禁足の森

「すみません……」

 相田あいだふすまを開けるとちょうど、4、5歳ほどの子供を膝に座らせた市川いちかわと目が合った。

 

「あ、直った?」

「あ、いえ……。あの、新しいのものをご購入することをお勧めします……」

 期待に応えられずうつむきがちにそう伝えると、市川はわざとらしくため息をついた。

「ちょっと!……ごめんなさい、気にしないでね。暑い中での作業、大変でしたね。ご苦労様です」

 市川の妻がすかさずフォローを入れる。


「そういえば相田さん、お時間大丈夫ですか?」

 今度は市川の娘が相田に声をかけた。

「あ……」

 作業に没頭し、時間のことを気にしていなかった。

「すみません!すぐに帰ります!」

「あら、せっかくなら泊まって行きなさいよ」

 市川の妻が言った。

「え?あ、いや、でも……」

 家族団欒だんらんの時間を邪魔してはいけない。心遣いは嬉しいが、ここはやはり断るべきだろう。

「ここら辺は街灯がほとんどなくて、夜は危ないですよ。もし本日中に会社に戻る必要がなければ……」

 娘の夫、即ち娘婿むすめむこが言った。行きも迷いながら来た相田としては、流石にそれは気になっていた。

「もし、ご迷惑でなければ、ね?」

「はぁ……」

 市川の娘の再度促され、相田は好意をしぶしぶ受け入れることにした。

「明日の朝には、帰ります……」

 迷惑ではないだろうか。市川をチラッと見たが、特に不服そうな様子はなかった。


「実は、少し夕飯を作りすぎてしまったの。もうすぐできるから、待っててくださいね」

 家に人が居るのが久しいからなのか、市川の妻はほくほくとした笑顔で台所に向かっていった。


「ねぇねぇ、ここはカブトムシはいるー?」

 不意に市川の孫が娘に聞いてきた。

「カブトムシ?え〜、いるかなぁ〜?」

「お義父さん、捕れそうなところあります?」

「どうだったか……。前は捕りに行っていた子どももいたもんだけどなぁ」


 市川たちのやり取りを見て、相田はどこか羨ましいと感じていた。相田にも祖父母は居たが、どちらも早くに亡くなっており、可愛がってもらった記憶などない。

 他人の家族をつい見入ってしまっていると、スマホのバイブが鳴った。職場からだった。

「すみません、失礼します」

 一言声をかけて、一旦外に出る。

 電話ついでにタバコも吸ってこよう。

 

 もうじき日が暮れるのだろう。山の向こうで西陽が微かに見えた。

 娘婿が言ってた通り、街灯は見えず、日が落ちたらこのあたりは真っ暗になる。車でも流石に帰るのは難しいだろう。


 上司への報告と明日の仕事の依頼を済ませ一服する。

 

 こんなところ、よく住めるな。

 相田は失礼ながらそう思ってしまった。

 人も家も少なく、もちろん飲めるような店もなく、夏はひどく暑く、冬は雪が降ったら移動するのが一苦労。

 病気になったらどうするんだろうか、災害が起きたらどうするんだろうか。

 生まれた時から都心に住む相田にはここに住む人々の暮らしなど、到底理解できない。


 日が殆ど見えなくなりどんどん寂しくなる景色の中、近くに雑木林があることに気づいた。周辺は畑や民家のため、雑木林は目立つ。空からここを見下ろしたら、そこだけこんもりと木々が生い茂っているに違いない。


『カブトムシはいるー?』


「……ここで捕れば良くないか?」

 近づいてみる。昼間ではないので、虫の声は当然聞こえない。

 入れそうなところはないものか。

 足を踏み入れようとしたときだった。


「そこ――」

 不意に声をかけられ、相田は後ろを振り返った。

 小学生くらいの少年が一人、相田を見ていた。

「そこに入っちゃいけないんだよ」

「え……?」

「そこ、入るなって言われてる」

「え、なんで?」

「シシ様が怒るから」

「シシ様……?」

「龍のごとく火を吹いて あたり一面まっかっか」


 その少年の唄ったメロディーに既視感を覚えた。

 少し前に無線で聞いた、あのメロディー。

「ねぇ、あの――」

 詳しい理由を聞こうとしたが、少年は走り去って行ってしまった。

「なんなんだ……?」

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