伝承唄

「あぁ〜、相田あいださん、いたいた」

 戻るやいなや、市川いちかわの妻が玄関まで迎えてくれた。気づいたら20分近く経っていたらしい。


「全く、心配しましたよ。神隠しにあったのかと思って」

「まさか。上司と連絡していただけですよ。あとちょっとタバコも」

「まぁまぁ、とりあえずお食事にしましょう」


 居間に通され、そのまま夕飯をご馳走になった。


 孫が寝入ったあと、相田はあの雑木林を思い出して市川に言った。

「そういえば、お孫さん、カブトムシ気になってましたよね?近くに木が茂ってるとこありましたよ、確か神社の隣――」

「それって……、知らずの森?」

 市川の娘は急に神妙な面持ちになった。

「知らずの森……?」


 あれは森だったのか。森にしては規模が小さいような気がするが。

 

「その森って何かあるんですか?」

 そう聞き返すと、今度は市川が言った。

「……あの森は近づいちゃいけない」

 娘も目を伏せた。

 

『そこに入っちゃいけないんだよ』


「そういえば……、さっきこの近くに住んでる子かな?似たようなこと言われたんですよね。理由聞こうとしたらなんか逃げられちゃいましたけど」

「あの森はね、入ったら戻って来れないの」

「いやいや、見るからに人が迷うような大きさの森じゃなかったですよ?」

「――でも」

「でも?」

「私の友達は戻って来なかった……」

「……」

「他にも、近所の子供が肝試しで中に入ったらしいんだが、帰って来なくってな」

 今度は市川が言った。

「嘘でしょう?」

「相田さん、夕方に放送が流れてるの聞きました?」

 娘婿が聞いてきた。

「え?あぁ、なんか聞こえてましたね、防災無線のやつですよね?」

 

「あの不気味そうなやつ」とは言うのは何となく悪い気がして、相田は何とか誤魔化した。

 

「あれ、唄なんですよ」

「唄?」

「“知らず森の唄”ってここの人は呼んでるみたいです」

「はぁ……」

「僕も妻から聞くまではよく分からなかったんですけどね、唄っていうからちゃんと歌詞もある」


 ♪はやいはやいよ 黒いとり


 龍のごとく火を吹いて


 あたり一面まっかっか



 まわるまわるよ 黒いとり


 扇のごとく風を起こし


 あっという間にまっかっか

 

 

 それはあの少年が歌っていたものと同じだった。


「あの森に入っちゃいけない。黒いものがあたり一面を焼き尽くすから」


 “黒いとり”、でも“龍のように早い”。まるで化け物のような何か。一体なんなんだ?


「“黒いとり”って唄にはありますけど……」

「カラスや他の鳥とは違うと思います。なんせ火を吹くってありますからね」

「その唄は私が子供の時からあってね、私の婆さんも知っていたよ。随分昔からここに伝わってきた唄らしい」

 市川が言った。

「今もこうして放送で聞かせているのは、忘れないようにするため。村の人たちへ再三、入らないよう注意を促しているんですよ」

 補足するように娘婿が言う。


「……伐採というか、そんな危険な森、無くしちゃいけないんですか?」

 そう聞くと、ポリポリと頭を掻きながら市川が言った。

「2年くらい前にね、ソーラーパネルを設置するとかで下見に来た業者がいて、入るなとは言ったんだが――」

「はぁ……」

「……夜には姿が見えなくなってしまってね。村のみんなも探したし、会社の人も警察も来たけど、結局見つからなかった」


 つまり、中に入って何か作業をしようとしても無駄だ、ということか。


「だから、相田さんもあの森に入っちゃダメですよ」

 市川の娘は諭すように相田に伝えた。

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