第4節 二人の百物語
私が玉城くんと出会ったのは、大学4年生の剣持研究室だった。
民俗学を専攻していた私は、学会でも一定の影響力を持つ教授に憧れ、純粋な学術的探究心のもと研究室の戸を叩いた。
……いや、それでは語弊があるか。当時からテレビ局でインターンとして働いた私は、偶然番組の収録で自校の教授に出会い、その縁で研究室に興味を抱いたのだった。
テレビに出ていたこともあり、教授の研究室はかなりの人気があった。そんなミーハーな輩に反して、玉城くんは研究者としての教授を尊敬しており、私への態度も最初は冷淡なものだった。
しかし、出会いこそ険悪な私たちであったが、同じ時間を過ごすうちに、少しずつ変化が生じてきた。
ある時はゼミに使う文献探索に図書室で、またある時は教授の資料整理に研究室で、いつしか一緒にいることが当たり前になっていた。
そして、大学卒業を間近に控えたある夜のこと、私たちは二人きりの研究室でついに……百物語をすることになった。
うん、今の私ならわかる。そうじゃないだろうと。いや、当時の私だってそう思っていたよ。
年頃の男女が二人でやることが百物語だなんて、アラビアンナイトじゃないんだから! それに、あれだってオブラートに包んでいるけれど睦言でしょう?
……話が脱線した。私は既にテレビ局から内定を貰い、彼はそのまま大学院に上がることになっていた。
彼は真剣に民俗学を生涯をかけて取り組む学問と定め、その中でも特に百物語に傾倒していたようだ。
古くは室町時代に武士の間で始まり、江戸時代には庶民のブームになったそれは単なる怪談というだけでなく、文化的、歴史的にも意義深いものである……というのが彼の口癖だった。
しかし、100話というのは案外と長いものだ。それを一夜に、それも二人だけでやろうというのだから、それなりの準備が必要だった。
幸い、彼は教授の一番弟子と呼ばれるほどのお気に入りであり、また研究熱心でもあったため、研究室で徹夜するなんてことは日常茶飯事であった。
研究室の面々も既に卒業論文を仕上げ、就職の準備や卒業旅行であまり顔を見せなくなっていたため、日時と場所の確保は難しくなかった。
問題なのは怪談の選出だ。彼との協議で交互に話していく形式にしたため、私は半分の50話を担当しなくてはならない。
さすがにオリジナルで用意できる数ではないため、私はネットや書籍などから集めることにした。別に研究発表ではなく趣味でやることなのだから構わないだろう。
それでも、一つだけは自分の体験談を話すことにした。別にそれほど怖いものではないが、私だけのとっておきの一話だ。
そして、同時にあることを考えていた。その話が終わったら、百物語が完結したら……彼に告白しよう。そう、決心していた。
緊張と期待から始まった二人だけの百物語。恐怖のドキドキと恋のドキドキが交じり合い、それはまるで吊り橋効果だ。
彼もきっとそんな気持ちであったのなら。いや、むしろそれを狙っていたのなら、私はもう完全に術中に落ちていた。
しかし、彼が99話目を話し終え、いよいよ最後の順番が私に回ってきたとき、異変は起きた。
私はその一話を語ることが出来なかった。口にしようにも言葉が出てこないのだ。それが怪異によるものなのか、それとも勇気がなかったからなのか、いま思い返してもよく分からない。
百物語には、敢えて100話目を話さないという慣習もあるらしい。彼がどう解釈したのかは不明だが、百物語はそこでお開きとなり、私には語ることの出来なかった怪談と、淡い恋心だけが残された。
卒業後はお互いに忙しく、会って話をすることもなくなっていった。それでも教授づてに彼の動向は聞いており、順当に研究者への道を歩んでいたようだ。
しかし、三年ほど前にある地方へ研究のために出張したのを最後に、教授のもとを離れ大学を去ってしまったらしい。今では何をしているのか、教授にも分からないそうだ。
果たして、彼に何があったのか。研究を続けているのか、それとも別の道に進んだのか……それとも生きているのかどうか、それすらも明らかではない。
私の胸にしまっていた想いは、行き場がなくなったことで余計大きく、そして激しくなった。
あのとき、100話目を話せていたら……。
あのとき、彼に好意を告げられていたら……。
今とは違った未来があったのかもしれない。
だから、私は決意した。
もう一度、百物語をやろう。
彼にも届くように、盛大にやろう。
日本全国を巻き込んで、私の想いを聞かせてやるんだ、と。
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