吐き、彼女の眼も見ず受け取った。


「わかった。ただし、俺の邪魔はするな」

「心得ております、旦那様」


「……娶った覚えは無いぞ?」


 嫌そうな目を、黒髪の少女に向ける。

 戦場に伴侶など不要論の信奉者である彼に、取りつく島はなかった。


 けれども、命を差し出した少女はどこ吹く風だ。


「はい。ですが、お役に立ちますよ? 例えば、先ほど旦那様が斬り捨てた者どもは、旦那様を指揮していたクラストン帝国の重鎮です。皇帝の縁者ともなると、死ぬまで追いかけられることでしょう」

「ほう? では何か。俺は敵ではなく、味方の大将首を獲った大罪人か」

「そういうことになります」


 にっこりと笑う黒髪の少女だった。


 考えてみれば、とんだ大失態である。

 名声は地に落ち、悪名が轟くことになるだろう。


「ふむ、まあ、よいか」


 元々にして蛮族と揶揄される立場だ。

 とはいえ、敵の砦で小娘を手籠めにする大将を担ぐのは御免だった。


 そして逃げ出すのであれば、大将がいない今が好機だろう。


「頃合いだな。機が来たと見える」

「そうですね」


 両手を膝に置いて、微笑んで言葉を待つ黒髪の少女だった。


 その小娘に、足元へ落ちていたシーツを投げ捨てる。


「胸を隠せ、置いていくぞ」

「まあ、どこへ向かうのですか?」


 言われた通りにシーツを上半身に巻き付け、少女が思考を巡らせる。

 逃げ道の算段であれば、地の利があるのは魔族の方だ。


 鎧武者は恥も遠慮も無く、素直に言う。


「この砦を出る。取り合えず、海を目指す。案内が欲しい」


「でしたら、そこで寝ているノルトを連れて行くと良いでしょう。この辺りの地理に詳しいですし、港でも顔が効きます」

「そうか。では起こせ」

「はい」


 にこにこと笑いながら、床に倒れた魔族――――ノルトの顔を、えい、と叩く。

 一回で起きなかったので、何度も叩いてようやく彼の意識が戻った。


「痛いっ……何だ、姫さ……もがぁ」

「逃げますよ。道は旦那様が斬り開いて下さいます」


 ノルトの口を両手で押さえ、笑いながら冷や汗を垂らす少女だった。

 彼女の言葉を聞いて、ノルトが素っ頓狂な声を出す。


「ふわあっ! ばんべすばぼべ!」

「よいですか。黙っていれば、私についてくることを許します。どうしますか?」


「――――」


 ノルトが、不可解ながらも頷いた。

 それで、今後の方針が決定される。


「どちらが海だ」


 東方の鎧武者は、口を閉じたノルトに聞いた。


 青年魔族が、手首だけを窓の方へ向ける。

 そこには青い空が映し出され、白い鳥が遠くに飛んでいた。


「ふむ。では、ついてこい」


 鎧武者は、黒髪の少女を小脇に抱えた。

 少女が抱えられた状態でぶら下がったまま、ノルトに言う。


「お先に」

「喋るな。舌を噛む」


「はい、旦那様」


 大太刀を肩に担ぎ、少女を小脇に抱えた鎧武者は、窓枠に足を掛けると、一気に飛び降りた。


「は、はあああああああああぁつ、何やってんだあの蛮族ぅ! 道開いてねぇだろ! 飛び降りてんじゃねぇ!」


 急いで窓枠に駆け寄ったノルトが見たものは、石造りの砦壁を縦に走る鎧武者の姿だった。


 彼らは無数の冒険を乗り越え、時に傷つき、時に分かれ、世界を旅した。




                ◆


 ――――そして、魔族としては思い出を語るくらいの。


 ――――人としては老いを感じるほどの年月が流れた。


                ◆






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